正月早々にこんな話をするのもなんだが、もはやこう言うしかない。「日本の水害は人災だ」と。
昨秋、連続で襲来した大型台風のみならず、年々ヤバさを増す日本の水害。その中でも「堤防の決壊リスク」についてリポートする。
河川の洪水を水際で食い止める堤防の強化は、異常気象化の進む日本で水害から人命や財産を守るために絶対欠かせない。しかし、なぜか国の腰は重い。その裏には何があるのか?
■重大な欠陥があった千曲川の堤防
昨年10月12日、静岡県伊豆半島に上陸した台風19号は関東・東北・中部地方で71の河川と140の堤防を決壊させた。そのことについて、京都大学名誉教授で河川工学者の今本博健氏がこう話す。
「日本の堤防は土で造ることが原則になっています。そのため、外見はコンクリートでも中身は土です。しかも、堤防に適した土質で造られているとは限りません。実際には崩れやすい細かな砂で造られている場合もあれば、ゴミが交じっていることもある。
水位が堤防を越えてあふれる『越水』や、増水した川の激流で堤防の法面(のりめん=斜面)が削られる『洗掘』などで、簡単に決壊するというのが実情です」
だからこそ堤防はその兆候を察知する日常点検や、脆弱(ぜいじゃく)になった箇所の補強が重要なのだが、台風19号による大雨で千曲川(ちくまがわ・長野市)の堤防が決壊したケースでは「そこに見落としがあった可能性がある」と今本氏はみる。
千曲川を管理する国土交通省北陸地方整備局によると、10月13日の午前0時50分頃に、決壊現場付近の千曲川の水位は堤防の最上部に達し、約2時間後にはさらに水位が80cmほど上昇した。
今本氏の現地調査ではその後、「約1kmの区間にわたって川が越水」し、「あふれ出た水の勢いで裏法面(住宅側の斜面)が削られて堤防は見る見る痩せ細り、最後には裏法面が崩れる形で決壊が起きた可能性がある」という。
国交省や専門家の多くは「想定外の雨量が原因」と強調するが、千曲川の堤防には重大な"欠陥"があった。
千曲川を長年調査し続けてきた、長野市在住の中沢勇氏は、2013年に出版した著書『千曲川への遺言』(川辺書林)で千曲川の越水・氾濫の危険性を警告していた。中沢氏がこう話す。
「今回決壊した堤防付近は長年にわたって上流から運ばれてきた土砂が堆積(たいせき)し、河床(河底)が上昇していました」
堤防は本来、洪水時に川が氾濫する危険が最も高くなると想定される水位(計画高水位)から一定の余裕(余裕高)を持たせた高さで設計される。千曲川の余裕高は1.5mとされていた。
「しかし、河床の上昇で余裕高が低くなった。千曲川は越水・氾濫の危険性が増していたのです」(中沢氏)
現地を視察した今本氏もうなずく。
「国交省が公表しているデータから推察すると、千曲川の決壊現場付近では増水した川の流量が9000tになれば水位は計画高水位に達しますが、決壊時の流量は約8500tだった。
河床の土砂を取り除く掘削工事や堤防補強が万全であれば決壊は免れていたはず。ここに河川を管理する立場にある国交省に瑕疵(かし)があった可能性があります」
■こんなにもある"危ない河川"
河川の堤防は維持管理が不十分だと脆(もろ)さが出る。旧建設省(現国交省)の土木研究所の元次長・石崎勝義(かつよし)氏がこう話す。
「粘土層など軟弱な地盤の上に造られた堤防は、その重みによって圧縮され、年1、2cm程度のスピードでじわじわと沈下します。15年に決壊して多くの犠牲者が出た鬼怒川の堤防も、決壊箇所は数十年をかけて最大1m30cmほど沈下していました」
国(国交省)が管理する河川の堤防のなかで、洪水時に越水や決壊が予想される箇所は「重要水防箇所」として指定されている。堤防の高さが足りなかったり、堤防が痩せていたり、過去に法面が崩れたり、水漏れが発生したが、その対策が取られていない箇所がこれに当たる。
重要水防箇所は河川ごとに公表されているが、その数はゾッとするほど多い。
東京都を流れる多摩川の下流域では堤防の総延長105kmのうち、約50kmの区間で320ヵ所。大阪府を流れる淀川は74kmの堤防のうち16.6kmの区間で79ヵ所。徳島県を流れる吉野川と那賀川(なかがわ)では144kmの堤防のうち、およそ6割に当たる約88kmの区間が「重要水防箇所」とされていた。
今回、千曲川の堤防が決壊したエリアも高さ不足で重要水防箇所に指定されていた。さらに2018年7月の西日本豪雨でも3つの重要水防箇所で堤防が決壊。これが岡山県倉敷市真備(まび)町で約50名の死者を出す原因にもなった。
このように、河川の氾濫や堤防の決壊の"兆候"が放置され、多くの人命が犠牲になる被害が近年相次いでいるのだ。
ところで、水害から人命を守る日本の治水は大きく、ダム整備と河川整備のふたつに分かれる。河川整備には川の拡幅工事や河底の浚渫(しゅんせつ)、堤防の築造や改修などが含まれるのだが、「ダムの建設や補強に予算が優先的に回され、河川整備が後回しにされてきた経緯がある」(今本氏)という。
だが、ダムの治水効果は限定的だ。前出の今本氏がこう話す。
「台風19号のときは八ッ場(やんば)ダム(群馬県)が東京・荒川などの氾濫を防いだと見る向きもありますが、当時、八ッ場ダムは試験運用中でたまたま空っぽの状態でした。もし、通常運用されていたら緊急放流されていた可能性も否定できません」
そのダムの緊急放流には大きな危険が伴う。
一昨年の西日本豪雨では愛媛県・肱(ひじ)川の野村ダムが満杯になり、安全とされる基準の6倍の量を放流した。結果、下流の堤防が決壊して肱川が氾濫、8人が亡くなった。
この緊急放流に国交省は「操作規則どおりで適切だった」と言うが、今本氏は「その操作規則自体に誤りがなかったかを検証する必要がある」と指摘する。ちなみに当時、緊急放流の操作を行なった現場の職員3名は精神的なショックを受け、「現在も休職している」(今本氏)という。
だが一方で、ダムは大手ゼネコンに莫大(ばくだい)な利益を生み、誘致した自治体には補助金が、誘致に貢献した政治家には建設業界から多額の政治献金が還流される。ダムは国交省にとって欠かせない利権なのだ。経済誌記者がこう話す。
「その"うまみ"は堤防補強の事業とは比較になりません。例えば八ッ場ダムの場合、86年当初の基本計画の事業費は2110億円でしたが、01年には4600億円に倍増され、16年には当初額の2.5倍となる5320億円まで膨らみました。
国交省はコストが増えた要因を地滑りの安全対策(141億円)や地質の見込み違い(202億円)、工期の延長などと釈明しましたが、受注業者から地元選出の自民党議員や県議会議員に多額の献金が流れ、その献金業者の多くが談合も疑われる90%超の高落札率で工事を受注していた事実が明らかになった。
ダムマネーをめぐるこうした癒着構造は批判の的となり、民主党政権に代わってからダム事業は一時トーンダウンしましたが、第2次安倍政権下でジリジリと予算が増えていったんです」
前出の石崎氏がこう続ける。
「これまで東京都など一部を除く、ほとんどの県の土木部長のポストは国交省の役人の"指定席"になっていました。市町村でも、土木部の部長に国交省の役人が出向しているケースが少なくありません。現在は減りつつありますが、こうして"ダム最優先"の治水政策が行政の末端までコントロールされているのです」
総務省のデータを見ると、17年10月時点では岩手県、山形県、千葉県、福岡県、長崎県など17県で、国交省の役人が土木部門のトップに着任していた。
■堤防強化の特効薬はすでに存在するが......
国交省は来年度予算として、ダム整備(1834億円)とほぼ同額の1814億円を河川整備に投じる見込みだ。この数字を根拠に、国交省は「決してダム依存ではない」(治水課)と強調している。
だが、西日本豪雨や台風19号で被害を受けた被災地の復旧に予算が集中したことで、そのほかの地域の堤防補強など、重要水防箇所のカバーが遅れているのは否めない。
さらに、こんな問題もある。石崎氏が言う。
「国交省の河川整備、特に堤防の建設や補強の設計に無視できない問題がある。堤防は国交省の政令(河川管理施設等構造令)に基づいて設計され、そこには堤防満杯の水位ではなく、計画高水位までの川の圧力に耐えられるよう設計すれば良しとされているだけで、越水対策には言及すらしていないんです。これでは越水や決壊に関しては"国は責任を持てない"と言っているのと同じです」
近年は異常気象の影響で、想定を超える雨が長時間にわたって降り、河川の越水を封じ込め切れない事態が相次いでいる。
「日本における堤防決壊の7、8割は、川の水が堤防を越えることで引き起こされる『越流破堤(えつりゅうはてい)』。千曲川や鬼怒川で起きた決壊もこれが原因でした。やはり、日本の治水政策で、今重視しなければいけないのは堤防の強化です。しかし、国交省は堤防整備に関して驚くほど消極的なんですよ」(石崎氏)
その姿勢はこんなところにも表れている。実は、効果的に堤防を強化する工法はすでにいくつか存在している。
「そのひとつが『アーマー・レビー工法』です。堤防の裏法面は越水で簡単に浸食され、決壊に直結しますので、アスファルトやブロック、止水シートで被覆することで堤防全面を"防水化"させます。費用は1m30万円から50万円と、ダム建設に比べれば格段に安く整備が進められるものでした。
旧建設省時代の土木研究所で開発され、加古川(兵庫県)の堤防で実施した試験施工でその効果が実証された後、2000年に想定以上の雨で堤防が決壊する水害を防ぐ方法として、『フロンティア堤防』の名称で本格的に整備されることになりました」(石崎氏)
97年の建設白書によると、治水事業5ヵ年計画として「越水に対し耐久性が高く破堤しにくいフロンティア堤防の整備を進める」と明記されている。その内容は全国に通知されたという。
「その後、全国の河川で計250kmの整備が計画され、信濃川(新潟県、長野県)など計13kmで工事が行なわれました」(石崎氏)
だが、02年に突然、この事業は廃止された。
「熊本県の川辺川(かわべがわ)ダムの建設計画に反対する市民団体が、『これがあればダムなんていらないじゃないか!』と、フロンティア堤防を根拠にダム不要論を声高に訴えるようになり、これを数多くのメディアが取り上げた。
こうした世論の動きに、『ダム建設の妨げになる』と危惧した建設省河川局OBの横やりがあったんです。以後、建設白書や河川堤防の設計指針に明記されていたフロンティア堤防に関する記述はすべて削除され、計画自体が葬り去られてしまいました」(石崎氏)
効果的な堤防強化策はほかにもある。今本氏がこう話す。
「堤防内部に鋼矢板(こうやいた・鉄の板)を打ち込む工法もそのひとつ。東日本大震災のとき、偶然工事中だった水門の周辺の堤防に使われていたのですが、津波で周囲の堤防が全壊するなか、鋼矢板が打ち込まれた箇所だけは微動だにしなかった。
コストは1m100万円程度とアーマー・レビー工法に比べれば高いですが、それでも補強を決壊リスクの高い箇所に絞ればダム建設よりは安価に済む。現在、南海トラフ地震に備え、高知県では海岸や河川の複数の堤防強化にこの工法を採用しています」
しかし、高知県以外でこの工法を取り入れようとする動きはほどんどない。
国交省は15年の鬼怒川決壊を契機に再度、堤防強化に本腰を入れ、その手法は「危機管理型ハード対策」と呼ばれる、天端(てんば・堤防の上部)と裏法面の最下部の2点を補強するものだ。
「それでは不十分です。あふれた川の水で最も損傷を受けやすいのは堤防の裏法面で、ここが削られることが決壊に直結するのです。裏法面を補強しないことには意味がありません。実際、昨年の西日本豪雨ではこの危機管理型ハード対策で整備された小田川(岡山県)の堤防が脆くも崩れ去りました。
国はかたくなに、堤防強化で最も肝心な裏法面の補強をやりたがらない。本当に水害をなくしたいという思いがあるのでしょうか。水害が起きれば事業予算も増える。そのために意図的に堤防強化を軽視しているんじゃないかと疑ってしまうくらいに、国交省の河川政策はズレています」(石崎氏)
現在、国の治水政策は国交省の治水課が担っている。ダム事業も堤防強化事業もこの部署の担当だが、石崎氏の言う「建設省OB」は今も背後で治水行政を操る"裏ボス"的存在なのだという。
異常気象が深刻化するなか、日本の水害は予想がつかないほど凶悪化しているが、国の治水政策はダム利権にからめ取られて、進歩がない。今年、昨年よりも凶暴な台風や大雨が襲ってくる可能性は低くないし、もしそうなったら、このままではさらに多くの堤防が決壊するだろう。
■『週刊プレイボーイ3・4合併号』(1月4日発売)のワイド特集『2020年代の面白がり方』で『異常気象と大地震が連続! 東京は「天災迎撃都市」になる!』を掲載。さらに、日本にとってもボクらにとっても正念場となる10年を楽しく生きる20のツボを全52ページで特集する