アジア映画初の快挙を成し遂げたポン・ジュノ監督(50歳)Ⓒ2019 CJ ENM CORPORATION,BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED

2月10日(日本時間)、米アカデミー賞の受賞作が発表され、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が最多4部門を受賞した。なかでも最も栄誉があるとされる「作品賞」を英語圏以外の映画として史上初めて獲得するなど、同賞の歴史を塗り替える快挙となった。

これに先立つ今年1月、『週刊プレイボーイ』記者は韓国へ突撃取材。劇中でもインパクト大だった「半地下の住まい」のリアルを追ってみると......そこには貧しくも意外と楽しそうな生活があったり、「半地下リノベーション」が各地で進んでいたりと、映画だけではわからない実態があった!(『週刊プレイボーイ7号』「現地ルポ 韓国『半地下アパート』の生活実態!」より)。

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■都市部で進む"チェ・ゲバラ"

1月のソウルは寒い。朝は氷点下6℃あたりまで冷え込み、日中は3℃くらいをピークにまた下がるという塩梅(あんばい)で、これから半地下住居を訪ね歩くつもりの私には決して優しい気候ではない。

暖気も兼ねて、まずはホテルのある松坡(ソンパ)区(ソウル特別市、以下同)・蚕室(チャムシル)の街を歩き、半地下の住居を探す。ここはロッテグループのお膝元で、どこにいてもロッテワールドタワー(123階建て、地上555m)の宇宙船じみた巨体が見える。周囲には高層マンションが林立している。

ソウル在住の20代男性によると、半地下の住居は「貧しい人や、没落した人たちが住んでる印象です」という。ここ蚕室とはあまり縁がなさそうだが、念のため不動産屋を訪ねた。

「半地下物件ですか? 昔はありましたが、この辺りはもう"チェゲバル"ばかりで残っていませんよ」

別の不動産屋でも、半地下について訊(き)くとお約束のように「チェゲバル」という言葉が返ってくる。これがあると半地下の住居がなくなるらしい。「チェ・ゲバラ」にも聞こえるが、いったいなんのことだ? と、少し遅れて韓国語の音が脳内で漢字変換される。ああ、「再開発(チェゲバル)」か!

「半地下」はそもそも、1960年代から70年代――「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる韓国の高度経済成長の時期――にかけて、人口が急増した都市部で住宅不足を解消するためにできた住居形態だそうだ。アパートなどの1階の下にさらに半地下階を設ければ、その分キャパが増える。北に脅威を抱える韓国のこと、防空壕の役割でできたものもあるだろうが、主な目的は住まいを増やすことだった。屋上に小屋を置く「屋塔房(オクタッパン)」もそうで、いずれも家賃が安いのが特徴だ。

しかし、再開発が進む地区では、わざわざ半地下など造らず上に1階増やすだろう。昔の住居が残っているエリアを探してみることにした。

■半地下がいっぱい

タクシーを拾い、古い町並みが残る東大門(トムデムン)区の清涼里(チャンニョンニ)周辺に向かった。幸い運転手は親切で、道をよく知っていた。

「あの辺りで半地下がありそうな所は、韓国外国語大学の付近ですね。古いアパートが残ってますよ。チェゲバルがなければ」

勧められた地区で降り、大通りから路地に入る。すると、外界をうかがう潜望鏡のように、地面すれすれに穿(うが)たれた窓が見えた。

アパートの半地下部屋。地面から約1m下の位置に玄関がある。窓越しから住人と話すときは、こちらがかがみこむ形になる

映画『パラサイト 半地下の家族』(以下、『パラサイト』)は、主人公が半地下の高窓から外を見るカットで幕を開ける。カメラはやがて窓の中に入り、下に動き、貧しい一家を追い始める。映画の冒頭から強烈な印象をもたらしたあの窓が、私の足元にある。半地下だ!

そこは戸建て風のアパートが並ぶ住宅地で、ほとんどすべての棟にこの窓があった。さあ突撃訪問だ。住人はいったいどんな暮らしをしているのか。5段ほどの階段を下りて、地面から約1mの半地下にあるドアの前に立つ。意を決して呼び鈴を鳴らす......が、不在。ほかの半地下の部屋も訪ねてみたが、どこも不在か、扉越しに断られるばかり。6軒中2軒のドアの向こうで、小型犬がキャンキャン鳴くのが聞こえた。

「誰を探してるんですか?」

何かの調査だろうか、クリップボードを手に一軒一軒回っていたパンチパーマの女性がきつい口調で訊いてきた。取材の趣旨を伝えると、「それでお金はどれくらい出すの?」とくる。

謝礼の金額を話すと、女性は急ぎ足で歩き回りながら2名に電話してくれた。だがどちらの人も、NG。

地面すれすれに設置された窓。これは半地下の部屋から見ると高窓になる。窓が開いた状態で立ちションでもされたら大惨事だ

その後、3階建ての集合住宅が並ぶ団地に入った。いずれの棟も半地下付きだ。ここでようやくひとり、50代の男性A氏が取材に応じてくれた。

「1年ほど前から暮らしていますが、電気も通っているし、水も出るし、快適ですよ。トイレが外(団地内の公衆トイレ)なのを除けば、ほかの住宅と変わりません」

ここの半地下は水場と居住区のふた間。技術職のA氏は水場を半ば倉庫にし、居住区を作業場にしているそうだ。お家賃はなんと15万ウォン(約1万3850円)! しかも鉄の外扉と部屋の扉で二重に外界から隔てられ、作業に集中できそうな環境だ。

■「聖地巡礼」と覗き見取材

『パラサイト 半地下の家族』のロケ撮影で使われた麻浦区阿峴洞(アヒョンドン)の一角。このあたりでも半地下の住居はいたるところで見つかった

麻浦(マポ)区阿峴洞(アヒョンドン)。ここには映画のロケに使われた一角がある。タクシーでソウル駅方面からそこに向かっていると、景色の劇的な変化がそのまま時代の地層を見せつけてくるかのようだ。

丘の上に再開発のタワーマンションが並んでいる。映画の印象とはまるで異なり、目的地を間違えたのかと思うほどだ。ところが急な坂を上り切り再開発地区を過ぎると、丘の反対斜面に、『パラサイト』で見た、ごみごみした町並みが広がっていた。

ロケが行なわれた「豚肉スーパー」には「『パラサイト』が撮影された私たちのスーパー」と控えめに書かれた張り紙があった。

そして、ここにも半地下物件はたくさんあった。

「この辺りの半地下の家賃は40万ウォン(約3万7000円)前後。今はベトナム人やフィリピン人など外国人労働者が借りることが多いですね」(不動産屋の女性)

そしてやはりひたすら断られる訪問取材を重ねたのだが、訪ね歩くだけでも暮らしの姿はそれなりに見えてくる。例えば半地下の玄関前に折り畳み式の物干し台が置かれているのをよく目にした。少しでも外気と日に当たるようにしているのだろう。地上に干した布団を取り込もうとしている中年女性を見かけ、訊たずねるとやはり半地下の住人、ということもあった。

また、玄関が沈んでいるので吹きだまりのようになりがちだが、住む人の暮らしを映して「入口通路」の印象ががらりと変わる。日本でいうボトル焼酎「大五郎」のような空きパックが乱雑に捨てられている家もあれば、子供用の自転車や鉢植えなどが所狭しと整頓されて置かれている家もあった。

半地下の入り口通路の一例。段々になっている細い道に、植木鉢や子供用の自転車などが並べられている。ここに洗濯物も干すようだ

このように、半地下の暮らしは思ったよりも多彩だ。しかし時折、半地下の家の外からでも"カビ臭さ"を感じるなど(映画本編でもこの臭いは重要な伏線になる)、その暮らしの貧しさをうかがわせた。

次に向かったのは恩平(ウンピョン)区鷹岩三洞(ウンアムサムドン)。一昨年の夏の豪雨で半地下住宅に大規模な浸水被害が発生した地区だ。『パラサイト』でも、半地下を襲う水の脅威が巧みに描かれていた。だから話の糸口をつかみやすいかも、と期待して訪ねたのだが、ここでは半地下暮らしの寂しい実態を垣間見ることになった。

ある家では寝間着姿の老人がドアを開け、「耳が聞こえないんだ」と調子外れの大声で言った。民芸品風の細長い卓の上に、トイレットペーパーが5つも6つも積まれている。筆談で意図を伝えると、顔をしかめて「ダメだダメだ」とうなり、ドアを閉める。

またある家では、ドアが開いたが誰もいない。と思ったら足元に老婆が座り込んでいた。完全に足腰が利かないらしく、両手を床について室内を移動している。

「話すことなんか何もありませんよ」

玄関先に膝をついて目線の高さを合わせ、少し粘ったが、取りつく島もなかった。

■半地下をリノベーション!

半地下は近年、住居以外での活用が盛んになっているようだ。例えば、前出・恩平区の鷹岩二洞(イドン)では、高台にある住民センターの半地下倉庫を3年前にリフォームし、地域の人々が自由に団欒(だんらん)できるカフェ兼共用キッチンとして蘇(よみがえ)らせ、好評を博している。

同センターのパク・ソニョンさんは「私たちはここを"半地下"と呼びたいんだけど、観光省の扱いは『1階』なんですよ」と楽しそうに語る。彼女は幼い頃に半地下の家に住んでいたそうだ。ただ、その暮らしぶりについては、「半地下の家は換気が悪くて、カビが生えるからいやでした」と手厳しい。このカフェのように、生活から離して初めて好きになれたのだろう。

半地下が意外な形でイノベーションを生むこともある。所変わって仁川(インチョン)国際空港のある仁川市。ソウル市内ならまだ、安いからという理由で半地下に住みたがる人はいる。ところが仁川辺りに来ると家賃相場が安いので、普通のアパートやワンルームに人が流れ、その結果、半地下の空き家が増えている。

この現状を憂え、仁川在住の実業家チェ・ファン氏(34歳)が始めたのが「空き家バンク」だ。空き家を改修し有効利用法を提案する組織で、同様のものはわが国にもあるが、相手が半地下となると思いもよらない用途が生まれる。

半地下農園で栽培した「仁川・松茸のかおり椎茸」と考案者のチェ・ファン氏。売り上げは好評で、地域振興としても注目される(写真提供/チェ氏)

なんと、チェ氏らは、カビが育ちやすいという半地下の欠点を逆に生かして、椎茸の栽培を始めたのだ。たまたま農家の人と話をしていて、半地下の温度と湿度がキノコの培地に適していると知り、思いついたそうだ。

「現在、20の半地下椎茸農場があります。まだローカル市場にしか出していませんが、よく売れてますよ。なにしろ空き家の近所に住む方々にささやかな仕事を提供できたのがうれしいです」(チェ氏)

この取り組みは昨年、韓国の「社会イノベーション大賞」に輝いた。

「今度、国連にも事例紹介することになりました。空いた空間をどう生かすかが持続可能な都市づくりにつながると考えています」(チェ氏)

半地下産キノコの商品名は「仁川・松茸の香り椎茸」。カビ臭さから松茸の香りとは、えらく出世したもんだ。

仁川市内では半地下をリフォームした美容院にも巡り合えた。店主のキョンヒさんは、初老の女性客にパーマをあてる手を休め、愛想よく取材に応じてくれた。

「去年5月にオープンしました。それまでは友達がここで、居酒屋を経営していました。半地下の用途は増えていると思います。ただ、台風の時季には水が入ってくるのが厄介。そのたびに拭かなくちゃ」

石組み柄のマットで丁寧に壁を上張りし、そこは本当の石壁のような高級感があった。

■愛と青春の半地下

その夜、ソウル市内のバーで出会った27歳の独身女性・スジンさんは、22歳のときから2年にわたって半地下物件で暮らした経験を持つ。間取りは2Kで、月30万ウォン(約2万8000円)の好条件だ。国産ビールよりギネスが好きという彼女に一本振る舞い、話を聞いた。

「半地下のいいところは、『夏涼しくて、冬暖かい』ことです。私が住んでいたときは水害もなく、快適でしたよ。カマドウマが多いのはいやだったけど(笑)」

彼女の言う半地下の長所は韓国ではよく知られているようだ。甕(かめ/酒や水を入れる土器、陶器)を地中に埋めて温度を保つことになぞらえ、「キムチ甕理論」と呼ぶらしい(パン・ヂサン著『江南マンションよりも半地下がよい』より)。確かに、この日ドアを開けてくれた住人は薄着が多かった。

当時の写真を見せてもらうと、ブルーに塗り直した壁に絵や写真がたくさん張られ、かわいらしい空間になっている。窓の下でポーズを取る写真もあった。

ふと『パラサイト』に登場する一家の娘・ギジョンを連想した。嵐の晩に彼女がトイレの蓋(ふた)の上に座り込んでたばこを吸うカットは、作中屈指の美しさを醸していたものだ。

「トイレはどうなってた? やっぱり高いの?」

「はい。3段上って、そこがトイレ!」

リズミカルに手で段を踏むまねをし、ほほえんだ。下水への流れを良くするため、半地下では化粧室の床を高くしている所が多いのだ。

半地下美容室のトイレ。韓国の半地下のトイレは、やたら高い位置に設置されていることが多い。下水管が床よりも高い位置にあるため、水圧が弱いと汚水が逆流することがあるからだ。一部の半地下のトイレは天井すれすれの高さにトイレが設置されているという

彼女がその住まいを離れたのは、通勤の便のためで、それ以上でもそれ以下でもなかった。

「当時のボーイフレンドをうちに呼ぶことも普通にありましたよ。恥ずかしさ? 別に感じてません。でも......今この年で住むことになったら、恥ずかしく思うかも」

「社会的な地位を意識して?」

「そのとおりです」

半地下でのホームパーティの写真も見せてくれた。半地下の入口前の通路、敷地内で一番高い所に板を敷き、その上に座り込んで豪勢な肉料理とワインを楽しんでいる。相手は当時の彼氏だろう。ギネスの瓶も写っていた。

『パラサイト 半地下の家族』のワンシーン。昨年にはカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞。アカデミー賞作品賞をWで獲得した作品は64年ぶり Ⓒ2019 CJ ENM CORPORATION,BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED

■前川仁之(まえかわ・さねゆき)
1982年生まれ。文筆家、旅行家。著書『韓国「反日街道」をゆく:自転車紀行1500キロ』(小学館)など。スペイン語、韓国語など外国語が堪能