宮城県牡鹿(おしか)郡女川町(おながわちょう)女川駅前の墓地にて。震災直後の現地の写真と現在の写真を重ね合わせ、被災地の変遷を辿る八尋の活動も今年で9年目を迎える(2012年の写真) 宮城県牡鹿(おしか)郡女川町(おながわちょう)女川駅前の墓地にて。震災直後の現地の写真と現在の写真を重ね合わせ、被災地の変遷を辿る八尋の活動も今年で9年目を迎える(2012年の写真) 同じ場所の2020年の写真 同じ場所の2020年の写真

3月11日で東日本大震災発生から丸9年が経つ。

この季節、毎年のように被災地を訪れ街の変遷を記録している写真家・八尋伸(やひろ・しん)は、現地の変化をこのように語る。

「暖冬も大きな要因だと思いますが、昨年までよりも出歩く人を多く見かけた気がします。震災の翌年......2012年時は皆、日常を取り戻すのに必死でピリピリしていたのですが、街の雰囲気もずいぶんと穏やかになってきている。

思い返せば2~3年前がストレスのピークだったのかもしれません。当時はまだ仮設住宅で暮らしている方も大勢いて、(仮設を)出た方も新しい生活に慣れようと日々精一杯な印象でした。

もちろん、話を聞くと未だ困難を抱えた方もいるのですが、そうしたケースでも以前より前向きになっているように思います」

八尋が訪ねた岩手県上閉伊(かみへい)郡大槌町(おおつちちょう)では、この1年のあいだに新しい防潮堤が完成し、津波で寸断された三陸鉄道リアス線も8年のときを経て開通、運行を再開している。

なかには、巨大な防潮堤に「海が見えなくなってしまったのが残念」と嘆く声や、再建が進むにつれ変わってしまった街並みを見て「寂しい」と心情を吐露する声もある。すべては元に戻らない。それでも彼らは、少しずつ日常を取り戻している。

八尋は言う。

「この撮影は、あの記憶を自身も含め、人々がどう受け止めていくのかを記録することだったのかと最近思うようになりました」

岩手県上閉伊郡大槌町の街はずれにて(2012年) 岩手県上閉伊郡大槌町の街はずれにて(2012年)

同場所の2020年。震災直後は自衛隊のヘリの到着場所になっており、ブルーシートにくるまれた遺体が次々と搬送されていった。2020年現在では側面の山に新たな道路も開通し、建築資材置き場として利用されている 同場所の2020年。震災直後は自衛隊のヘリの到着場所になっており、ブルーシートにくるまれた遺体が次々と搬送されていった。2020年現在では側面の山に新たな道路も開通し、建築資材置き場として利用されている

■八尋 伸 Yahiro Shin
1979年生まれ、香川県出身。2010年頃からタイ騒乱、エジプト革命、ミャンマー民族紛争、シリア内戦、東日本大震災、福島原発事故などアジア、中東の社会問題、紛争、災害などを取材、発表。東日本大震災の被災地には2011年、12年、14年、16年、17年、18年、19年、20年と訪れ、1枚の写真で同じ場所を写す活動を続けている

★『週刊プレイボーイ12号』(3月9日発売)には、宮城県気仙沼市、宮城県牡鹿郡女川町、岩手県上閉伊郡大槌町で2012年、2020年にそれぞれ撮影した街の写真も掲載中です。