『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書)の著者で、財政学者の井手英策氏。ベーシックインカムとは異なり、医療、介護、教育などのサービスを直接給付する「ベーシックサービス」を提案している

日本の勤労者の収入がピークを迎えた1997年以降、格差は拡大し、世帯所得300万円未満が33.6%、400万円未満では47.2%を占めている(平成30年国民生活基礎調査)。

経済不安や老後不安が高まる中で、「今こそ経済成長に依存しない社会へと舵を切るべきだ」と説くのは慶應大学経済学部教授の井手英策氏だ。新刊『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書)では新自由主義を徹底的に検証・批判し、「悪魔のように嫌われても」消費税増税による「ベーシックサービス」の提供を提案している。井手氏が描く社会像とは――。


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──まず、新型コロナウイルス関連の政策についてお聞きします。政府は現金10万円の一律給付を行ないました。さらに、与野党で消費税減税の声も上がっています。こうした状況をどう見ていますか?

井手 今、多くの人が不安を感じているのは事実です。ただし不安には2種類あることを考えるべきです。ひとつは、コロナ禍によってまったく収入がなくなる/なくなった人たちの不安です。非正規雇用やフリーランスの人が多いと思います。もうひとつは、すぐに収入がなくなるわけではないけれど、第2波、第3波が来たら、あるいは長期化したら、来年、再来年どうなるだろう、という不安です。

この短期不安と長期不安を区別しなければいけないのに、みんな不安だからと一律に10万円を配ったのは、僕に言わせればムダ使いです。大企業や富裕層は影響が少ないのだから、彼らにもっと税金をかけなければおかしいんですよ。左派やリベラルはハッキリそう言うべきなのに、消費税減税だと言う。

──消費税減税の何が問題ですか?

井手 所得によって全世帯を5つに分けると、最富裕層の年間消費額は平均470万円、低所得層のそれは平均160万円と、約3倍の差があります。コロナ対策で例えば消費税を5%下げるとすると、低所得層に8万円返ってくるのに対して、最富裕層には24万円も返ってくる。お金持ちにより多くの現金が戻る減税が、コロナ危機のこの状況で国民に納得されると思いますか? 本気ですか?と聞きたい。

──井手さんならどうされますか?

井手 消費税を5%下げると税収は14兆円減ります。僕だったら、減税するくらいなら国債を発行して借金をします。そして、ベーシックサービス(医療、介護、教育など誰もが必要とするサービス)の充実に当てる。医療費や介護の自己負担額を思い切って軽減する。大学授業料もタダになる層を増やします。

さらに、富裕層・大企業への増税を行ない、低所得層に直接届く現金給付を増やすでしょう。全員が受益者になり、痛みを分かち合う戦略です。これを1年間国民に体験してもらった上で、「サービスの自己負担軽減を続けたいですか? そのためには消費税増税が必要になりますが、どうしますか?」と問います。

──今回の新刊でも、経済成長がなくても安心して暮らせる財政改革を提言しています。その具体策のひとつが、消費税を増税してベーシックサービスを提供すること。消費税は一般に、貧しい人の負担が大きい「逆進性」が問題となりますが、そこばかり強調するのは「木を見て森を見ず」だと指摘していますね。

井手 僕は消費税増税を訴えるので、「反消費税派」からも悪魔のように嫌われるんですが、増税を分配(使い方)とセットで語るのは財政学のイロハのイなんです。消費税に逆進性があったとしても、すべての人たちにベーシックサービスを給付していけば結果的に低所得層は得をします。単純化して説明すれば、年収1億円の人に100万円分のサービスを提供してもたった1%分に過ぎないわけですが、年収100万円の人に100万円分のサービスを提供したら100%分のメリットがある。

反消費税派の人たちは不思議なんです。消費税で取ったお金をすべて低所得層に使う、と言えばいいはずです。なぜそう言わずに増税反対というのか。また、国債を増やして現金をさらに給付するという主張もありますが、税の痛みのないバラマキは政治や民主主義への無関心を生みます。将来の負担につながることだから、今いらないものや、どうしても必要なものを議論する。それが民主主義であり、税があってこその「財政民主主義」なんです。民主主義を犠牲にしてまでお金をバラまけというのは、政治家的には自己の存在否定であり、社会的には全体主義への道です。

──「喜びとともに痛みを分かち合う社会」を目指そうと訴えています。そのためにカギになるのが消費税だと。

井手 日本では、所得が生活保護の基準を下回る世帯のうち、実際に生活保護を利用しているのはわずか15、16%と言われています。雇用が不安定化し、所得が増えず、貯金もままならない状況なのに、日本人は「人様のご厄介になりたくない」というメンタリティが強い。歯を食いしばって耐えているから、生活保護利用者に対するバッシングも起きます。

一方、ヨーロッパでは、生活保護を使ってよければ8、9割の人が使います。だって「権利」ですから。生活保護は誰かに助けてもらっているのではなく、生きていく権利なんです。ただ、その意識が日本では弱い。だから、お金持ちも貧しい人も、お年寄りも若者も外国人も、すべての人が税金を払う代わりに、すべての人がベーシックサービスを受け取る権利を持つ社会に変えていくんです。現金給付ではなく、サービスを直接給付することによって、「国のご厄介になる」という意識は小さくなります。

──現在、ベーシックインカムの議論が活発になっていますが、なぜベーシックインカムではなく、サービスなのでしょうか?

井手 実現可能性が高いからです。そもそもベーシックインカムは、働くか、余暇を楽しむかを自由に選べるようにすることに狙いがあります。10万円の一律給付で、みなさんは仕事を休んでバカンスを楽しみましたか? そうではないはず。欲しい物を買うか、多くの人は貯金したでしょう。それなのに13兆円ものお金がかかったんです。これは幼保無償化14年分、大学無償化5、6年分のお金です。また、単身世帯への生活保護支給額は平均で月12万円といわれていますが、これを全国民に給付するとなると、約173兆円必要になる。一瞬にして国家予算が破綻します。

ベーシックサービスは17兆円くらいで実現できます。とても安上がりなんです。要らない人は使わないですから。大学がタダになっても、すでに卒業した人は入り直さないでしょう? でも、必要な人にとっては劇的に暮らしが楽になる。一方、年間10万円の現金給付だと、子供ひとりの大学の学費を貯めるのに40年かかります。ベーシックサービスが提供されれば、将来不安も解消されて、子供の数も増えると思います。

政府が税を福祉に使ってくれるのか疑問視する人も多いでしょうが、安倍政権は消費税を2%上げるときに幼稚園・保育園の無償化を進めました。僕たちが使い道を監視すると同時に、国民との約束を守る政府を作るべきなんです。

──これまで日本では医療、介護、教育などのサービスは国民の「自己責任」に頼ってきた。この仕組みが限界にきていることを本書で明らかにしていますね。

井手 経済が成長すると収入が増える。その収入の一部を貯金して、子供の教育や、病気をしたときの蓄え、老後の資金に回す。個人が貯蓄に励むぶん、他国に比べて租税負担率は低く抑えられてきた。これが日本の「自己責任社会」で、江戸時代から続く「勤労」と「倹約」の美徳が思想的に社会を支えてきました。

ただし、この社会を機能させるためには貯蓄が必要ですから、経済成長し続けなければいけない。1980年代まではうまく回っていましたが、バブルが崩壊し、収入が上がらなくなっても日本は経済成長を必要とした。だから新自由主義が国民に受け入れられたのです。新自由主義に経済を成長させる証拠など、どこにもなかったにもかかわらず。

──新自由主義がなぜ日本で必要とされ、影響力を持つことができたのか。本書で徹底検証しています。

井手 「自由」は、人を魅了してやまないマジックワードです。歴史を振り返ると、自由を唱えながら人間を不自由に追い込んだ支配者が常にいる。だからこそ、自由というかけ声のもとで僕たちがどのように不自由な世界に導かれていったかを、きちんと検証しておきたいと思ったんです。結局、新自由主義でもアベノミクスでも、なんでもよかったんです。成長させてくれると感じられるものに国民は飛びつかざるをえなかった。そういう経済依存の、自己責任の社会の仕組み自体を変えませんか?というが僕の提案です。

──自己責任の社会というのは運によって左右される社会でもあり、それを変えたいとも仰っていますね。

井手 僕は3回、命の危険にさらされているんです。まず、僕は母子家庭の生まれで、母は僕を生むかどうか悩んだといいます。つまり、僕はそもそも生んでもらえなかった可能性があった。それから家の借金問題で、反社会的な人たちに車で連れさられたとき。2011年に脳内出血で倒れたとき。この3回の危機を生き延びたのは、単に運がよかったから。運がよかったから本を出すことができて、今こうしてインタビューに答えている。

だから、運が悪かっただけで将来を諦めたり、まして生きるのを諦める人がいるとしたら、そんなこと許せるはずがないじゃないですか。そういう社会に対して腹が立つんです。僕を突き動かしているのは「怒り」です。誰しも運が悪くて職を失うことだってあるし、病気になることだってあります。それでも安心して生きていける社会であるべきです。

──井手さんはかつて民進党のブレーンを務め、また、話題のドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』では、小川淳也衆議院議員への応援演説で登場されました。政治にも積極的にコミットする理由を教えてください。

井手 僕は自分が大好きなんです(笑)。自分の家族だから大切だし、自分が暮らす街だから小田原が好きだし、自分が生きている国だから日本が好き。自分を愛することと、周りを愛することは矛盾しないんです。今の日本は、非常に危機的な状況にあります。政治を傍観することは、自分が愛する大切な家族や仲間たちの不幸を傍観すること。僕には耐えられない。自分のためにも、仲間のためにも。だから僕は嫌われても税を語るんです。

平時なら、学者は学問的な真理を追究していればいいと思います。が、危機の時代に象牙の塔に閉じこもっているだけなら、なんのために社会科学はあるのでしょうか。そういう意味では、僕は生まれてくる時期がよかったのかもしれません。乱世でないと僕みたいな人間は活きませんし、こんなに言いたいことは言えなかったでしょうから。

●井手英策(いでえいさく) 
財政学者。慶應義塾大学経済学部教授。1972年、福岡県生まれ。東京大学卒業。東京大学大学院博士課程単位取得退学。専門は財政社会学。日本銀行金融研究所勤務などを経て大学で教鞭をとる。著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店、大佛次郎論壇賞)、『富山は日本のスウェーデン』(集英社新書)、『いまこそ税と社会保障の話をしよう!』(東洋経済新報社)、『幸福の増税論』(岩波書店)、『ソーシャルワーカー』(共著、ちくま新書)など多数

●『欲望の経済を終わらせる』
インターナショナル新書 880円+税