数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。
前回に引き続き、『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐』を上梓した斎藤幸平さんとオンライン対談。鬼才の経済ジャーナリストが本作への思いを語ります!
* * *
――最近見た映画で、感銘を受けた作品はありますか?
斎藤 『アーティフィッシャル 絶滅への道は、善意で敷き詰められている。』(2019年)というドキュメンタリー映画です。アウトドアブランド「パタゴニア」の創業者がプロデュースした作品で、野生のサーモンを絶滅から救おうと取った行動が、結果的にその数を減らす要因になっていることを描いています。
出てくる人はみんないい人なんです。「鮭を守りたい」と思って人工孵化や養殖で、鮭を救おうとするのだけど、そうすればするほど鮭が弱り、本能が失われ、遺伝子が劣化していく。自然の複雑さは、人間が少し手を入れたところでどうにかなるものではないということを感じさせます。
――そもそも、「どこまでが自然なのか」という話にもなりそうですね。
斎藤 実際、人間の手が加えられていない自然は残っていないし、だからこそ、「後戻りはできないから、技術でなんとかするしかない」という考えが生まれる。地球環境を人間が管理するしかない、というわけです。
でも、そういう傲慢なことをしていくと、われわれ人間はどんどん絶滅に近づいていくのではないか。『アーティフィッシャル』が扱うのは野生のサーモンですが、この映画が究極的に伝えたいことって、そういうことなんじゃないかなって。
――ほかに人生を動かした作品は?
斎藤 ベタだけど『ブレードランナー』(1982年)。この映画は、科学技術によって人間を超える存在となったレプリカントを描いてますが、まさに人間が自分の自然も変えてしまう世界の話なわけで。
――そっか! 今の鮭の話と『ブレードランナー』のレプリカントの話ってかぶってますよね! どこまでがナチュラルな人間で、どこまでがナチュラルな鮭かみたいな。
斎藤 そうなんです!『ブレードランナー』で描かれた世界って全然幸せじゃなさそうですし、「本当の人間らしさとは?」とか「どういう生き方をしていくべきか?」といった命題を突きつけている。
これ、まさに『未来への大分岐』のテーマと重なるんです。「技術を使って金儲けしよう」「なんでも開発していこう」という風潮がより強まっているけど、それで本当にいいんだろうか。むしろ、今こそ線引きや制御をすべきではないか。その範囲内で生きていかないと、取り返しのつかないことになってしまうのではないか。そういうことをテーマに書いた本なんです。
――内容がとても濃くて驚きました。この本は1億3000万人、日本人全員が読むべきですよ。賛成だろうが反対だろうが、「その議論そのものを知っておいたほうがいい」という意味合いで。
斎藤 ありがとうございます。
――より詳しく言うなら、テレビに関わる人間こそ読むべきだと思ったんです。
斎藤 と言いますと?
――その説明の前に、少し自分語りをさせてください。実は僕、去年から東大の大学院に通っていて、『文化資源学』を学んでいるんです。なぜこの年齢で通い始めたかというと、僕のなかで「学問をプロデュースしたほうがいい」という思いがあって。
斎藤 それ、すごく大事だと思います。
――優秀な研究者や教師がたくさんいるからこそ、学問の深さを突き詰めることや、生徒に面白く教えることがすでにできている。でも、学問自体を面白くしようとする人はなかなかいらっしゃらない。そこで、バラエティ番組のプロデューサーとして培った経験を学問と結びつけたら面白いんじゃないかと思ったんです。
大学院に通い始めて感じたのが「もし、この授業を今のテレビマンが受けたら、薄っぺらいことをしなくても視聴率を取る番組が現れるんじゃないか」ということで。テレビってどうしても、いかがわしく、低俗に、おバカにまとめないと成立しないという空気があるんですけど、無理にそうする必要ないぞ、と。
斎藤 ちなみにどんな授業を受けてそう思われたんですか?
――禅思想の授業です。スティーブ・ジョブズが禅思想をもとに、どのようにしてiPhoneを作ったのかという内容で、すごく面白かったんですね。でも、一方で「もし22歳の僕がこの授業を受けていたら?」と思ってしまって。
つまり、当時の自分ならきっと「単位取りやすいかな?」とか「出欠取るのかな?」とか、そういうことばかり考えていたんじゃないかと。だからこそ、「この年で受けたからこそわかることがある」と実感したんですよね。
斎藤 確かに、年齢を重ねてからもいろんな形で学べる場を用意するのは大事だと思います。最近はYouTube大学など、新しい形態の学び場が出てきていますけど、とにかくいろんな形で教育を<コモン>、つまりみんなの共有財産にする、とでも言いましょうか。
知識は本来、お金を払ってセミナーとかに参加しないと得られないものじゃない。知識は、人類の共有財産<コモン>です。今、日本の大学もどんどん授業料が上がっているけれど、本当は、学びたいと思う人がいつでも戻って来られる場所にしないといけない。
――そして、『未来の大分岐』を必読書にしたり、大人になってからも学び直せる環境を整えたりすることで、社会全体の感性や知性を上げるべきだと僕は思うんです。
そうすれば、必然的にコンシューマーのレベルも上がって作り手も儲かるだろうし、人文知を知ってる人が増えれば、「高いけど、これはいいモノだよね」と考える人も増えるはず。出版でも、レベルの低い読者しかいないと、「安いモノがいい」「字の大きいモノがいい」となってしまうじゃないですか。
斎藤 そうですね。売れるだけを目指すと、むしろ内容が陳腐で、表層的なモノになってしまう。それは読者をなめているのではないでしょうか。僕は研究者として、学術論文を書くことが本分だけれど、その内容を広く社会に発信していく義務もあると感じています。
簡単な入門書にとどまらない、挑発的なものを、これからは書きたいですね。それがこれからの時代に求められるものだと持っています。実際、今日、少しだけ触れた環境問題もテクノロジーの問題も、昔からずっと言われてきたことだけれど、本当に人類の存亡に関わるところまで危機が深刻化しています。
未来があるかないかが、私たちの選択によって決まる「大分岐の時代」だからこそ、社会を変えていくために、本当に意味がある知識を伝えていきたいと思っています。
●斎藤幸平(さいとう・こうへい)
1987年生まれ。権威あるドイッチャー記念賞を史上最年少で受賞した若き経済思想家。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授
■『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐』
(集英社新書)