天皇の代替わりと改元は海外からも注目され、大きく報道された。日本に長く住む外国メディアの特派員は、新時代「令和」の幕開けをどう見たか? 「週プレ外国人記者クラブ」第141回は、フランス紙「ル・モンド」東京特派員のフィリップ・メスメール氏に話を聞いた――。
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──5月1日に新天皇が即位し、新たに「令和」の時代が幕を開けて1ヵ月が経ちます。天皇制や元号は日本独特なものですが、メスメールさんはこの「時代の変わり目」を体験して、どんな印象を受けましたか?
メスメール 僕は日本で暮らし始めてから17年になるので、平成の半分以上を日本で過ごしたことになります。20世紀における改元は1912年(大正元年)、1926年(昭和元年)、1989年(平成元年)の3回だけだったことを考えると、今回、歴史的な瞬間を目の当たりにできたことは、とても貴重な体験だったと思います。
また、今回は天皇の「崩御」ではなく、明治時代以降初めて「退位」という形で迎える代替わりでした。前天皇、つまり現在の上皇が2016年に退位の意向を示してからの約2年間にわたる準備やさまざまな議論など、興味深いことが多かったです。
──令和の時代を迎えた日本社会、日本人の反応はどんなふうに見えましたか?
メスメール 「世代による反応の違い」が印象的でした。若い世代の多くは新時代の幕開けをある種のお祭りというか、まるでお正月のように歓迎すると同時に、「天皇陛下っていい人そうだよね」と好印象を持ち、天皇制そのものに対しても身近に感じているように見えます。
一方、それより上の世代の人たちは天皇制をもう少し重く受け止めていて、令和の幕開けや新天皇即位を歓迎する姿勢は、より「伝統的」だったと思いますが、現在の天皇制がどの世代の国民からも広く支持されているという実感はありました。
上皇は、かつて父親である昭和天皇が「神」として扱われ、天皇の名の下に不幸な戦争が行なわれたという歴史や、戦後の日本国憲法の理念に正面から向き合い、「国民統合の象徴としての天皇のあり方」を追求してきました。それは言いかえれば「天皇性の非神格化」であるとも言えます。
そして、平成の時代を通し、さまざまな機会で「国民と共にある」姿勢や「平和への強い想い」を示し続けてきた。国民が天皇制を身近に感じているのは、そういった努力の結果だと思います。
──その一方で、前天皇の退位、退位から新天皇即位までの一連の手続き、そして今後の皇室のあり方などについて、いわゆる「右派」や「保守層」から批判的な声も出ていました。
メスメール 僕もその点には注目していました。安倍政権を背後から支える「日本会議」などの一部の右派や保守層は、多くの国民に浸透している「象徴天皇観」とは明らかに異なるイデオロギーに基づいて「反発」を示していましたね。
──それは、天皇の「神格化」に対する強い執着でしょうか?
メスメール それもあると思います。この先「女性天皇」を認めるべきかどうかという議論では、世論調査では国民の7割近くがこれを支持していますし、歴史的に見ても、明治以前には女性天皇が何人も存在していた。
しかし、「日本会議」などの保守層はこれを頑なに否定し続けています。また、上皇が退位の意向を示したときにも、国民の多くがその考えを尊重したのに対し、一部の右派や保守層からは、天皇の意向に反してまで「退位は認めるべきではない」という意見が飛び出していました。
今回の退位や即位の式典での安倍首相のスピーチ内容についても政権と宮内庁の間でいろいろと議論があったようです。特に印象的だったのは、4月30日の退位のときの安倍首相のスピーチで、天皇の功績に関する彼の言葉の中に「先の戦争の犠牲者たちへの想い」に関するものがひとつもなかったことでした。しかし、上皇が天皇在位中に最も力を注がれたことのひとつが、「戦争の犠牲者への想いを示すこと」であったのは誰もが知っていることです。
安倍政権と右派は「戦後レジームからの脱却」を訴え、戦後レジームの象徴のひとつである「日本国憲法」を変えようとしている。一方、その戦後レジームの中で上皇が追求した象徴天皇像は国民に広く支持されている。この不思議なコントラストが示しているのは天皇制をめぐる日本社会の「皮肉な分断」で、「天皇+国民」と「安倍政権+右派+政権に従属するメディア」という構図が生まれているのではないかと感じています。
──なるほど......。しかし、そもそも王や天皇という「生まれながらにして特別な立場」が存在すること自体、民主主義の基本である「平等」という概念とは相いれないのではないですか? たとえば、フランスは「フランス革命」で王政を廃止して「共和制」の国になったわけですよね。
メスメール フランスは「フランス革命」を通じて王政を倒し、今に繋がる「共和制」を確立した国ですが、多くの人が誤解しているのは、フランス革命の当初の目的は、王族や貴族が一方的な権力を持つ「専制君主制」という「システム」を変えることで、「王政打倒」ではなかったという点です。確かに、結果的に王政は倒されたわけですが、可能性としてはイギリスのような立憲君主制もあり得たのです。そういった歴史から見ても、王や天皇と民主主義が共存することに矛盾はないと思います。
その上で、上皇が追求した「象徴天皇のあり方」の大きな意義を、改めて強調したいと思います。政治状況に応じて短期間で入れ替わる総理大臣と違い、天皇は長い間「国民統合の象徴」として存在し続けます。その中で上皇は「平和主義」と「国民ひとりひとりの平等や幸せの追求」という日本国憲法の理念を、柔らかな形で国民に向けて示し続けてきた。
その立ち居振る舞い、深い考えに基づいた言動は実にエレガントでした。「新しい象徴天皇像」を示して国民との距離を縮めながら、天皇制の「歴史」や「伝統」の継承者としての役割もきちんと果たしていた。見事なバランスだったと思います。
「天皇」という言葉の語源は「スメラギ」といって、古代中国の「神格化された北極星」、つまり「天空で人々を導く点」を意味するという説があります。上皇が象徴天皇として示してきた、大きな災害が来れば被災地に駆け付け、人々の苦しみや悲しみを受け止める姿や、過去の不幸な歴史に向き合い、その反省に学びながら平和を求め続ける姿勢は、まさに「人々を導く星」として、戦後の日本が憲法の下で追い求めるべき価値観を国民に指し示していたように思います。
新たに即位した天皇も、そうした父親の姿勢を引き継ぎ、象徴天皇像を発展させてゆくのではないでしょうか。
●フィリップ・メスメール
1972年生まれ、フランス・パリ出身。2002年に来日し、夕刊紙「ル・モンド」や雑誌「レクスプレス」の東京特派員として活動している