「平均的な家計では、年金以外で2000万円の蓄えがなければ、老後の生活費が不足する」という試算を盛り込んだ、金融庁金融審議会の報告書が波紋を呼んでいる。今月の参議院選挙での争点化を避けるかのように、麻生太郎副総理兼金融担当相は、この報告書を「政府の政策スタンスと異なる」として受け取りを拒否。森友・加計学園問題や厚労省の毎月勤労統計の不正調査問題など、都合の悪い事実を隠蔽・改竄する政権の体質が、改めて浮き彫りになった。
ベストセラー『アベノミクスによろしく』の著者で、今年2月に賃金統計偽装について国会で公述し、6月に新刊『国家の統計破壊』(インターナショナル新書)を上梓した弁護士の明石順平氏は、今回の問題をどう見ているのか。実感なき景気回復策といわれるアベノミクスの正体とともに聞いた。
■マクロ経済スライドとは「年金実質減額スライド」
――6月3日に金融庁が「高齢社会における資産形成・管理」の報告書を公表して以来、いわゆる「老後の生活費2000万円不足」問題が物議をかもしています。
明石 いきなり「老後の生活資金として2000万円用意しろ」という具体的な数字を出されたので、皆さん面食らってしまったのでしょう。ただ、2000万円という数字で驚いていますが、この試算の中には介護費用などは含まれていません。だから、2000万円でも全然足りていないというのが実情です。
この計算は、「現実の高齢夫婦無職世帯の収入(その大部分は年金)と支出を比べると、毎月約5.5万円の赤字になる」という『家計調査(2017年)』の数字に基づいています。これに、2015年の人口推計における「全人口の約4分の1が95歳まで生存する」ことを前提に単純計算すると、30年間で約2000万円(360ヵ月×5.5万円)の金融資産の取り崩しが必要となったわけです。
金融庁としては、こうしたデータを出して「長期・積立・分散投資で資産形成の検討」を促す意図があったのでしょう。つまり、安倍政権の生命線である株高を維持するために、「貯蓄から投資へ」というスローガンを掲げ、株を買わせるように仕向けたかったのです。「預金が目減りするよ」と脅して、「だから投資しなさい」と。
今回の金融庁金融審議会の試算は、現在の物価がずっと続くということが前提となっています。しかし、現在の物価が変わらないという保証はありません。かつては物価が上がれば、それに伴って年金支給額も上昇していました。ところが、現在では「マクロ経済スライド」により、物価が上昇しても年金の増額が抑制されるようになっています。
マクロ経済スライドとは、簡単に言えば少子高齢化が進んでも年金制度が破綻しないように、年金給付額の伸びを賃金や物価の上昇率よりも抑えるための仕組みです。計算式は「年金改定率=賃金(物価)の伸び率-スライド調整率」となっています。「スライド調整率」とは、「公的年金全体の被保険者数の減少」と「平均余命の伸びを勘案した一定率(0.3%)」を加えたものです。
このスライド調整率は、2025年度までは年平均0.9%程度と見込まれています。例えば、物価の上昇率が1%のときは、年金改定率は「1.0%-0.9%=0.1%」となるわけです。
だから、名目値(額面通りの値)だけで見ると「年金が上がった」というふうに見えても、物価を考慮した実質値(物価変動の影響を取り除いたもの)だと全然足りていないといった事態が発生するのです。マクロ経済スライドなんてわかりづらい名前をつけていますけれど、実態は「年金実質減額スライド」としか言いようがありません。
なぜ「実質」とつけるのかというと、名目値で見たら「いや、減ってないよ」と言ってくる人がいるからです。先日の国会で野党批判をした三原じゅん子参議院議員が、「安倍政権では今年、年金支給額はプラスとなった」と言っていましたが、物価上昇率1.2%に対して年金の上昇率はたった0.1%です。少し考えればわかることですが、この仕組みがある限り「物価上昇に対して、年金は永遠に追いつかない」ようになっています。
――自民党支持層はそのことをわかっているのでしょうか?
明石 「アベノミクスでデフレから脱却!」と盛り上がっている自民党の支持者たちがたくさんいます。しかし、物価が上がる意味とその影響を本当に理解していたら、支持する理由などどこにもありません。結局、年金の原資となっているのは、ほとんどが働き手の賃金です。高齢者のために年金財源を安定させようと思ったら、現役世代の賃金を上げなければならない。しかし、実際にはどんどん労働者の賃金は削られています。
■アベノミクスは高齢者いじめの「貧乏ノミクス」?
――物価が上がっているのに、年金支給額が減っていくと、預金も目減りしますよね。
明石 この状況は「高齢者の首を、真綿でゆっくり絞めている」ようなものです。私から見たら、マクロ経済スライドは完全なる「高齢者いじめ」でしかありません。
「日銀は物価上昇目標を達成できていない」という点が盛んに報道されていることから、国民の多くは「物価が上がっていない」と勘違いしているように感じられます。しかし、日銀の目標というのは、「前年比2%の物価上昇」、すなわち「毎年2%ずつ伸ばしていく」というものです。確かに、前年比2%の物価上昇という目標には届いていません。しかし、アベノミクス開始(2012年末)以降の6年間を通算すると、増税分も含めて物価は6.6%も伸びています。
これは、例えばアベノミクス前の年収が400万円だった人の場合、426万4000円以上になっていなければ、実質賃金が下がったことになってしまうのです。こうした具体的な数字で見ると、その凄まじさがわかるでしょう。アベノミクスとは結局「国民全体窮乏化政策」だったのです。
――ここまでお話を聞いて、アベノミクスの実情がよくわかりました。しかし、安倍首相は成果を誇らしげに語っています。例えば「民主党政権時代と比べると、失業率も有効求人倍率も改善された」とか。
明石 失業率の低下も有効求人倍率の上昇も、アベノミクス前からずっと改善されています。民主党政権時代からの傾向がずっと続いているだけで、別にアベノミクスのおかげで良くなったわけではありません。理由としては第二次安倍政権誕生以降、単に世界的な経済危機が起こっていないからです。
実際、増えた雇用者数の内訳を見ると、医療・福祉が2位以下を大きく引き離して、ぶっちぎりの第1位となっています。それも当然で、なぜなら高齢者が物凄い勢いで増加しているからです。
医療・福祉の雇用者数は、2012年と比較して125万人も増えています。第2位の卸売業・小売業と第3位の宿泊業・飲食サービス業を合わせた数よりも多いくらいです。これは明らかに高齢者数の増加が影響しています。
また、卸売業・小売業が増えているのは、フランチャイズという「スーパー搾取システム」によって出店が増えているからです。雇用が増えているので一見、景気がよくなっているように思えますが、賃金が上がらないという問題はまったく解決されていません。
――「アベノミクスのおかげで景気が回復した!」という言葉にだまされてはいけないのですね。
明石 アベノミクスは、「戦後最悪の消費停滞」を引き起こしているのですから、実際は悪化していますよね。現に、景気回復を実感できない人たちがたくさんいます。
アベノミクスの異次元金融緩和で通貨を大量に供給したことにより、円高から大幅な円安になりました。通貨が大量に供給され「円が安くなる」と予想した投資家たちが円売りに走ったのが主な原因です。円安で輸出が増加すれば景気もよくなると期待したけれど、結果として円安がさまざまな原材料費等の輸入価格を上昇させ、消費者物価指数を押し上げてしまいました。
――安倍首相は「悪夢のような民主党政権」というフレーズをよく使いますが。
明石 今のほうがまったくの「悪夢」ですよ。こんなに円安インフレになるような政策を行なって、国民の生活を苦しくし、消費を冷え込ませてしまったわけですから。経済が停滞しているのに、物価だけは上がっています。食料価格指数だけ見ても10%以上の伸び率です。必然的にエンゲル係数も爆上げしています。
国内実質消費から見れば、これはスタフグレーションと呼んでいい状態でしょう。スタグフレーションとは、「stagnation【停滞】」と「inflation【インフレーション】」の合成語で、経済活動は停滞しているのに物価が上昇するという意味です。アベノミクスの正体は、実は「貧乏ノミクス」だったということを数字が証明しています。
結局、アベノミクスの失敗は「賃金がほとんど上がらないのに、物価だけ上がってしまって消費が落ちた」ということです。まずは賃金を上げるべきなのに、完全に順番を間違えています。
■選挙で求められるのは「労働者側に立てる政党」
――明石さんは新刊『国家の統計破壊』(インターナショナル新書)で、安倍政権の偽装体質を、詳細な数字によって暴いていますね。
明石 2018年8月に「賃金21年ぶりの伸び率」というニュースが出ました。これは景気がよくなったからではなく、賃金の算出方法を政府が変更したことによって起こった現象です。
ここには重大なカラクリがありました。端的に言うと、賃金の算出方法を変え、従前よりも高く出るようにしていたのです。これをそのまま過去の数値と比較すると、異常な段差ができてしまいます。だから、通常なら遡って過去の数値も改定しなければならないのですが、厚労省はなぜか遡及改定をやめてしまいました。その結果、2018年の賃金が異常に高い伸び率を示すことになったのです。
これは、ちょっと背の高い別人にシークレットブーツを履かせて、身長が伸びたと言っているようなものです。これにより、それまでの5年間で1.4%しか伸びていなかった賃金が、2018年の1年間で1.4%伸びるという異常な現象が起きました。しかし、同年の物価は1.2%上がったので、結局実質賃金は0.2%しか伸びませんでした。2018年の実質賃金はアベノミクス前より3.6%も低い状態です。6年経っても実質賃金が民主党時代よりはるかに低いままなのです。
『国家の統計破壊』では、2018年の暮れに発覚した、厚労省による「毎月勤労統計調査」の不正問題について、そのからくりをグラフや表、国会議事録を使って分析しました。また、安倍政権によって意図的に隠された事実や日本経済の悲惨な現状についても、ファクトを積み重ねながら解説しています。
――なぜ安倍政権は、すぐに見破られるような偽装を行なうのでしょうか?
明石 要は目先のことしか考えていないからでしょう。森友・加計学園問題での対応が象徴的ですが、「大きな声でウソをつき続ければ、そのうち国民は忘れてしまう」ことに味を占めてしまったわけです。
このように自民党がやりたい放題できるのは、選挙で無敵状態だからでしょう。それを支えているのが、1選挙区ごとに1名のみを選出する「小選挙区制」です。もともと固定客が多い「自民一強」という状態の中で、相対するのは「脆弱な野党」だけですからね。拮抗する二大政党があってこそ小選挙区制という選挙制度は成立するのに、ずっと一党独裁状態が続いています。
だから野党としては、アベノミクスの失敗を正しく国民に理解してもらったうえで、対案として「労働者の賃金アップ」をアピールしていくべきでしょう。現在の日本経済停滞の原因は、低賃金・長時間労働です。これを解消することは自民党には絶対にできません。自民党のスポンサーは経団連なので、経営者側の立場でしか政治を行なえないからです。
さらに、長時間労働の温床となる「裁量労働制」や残業代支払い逃れの「固定残業代制」も廃止すべきでしょう。自民党はいろいろな抜け道を巧みに使って、経営者側に有利な法案を作り続けています。自民党固定客だけでなく、無党派層の心にも届く「労働者側に立てる野党」こそが、選挙で求められるべき政党なのではないでしょうか。
■『国家の統計破壊』 インターナショナル新書 820円+税
第二次安倍政権の発足以降、わかっているだけでも53件の統計手法が見直され、そのうち38件がGDPに影響を及ぼしている。賃金や消費などの基幹統計は、国民生活と密接に結びついたものである。手法の変更によりかさ上げされた数字では連続性がなく、もはや統計の意味をなさない。これは「統計破壊」と呼ぶべき異常事態である。この問題をいち早く追及し国会でも公述した著者が、公的データをもとに統計破壊の実態を暴く