ニセ情報や悪質デマ、いわゆるフェイクニュースの拡散が止まらない!
それに対し例えば台湾は、ひとりの外交官の死をきっかけに厳罰化へ。だが規制には、「表現の自由」「公権力の乱用」という課題も......。
フェイクニュース対策で今、何を議論すべきか。その最前線に迫る!
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■厳罰化のきっかけは駐日外交官の自死
5月7日、台湾の国会にあたる立法院は「災害防止救助法」の改正案を可決。悪質なフェイクニュース拡散への厳罰化に乗り出した。
地震や台風などの災害時にニセ情報やデマを意図的に拡散することで、損害を与えたり犠牲者が出たりする事態を引き起こした場合、最高で無期懲役を科す内容だ。
実はこの法改正のきっかけになったのが、昨年9月、西日本を襲った台風21号での混乱だ。タンカーが連絡橋に衝突して関西国際空港は孤立状態に。多くの訪日客が足止めを余儀なくされるなか、「中国総領事館が空港にバスを手配し、中国人観光客を優先的に救出した」というデマが中国のSNSで広まったのだ。
実際にはバスを手配したのは関空で、そうした事実はなかったにもかかわらず、台湾の一部メディアが真偽を確認せずに報じたことで、台湾の人々の間に一気に拡散。「台湾の外交官は何をやってるんだ」といった声が上がり、領事館にあたる台湾の大阪弁事処には批判が殺到した。
その矢面に立たされたのが、大阪弁事処の代表を務めていた蘇 啓誠(そ・けいせい)氏だった。昼夜を問わず対応に追われ、台風の10日後に自らの命を絶つという悲劇を引き起こしてしまう。
ただ、デマの拡散と自殺に直接の因果関係があるかは不明で、台湾の外交部(外務省)の言動が蘇氏を追い込んだという指摘もある。
「騒ぎの原因がデマだと明らかになったのは、蘇さんの死の翌日のことでした。蘇さんのように優秀で誠実な外交官が自死へと追い込まれたことが、今回の法改正を大きく動かしたことは間違いないでしょう」
と語るのは元朝日新聞の台北支局長で、蘇氏とも個人的な親交があったという大東文化大学社会学部の野嶋剛特任教授(メディア論)だ。
「実はそれ以前にも、台湾ではフェイクニュースが与える深刻な影響が大きな社会問題となっていました。
台湾のメディア、特にテレビは40近いケーブルテレビ局が乱立しチャンネルは100を数え、激しい報道合戦のなかで事実関係の確認が不十分だったり、視聴者の興味を引きやすい情報に偏るというケースも少なくありません。
また、台湾は政治的にも大陸の中国政府との関係をめぐって『親中国派』と『反中国派』の分断が深く、それぞれの陣営がメディアと結びつき、自分たちにとって都合のいい形で情報を流したり、逆に相手側の主張を『フェイクニュースだ』と批判したりもする。
そのために今回可決された改正案以外にも、いくつかのフェイクニュース規制に関する法案が立法院で審議されています」(野嶋氏)
ちなみにフェイクニュースに対する法規制は、台湾だけに限ったことではない。難民問題に揺れるドイツでは、2017年にSNS上での人種差別的なヘイトスピーチなどへの対策として「ネットワーク執行法」が成立。
フランスでも、昨年の12月に選挙期間中のフェイクニュース対策として「情報操作との戦いに関する法律」が成立している。
■真偽を判断するのは警察などの公権力
日本も人ごとではない。2016年の熊本地震の際は、ライオンの写真と共に「地震のせいでうちの近くの動物園からライオン放たれたんだが」というツイッターの投稿が拡散して、動物園に問い合わせが殺到。
ほかにも昨年の「平成30年7月豪雨」では、「レスキュー隊のような服を着た窃盗グループが被災地に入った」というデマが拡散し、実際の救援活動にも影響を与えるなど、フェイクニュースが社会に与える影響は無視できないものになりつつある。
日本も法的な規制の導入を検討すべきなのか? しかし、
「フェイクニュースの法規制は安易にすべきではありません」
と指摘するのは、情報の真偽を検証する「ファクトチェック」を広める活動をしているFIJ(ファクトチェック・イニシアティブ)の事務局長で弁護士の楊井人文(やない・ひとふみ)氏だ。
「まず、フェイクニュースの定義が非常に難しい。いわゆるフェイクニュースには、事実と異なる情報が意図的に発信され拡散する場合もあれば、単純に誤った情報がなんらかの理由で一気に広まるケースもあります。
また情報の発信元も、個人から団体や組織、さらには2016年のアメリカ大統領選の際にロシアがニセ情報を拡散した『ロシアゲート事件』のような国家レベルに至るまで、実に多様なのです。
法規制するにしても対象は情報の発信者なのか、それとも拡散者なのか。あるいは既存のメディアや、フェイスブック、グーグルなどのプラットフォーム事業者なのかという部分は難しい問題です」
楊井氏が続ける。
「そもそも事実と異なるニセ情報の拡散に関しては、刑法の『名誉毀損』や『偽計業務妨害』、公職選挙法の『虚偽事項公表罪』、金融商品取引法の『風説の流布』といった法規制がすでに存在しています。
これらの法律のように、ニセ情報がもたらす具体的な害悪が明確なもの以外に関しても、広くフェイクニュース全般を対象とした法規制を設ければ、表現の自由を制約する恐れがある。その場合、取り締まりの根拠となる『情報の真偽』を判断するのは、警察や検察などの公権力であることのリスクも忘れてはいけません」(楊井氏)
例えば、昨年マレーシアでは「フェイクニュース対策法」が施行されたが、その最初の適用はマレーシア滞在中のデンマーク人旅行者だった。首都クアラルンプールで起こった射殺事件をめぐり、SNSで「警察の到着が遅れた」などと主張する動画を広めたことで有罪判決を言い渡された。
また、それ以前に、同法で警察が捜査対象としていたのは、当時、政界復帰に向けて出馬準備を進めていた現在のマハティール首相だった。その背景には、マハティールの復活を阻止しようとする政治的な意図があったのではないかという指摘もある。
楊井氏が指摘するように、安易なフェイクニュース規制が政府や警察などによって恣意(しい)的に乱用される危険性についても、考える必要がある。
■ファクトチェックを社会全体で支える
その一方、法規制でニセ情報の発信を防ぐのではなく、「情報の真偽を確かめる手段」を個人や社会が持つことで、フェイクニュースの時代に向き合うのがファクトチェックと呼ばれる取り組みだ。前出の楊井氏が語る。
「対象になるのは、ネットの情報や既存マスメディアのニュース報道、政府の発表に政治家の発言、そして一般人の投稿や著名人の言説など、広く社会に影響を与える情報です。そして、その真偽を調査、検証して公表する活動がファクトチェックです。
日本ではまだなじみのない言葉かもしれませんが、欧米ではすでに定着していて、1994年に設立されたアメリカのSnopesや、2007年設立のポリティカル・ファクトといった代表的なファクトチェック団体が積極的に活動しています。
また、アジアでも韓国においてはソウル大学のファクトチェックセンターを中心に、新聞、テレビ、ネットメディアの計27社が加盟するファクトチェック団体がつくられ、政治家の発言やネット情報などに関して、真偽の検証結果を共通のサイトで公開しています」
ただ、ファクトチェックを実際に行なうと、必ずしも「嘘」と「事実」で分かれるのではなく、「一部だけ嘘」や「一部だけ事実」といったさまざまな段階があり、その判定は検証する人によって分かれることも少なくないという。
日本では、2017年からFIJが中心となってファクトチェックを推進する活動を続けていて、現在は中京テレビや琉球新報、ネットメディアのバズフィードジャパンなど12のメディアが「メディアパートナー」としてFIJの活動に参加している。
「今後、より多くのメディアがファクトチェックに加わり、それぞれの利害や政治的な立場を超えて、『情報の真偽を確かめられる場所』を社会全体で支え、共有してゆくことが、ニセ情報が飛び交う現代で事実を見極めるための大切なインフラになるのではないかと考えています」(楊井氏)
■アルゴリズムの改善や透明性を求めるEU
ところで、日本政府はこうした「フェイクニュース時代」にどう対処しようとしているのだろうか?
実は5月末から、総務省の有識者会議「プラットフォームサービスに関する研究会」でフェイクニュースに関する議論がスタート。EU諸国の先行事例などを参考にしながら、フェイクニュース対策について話し合われている。
ただし、ここでも法規制の導入には慎重な意見が強いようだ。
「私は情報の発信そのものを法規制することには基本的に反対です。表現の自由は民主主義にとって最も重要なものですから、それに対する法的な規制というのは極めて慎重であるべきです」
と語るのは、総務省の有識者会議で座長を務める東京大学大学院法学政治学研究科の宍戸常寿(ししど・じょうじ)教授だ。
「ただし近年、フェイクニュースの問題が深刻化している理由のひとつに、既存のマスメディアとは大きく異なる、フェイスブックやグーグルなどに代表されるプラットフォーム事業の特性があります。
プラットフォーム事業者は、ユーザーの交友関係や閲覧履歴などから『この端末でこの情報を見ている人はこういうタイプの人』というように識別・分類をしています。その上で、『この人にはこれが刺さる』という広告や記事、投稿などを選んで表示するようなアルゴリズムに基づいて、サービスが提供されています。
そのためユーザーは、自分好みにカスタマイズされた、自分と近い考えの情報にさらされ続けることになり、悪意のある情報の発信者によって操作されやすくなっているのです」(宍戸氏)
この問題を解決するためには、アルゴリズムの改善などでユーザーが自分の考えとは異なる意見や情報に接する機会を増やすなど、プラットフォーム事業者全体での対応が不可欠だという。
研究会の資料によれば、EU政府も、プラットフォーム事業者に対してファクトチェック体制の強化や、記事や広告表示に関するアルゴリズムの改善や透明性を求めるといった具体的な目標を示し、自主的な努力を求めている。
だが今や、フェイクニュースによる情報操作や世論操作が、国家や組織の「戦略的な武器」として使われ、フェイクニュースの発信自体が利益を生み出す「産業」にまでなりつつあるなか、自主的な対策で十分なのかは意見の分かれるところだ。
例えば冒頭で紹介した台湾では、フェイクニュースの拡散に対する法的な規制を支持する声が多いという。最後に、前出の野嶋氏がこう話す。
「忘れてはいけないのは中国や北朝鮮、シンガポールなどと違い、報道の自由、言論の自由が十分に認められている国だからこそフェイクニュースの問題は起こりがちだということです。その上で既存メディアの信頼が失われ、社会の分断が深まるほど問題は深刻化します。
アメリカやヨーロッパ、そして日本でも社会の分断が広まっていますが、今、台湾で起きていることはそうした国々の未来を映し出す小さな鏡なのかもしれません」