「出てきたら獲りそうだなと思うテーマは今なら『高齢独身男性の実存』。生涯未婚であることがほぼ確定した男性を主人公にした作品でしょうか」と語る菊池良氏

7月17日に、第161回芥川賞の受賞作が発表され、今村夏子さんの『むらさきのスカートの女』に決まった。令和初の発表であること、社会学者・古市憲寿(のりとし)氏が2作連続でノミネートされたことなど何かと注目度も高かったが、一方で「受賞作を実際に読んでいる」という人はそれほど多くないのではないだろうか。

そんななか、『芥川賞ぜんぶ読む』という、いかにも骨の折れそうな書籍を上梓(じょうし)したひとりの男がいる。

村上春樹、夏目漱石ら文豪たちの文体を模倣してカップ焼きそばを作る様子を描き、17万部のベストセラーとなった『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』の著者・菊池良氏だ(神田桂一氏との共著)。84年間の180作品を読んだ彼が語る、芥川賞の魅力とは。

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──いきなりですが、この本のために会社を退職されたそうですね。

菊池 そうなんです。これはもともとWebマガジンで副業としてやっていた連載企画で、最初は会社が終わってから取りかかれば十分できる範囲だったんです。でも、芥川賞を全部読むとなるとさすがに難しくて、「じゃあ辞めるか」みたいな感じで退職しました。

──受賞作以外の各作家の代表作も読まれたり?

菊池 それもありますね。単純に作品を読むだけでも時間がかかるのに、さらに作家の生い立ちとかパーソナリティを調べるのですごく時間がかかりました。

──歴史の長い芥川賞ですが、受賞作の傾向ってあるんでしょうか?

菊池 まず、時代によって毛色が明らかに変わりますね。例えば、戦後すぐの石原慎太郎、開高健(たけし)、遠藤周作といった受賞者の作品には戦争の影響が色濃く出ていますし、テーマも「戦後の後始末」的なものが多くて、その分、話も重い。

一方、1970~80年代になると「関係性」の問題を描いた作品が増えてきます。ストレートに男女の恋愛を描いたものもあれば、「ソウルに愛人がいて、妻と別れ話しなきゃいけないけど言えない」と悩む男の話とか、外国に行って自分以外に日本人がいなくて孤立している女性の話とか。

それ以降になると、「自分とは」「俺はどう生きるのか」と問う作品、いわゆる「実存」を描いた作品が増えます。

──『スクラップ・アンド・ビルド』(15年、羽田圭介、文藝春秋)や『コンビニ人間』(16年、村田沙耶香、文藝春秋)はまさに実存を描いた作品ですよね。

菊池 そうですね。あとは明らかに文章における描写の量が変わっています。昔の作品のほうが情報量は多いんです。現代は情報があふれているからこそ、書き手と読者の感覚を共有できる領域が昔に比べて大きくなっているからではないかと思っています。

──逆に不変の受賞条件ってありますか?

菊池 必須とまで言ってしまうとあれですけど、作者のバックボーン、その人にしか書けないアイデンティティを描いたものが受賞するというのは、傾向として歴然とありますね。そこは80年以上ずっと同じ基準で選考されています。

──作者にしか書けないという意味では、例えば『コンビニ人間』の場合、コンビニでバイトしている人は山ほどいるけど、それを文学に落とし込んだのは村田さんが初めてだったわけですよね。

菊池 そうですね。今まで書かれなかったものだったら評価されるという感じですね。建前とかではなく、内面を実直に描いたものが評価されやすい。

──一方で村上春樹ら、有名作家でも芥川賞に選ばれてない人もいます。

菊池 候補になりながら選ばれず、現在大御所になっているのは、80年代にデビューした作家が多い。村上さん以外にも、吉本ばななさんとか島田雅彦さんとか。

ところが、80年代は「受賞作なし」という回がけっこう多いんです。この時期は芥川賞が当時の都市文化、消費文化に対応できなかったんだと思います。その直前までは新しい価値観に対応できていたと思いますけど。

──受賞作を全部読んだ菊池さんが思う、「今後、受賞しそうなテーマ」とかあります?

菊池 出てきたら獲りそうだなと思うテーマは、今なら「高齢独身男性の実存」。生涯未婚であることがほぼ確定した男性を主人公にした作品でしょうか。そういう状況に置かれた自身を私小説として描く作家が出てくる可能性は高いし、獲るに値するテーマだと思います。

──ほかに評価されそうなテーマは?

菊池 職業でいうと、YouTuber。動画を配信しながら、一方で純文学を書く人が出てくるのでは。少なくとも、出版社から誰かに小説の依頼がいっている可能性は高いでしょう。

──そういう作品がノミネートされれば、客寄せパンダと思う人もいるかもしれないですけど、受賞するかは別問題ですもんね。実際、又吉直樹さんの『火花』(15年、文藝春秋)を読むとクオリティが高い。

菊池 今まで書かれてこなかったテーマで、なおかつ、完成度の高い作品というのがやっぱり受賞する作品なんです。『火花』は完成度も高かったですし、ああいった芸人の生きざまを純文学に落とし込んだ作品は過去になかった。

もっとも、評価していなかった審査員もいましたが、一方で「全員一致じゃないからこそ説得力のある作品が受賞する」ということでもある。例えば、中卒の人間が日雇い労働について書くとか。

──『苦役列車』(10年、西村賢太、新潮社)ですね。

菊池 あとはSNSをテーマにした作品。まだ選ばれてないのでそろそろ出てくるのでは。ただネット自体、芥川賞において影が薄いんですけど。

──ところで、紀州を描いた『岬』(1975年、中上健次、文藝春秋)など、地方を舞台にした作品は今後出てくるのでしょうか? なんとなく減っているイメージがあります。

菊池 芥川賞に限った話ではなく、「都市中心」というのは文学自体の特徴だと思います。というのも、芥川賞作家の出身地は明らかに都市部に集中している。つまり、これまでは文学を読むというのは都市圏の文化だったんです。

ただ、ネットによって、テキストによるコミュニケーションが全国区になったので、今後はそういう偏りもなくなっていくのでは。電子書籍によってどこでも読めますからね。

●菊池 良(きくち・りょう)
1987年生まれ、東京都出身。ライター・Web編集者。学生時代に就活のために公開したWebサイト『世界一即戦力な男』がヒットし、書籍化、Webドラマ化される。現在の主な仕事はWebメディアの企画、執筆、編集など。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(神田桂一との共著、宝島社)などがある

■『芥川賞ぜんぶ読む』
(宝島社 1500円+税)
84年前の第1回芥川賞から振り返り、受賞した180作品すべてを読破したら何が見えてくるのか──。本書では、受賞作の傾向や時代による変化、さらには作者セレクトの「昭和受賞作ベスト20」など、芥川賞を余すところなく紹介。著者は「芥川賞の系譜を知ることは日本を知ることに役立つ」と主張する。ひとつの文学賞をめぐって行なわれてきた、作家と選考委員の「魂のぶつかり合い」を追体験することができる「芥川賞の入門書」決定版

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