「普通の高校生と変わらない、いつもニコニコしている知的で冷静な青年という感じでした。でも、独特のオーラはあったと思います」と語るアンドルー氏

新天皇陛下の即位で、令和の時代を迎えた日本。高校時代にご学友のひとりとして、若き日の天皇と接したオーストラリア人留学生がいた。

卒業後も友人として、また、浩宮さま(当時)の英語の話し相手として御所に通い、皇室の人々とも交流した経験を持つアンドルー・B・アークリー氏が、新著『陛下、今日は何を話しましょう』(すばる舎)で「新天皇の素顔」をつづる。

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──新天皇の即位に合わせて、ご学友の方々がメディアに登場していますが、アークリーさんのような外国人留学生のご学友がいたとは知りませんでした。

アークリー 私は学習院高等科が受け入れた初のオーストラリア人留学生のひとりでした。1975年、陛下(当時の浩宮さま)が高等科1年生で、私は2年生でしたから、学年はひとつ違うのですが「地理研究会」というクラブ活動で陛下とご一緒したことがきっかけで、親しく交流させていただくようになったのです。

──オーストラリアから日本へ、それも皇族が通う学習院という高校への留学で、カルチャーギャップに戸惑ったりはしませんでしたか?

アークリー 私の父は国連勤務で、私自身も子供時代にスリランカやジャマイカでの暮らしを経験していましたし、父も私もジャマイカからオーストラリアに帰国する途中で立ち寄った日本に好印象を持っていたので、日本での暮らしに大きな不安はありませんでしたね。

詰め襟の制服も、最初は「無理だ」と思ったけれど、すぐに慣れてちゃんと着ていましたよ(笑)。もちろん、来日前から日本の皇室も通う学校だということは知っていました。

ちなみに、今は新しく建て替わったのですが、当時の校舎は古くてちょっと汚いというか......「えっ、これが日本のプリンスが通う学校なの?」と少し意外に思ったことを覚えています。

──高校生時代のアークリーさん、けっこう積極的に陛下にアプローチされていますね?

アークリー そうですね。せっかく陛下と同じ学校にいるのだから、ぜひお友達になりたかった。そんな機会、めったにないことですし、当時の私は「将来、外交官になりたい」と思っていたので、日本のロイヤルファミリーと親しくなることは、自分の将来のための経験としても、また日豪関係のためにも、とても大きな意味のあることだと思ったんですね。

そこで、第2外国語のドイツ語の授業で一緒だった共通の友人に頼んで陛下を紹介してもらった。それが陛下との交流の出発点でした。実を言うと、それまでは誰が浩宮さまなのかもわからなかったんです。もちろん、校内に護衛の方はいるのですが、学校ではほかの生徒と待遇は同じなので。

──そうして出会った高校時代の浩宮さまの印象は?

アークリー 普通の高校生と変わらない、いつもニコニコしている知的で冷静な青年という感じでした。でも、独特のオーラはあったと思います。

あと一見、生まじめに見えて、実はとてもユーモアのある方で友人たちと冗談を言い合うのがお好きなんです。私も初めて陛下にご挨拶したとき「マイ・ネーム・イズ・じぃ」とおっしゃられて......。

この「じぃ」というのは、陛下が中学生のとき、校内にあった盆栽や植木の枝ぶりを褒められたことから、お年寄りのようだと、ご友人たちにつけられたニックネームで、陛下はそれがお気に入りだったようです。結局、私は「じぃ」とお呼びする勇気はありませんでしたが(笑)。

──クラブ活動の地理研究会で金沢などに旅行したときには、行く先々で大勢の人たちに歓迎を受ける陛下の姿を見て、アークリーさんは「少しかわいそう」と感じたそうですね。

アークリー 当時、私が日本語で書いた日記にはそう書いてあります。でも、後からそれは私の誤解だということに気がつきました。陛下は子供のときから、多くの国民が喜んで歓迎してくれることに慣れ親しんでおられて、そうした歓迎を心から「うれしい」と喜んでおられるのだとわかったのです。

──オーストラリアは今もイギリス王室と深いつながりがある国ですが、オーストラリア人のアークリーさんから見た、日本の「皇室」と「イギリス王室」の違いとはなんでしょう?

アークリー 難しい質問ですね。いろいろな違いがありますが、特に「象徴」という考え方はイギリス王室にはないものです。

以前、御所に呼ばれて陛下のご家族とお食事させていただいたとき、私が深い考えもなく、当時の皇太子殿下、今の上皇陛下に「日本の皇室とイギリスの王室は似ていますね」と申し上げると、上皇陛下は「ちょっと違います」と答えられました。

今思い返すと、あの当時から「象徴天皇とは何か」という問いに正面から向き合い、その答えを探し続けられていたようにも思います。その後、平成の時代に入ると、上皇陛下は日本の不幸な歴史とも正面から向き合い、常に国民と心を共にすることで自ら「新しい象徴天皇」の在り方を示されてきた。

今回、あえて「退位」という形での皇位継承を選ばれたのも、上皇陛下が平成を通して続けられた「象徴天皇とは何か」という問いを、ご自分がお元気なうちに、次の世代へと引き継ぎたいというお考えがあったからではないでしょうか?

──日本の"令和フィーバー"はどんなふうに見えましたか?

アークリー 昭和天皇の崩御による平成の始まりのときとは異なり、今回は明るく、温かい雰囲気のなかで新たな時代を迎えられたというのは、大きな違いですね。

また、比較的若い世代の人たちが令和という新たな時代の幕開けを歓迎していましたが、これも平成を通じて皇室と国民との距離が近づいたことを表していると思いました。

新天皇は、イギリスのオックスフォード大学でも学ばれた、歴代の天皇で初の留学経験がある天皇ですし、皇后となられた雅子さまも元外交官です。

今後は、上皇陛下から受け継いだ「象徴天皇」の在り方をさらに進化させながら、国際親善などの面でもご活躍されるのではないでしょうか? そんな天皇皇后両陛下が切り開く新たな可能性を周りの方々が応援してくれることを、私もかつての友人のひとりとして、心からお祈り申し上げております。

●アンドルー・B・アークリー(ANDREW B.ARKLEY)
オーストラリア・メルボルン出身。1975年、国際ロータリークラブの交換留学生として学習院高等科に留学。浩宮徳仁親王(今上天皇)とご学友に。その後、文部省(当時)の学部国費留学生として東京外国語大学に入学し、日本事情を専攻。現在は、日本で知人が開設した内科クリニックの事務長を務める。著者に『ぼくの見た皇太子殿下』(海越出版社)がある。写真は、学習院高等科時代に日本語で書いた日記を手に持つ筆者

■『陛下、今日は何を話しましょう』
(すばる舎 1500円+税)
1975年、学習院高等科の初めてのオーストラリア人留学生として日本にやって来た著者。高校のクラブ活動の「地理研究会」、卒業後も「英語の話し相手」として御所に通うなど、今上天皇(当時の浩宮さま)と親交を深めたという。新天皇陛下の即位にあたり、外国人の目を通して見た天皇の素顔、皇室の人々との交流をつづる

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