1972年、ベトナム戦争の最中に起きた「戦車闘争」の主な舞台となった米軍施設、相模総合補給廠のメインゲート(西門)前に立つ小池和洋氏(左)と伊勢﨑賢治氏。JR横浜線の踏切の向こう側は「アメリカ」だ

世界最強軍vs一般市民! ベトナム戦争が終盤を迎えていた1972年、神奈川県相模原市の米軍施設で修理され、再び戦場へと送り出されようとする戦車に、武器を持たない普通の人々が立ちはだかり、100日も止めるという「事件」があったことを知る人は少ない......。

「天下の米軍」を相手にした戦いの行きつく先は? 彼らはなぜ、世界最強の米軍に戦いを挑み、そのとき政府は、警察はどう動いたのか......。戦後史の中に埋もれかけていた「相模原戦車闘争」の実像を、当時の関係者や専門家など54人の証言によって描き出した異色のドキュメンタリー映画『戦車闘争』が現在公開中だ。

50年近く前の日本で、人々はなぜ米軍戦車を止めようとしたのか? 今もなお、国内に多くの米軍基地を抱える日本は、アメリカが世界各地で行なう「戦争」と無縁でいられるのか? 『戦車闘争』のプロデューサー小池和洋氏と、この映画の終盤にも登場する東京外国語大学教授の伊勢﨑賢治氏が語る。

■プライドとプライドが激突した100日間。作りたかったのは「アクション映画」

──ベトナム戦争に送り出されようとする米軍戦車を日本の市民が100日も止めた......。1970年代の日本でこんな事件があったことを、まったく知りませんでした。ところで、これまで劇映画を中心に映画を制作されてきたプロデューサーの小池さんが今回、「戦車闘争」をテーマにドキュメンタリー作品を作ろうと思った理由は?

小池和洋(以下、小池) 直接のきっかけは一冊の本との出会いでした。当時の私は、映画人として崖っぷちにおりまして......。劇映画を作ってもなかなか当たらず、そうなると友達は離れていくし、家庭内の雰囲気もだんだん悪くなってきて、予算もなかなか集まらない......(苦笑)。こりゃ何か別のことを考えないと、生き残っていけないなあと......。

だったら、ひとりで撮影・編集・構成までやれるドキュメンタリー作品でも作ってやるか!と、半ば破れかぶれで考えていたときに、偶然、古本屋で手にしたのが『戦車の前に座り込め』という1972年の「戦車闘争」について書かれた本だったんです。

実は私自身も、長年、相模原市に住んでいるのですが、まず、自分の住んでいる街で、今から50年近く前に「普通の市民が戦車を止める」というドラマチックな出来事があったことに驚きましたし、何よりも「闘争」という言葉に魅かれたんですね。だって、異なる価値観同士が激しく激突する......。それも「弱者が強者に戦いを挑む」っていうのは、映画として一番、魅力的なテーマじゃないですか? 

そんなわけで、個人的には社会派のドキュメンタリーを作ろうというより「あ、これは面白いアクション映画が撮れるかもしれない......」という直感のほうが強かったんです(笑)。

ちなみに、米軍の戦車を市民が押しとどめてしまったというのは、世界の反戦闘争の中でもほかに例がないらしいのですが、私の息子が通っている学校で使われている「相模原市の歴史」という教科書にも「戦車闘争」の話はまったく出てこないどころか、市内にある米軍基地のことにすらほとんど触れていませんでした。

企画・プロデューサー・インタビュアー小池和洋(こいけ・かずひろ)。1974年、山梨県出身。サラリーマン(書籍編集者)をしていたが、05年退職して、映画製作を始める。プロデューサーとして、映画・TVドラマを企画・制作。 主な作品に『棚の隅』(07)(監督:門井肇、主演:大杉漣)、『休暇』(08)(監督:門井肇、主演:小林薫)、『事故専務』(11・山梨放送テレビドラマ)(監督:高橋雄弥、主演:大杉漣)、『ナイトピープル』(13)(監督:門井肇、主演:佐藤江梨子)、『いのちのコール~ミセス インガを知っていますか~』(14)(監督:蛯原やすゆき、主演:安田美沙子)、『カミナリ☆ワイナリー』(14・山梨放送テレビドラマ)(監督:蛯原やすゆき、主演:桑野信義)、『ホペイロの憂鬱』(18)(監督:加治屋彰人、主演:白石隼也)。50年近く前に起きた「戦車闘争」の関係者を中心に、54人もの証言を辿りながら、戦後史の中に埋もれていた事件に光を当てた。作りたかったのはドキュメンタリーの形を借りた「アクション映画」だという

伊勢﨑賢治(以下、伊勢﨑) 僕も普段から在日米軍や日米地位協定、日米安保と憲法9条の問題などについて、いろいろと発言しているのに、恥ずかしながら、この映画で小池さんに取材されるまで、この「戦車闘争」のことをまったく知りませんでした。僕自身も東京都立川市の出身で米軍基地のフェンスのすぐ横で育ったんですけどね......。

小池さんが今、「アクション映画」って言われましたけど、まさにその通りで、この映画、一見、「反戦・平和」がテーマのお堅いドキュメンタリー映画かと思いきや、純粋にエンターテインメントとして楽しめました。当時、在日米軍相手に戦った市民や活動家の人たちだけでなく、それと対峙した警察の元機動隊員や、近隣の住民、米軍戦車の輸送を請け負った運送業者から政治家まで、さまざまな立場の人たちが本音で当時のことを話していて、ひとりひとりが個性的だし、ユーモアもあり、人間臭くて面白かった。

伊勢﨑賢治(いせざき・けんじ)。1957年生まれ。東京外国語大学教授。国連PKO幹部として、シエラレオネなどで武装解除を指揮。著書に『本当の戦争の話をしよう 世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞社)など。「憲法9条があるから大丈夫と言いながら、世界有数の軍事力を持ち、護憲派までが在日米軍の戦争を放置する日本は本当に平和国家と言えるのか?」と、鋭い問いを投げかけ続ける

小池 そうですね。この映画は総勢54人の方の証言によって構成されているのですが、取材でお話を伺った人たちは皆、面白く、気取りが無くて、活き活きしていました。例えば、反対運動を抑え込んだ元機動隊員の方なんかも、「いやあ、今になって思えば、反対運動してた人たちの気持ちもわかるんだけどねえ」なんて、収まりのいいことを言うんじゃなく、「あいつらは犯罪者だからボコボコにしたよ!」みたいに明るく言い切っちゃう(笑)。

でも、僕はそれってひとつの「プロ意識」だと思うんです。この映画に出てくる人たちって実は決して「特別な人」ではなくて、むしろ「普通の人たち」なんですけど、みんなそれぞれ、自分の立場や考えにプライドを持っていて、彼らの言葉からそういうプライドとプライドが本気でぶつかりあった場所としての「戦車闘争」が浮かび上がってくる。

アクション映画というと、ドンパチや派手なカーチェイスをイメージしがちですが、実は登場人物が魅力的だというのが、一番大事な要素なんです。だから、アメリカのアクション映画なんかを見ると、刑事にしろ、悪役の殺し屋にしろ、登場人物のプロ根性やプライドが半端なくて、それが作品の魅力につながっていることが多い。この「戦車闘争」は関係者の証言を集めたドキュメンタリー映画なんですが、取材をしながら、そうしたアクション映画の魅力にも共通するものがあるように感じましたね。

伊勢﨑 その「プライド」という話にもつながるけれど、この映画を見た人たちにぜひ気づいてほしいのが、憲法9条を持ち、平和国家だと自認しながら、日米安保条約の下で、今も国内に多くの米軍基地を抱えている日本という国が、アメリカが世界各地で行なう「戦争」と無縁ではないということです。むしろ、それは「日本の問題」であり「自分たち自身の問題」だと捉えていた日本人が、少なくともこの「戦車闘争」の時代に存在した。

アメリカは今も世界各地に基地を持っていますが、米ソ冷戦後の世界において、米軍の「自由出撃」、つまり、米軍が自国内にある基地から「どこに出撃して」「どんな戦争をするのか」ということに政府がまったく関与できず、米軍の好き勝手にさせている国など、今や日本以外にありません。同じく米軍基地を抱えるフィリピンはもちろん、あのアフガニスタンだって、アメリカとの地位協定でそんなことは許していない。

しかも、自国内の基地から出撃した米軍が戦争をする場合、その米軍基地を使わせている国は国際法上、「交戦国」の一部と見なされるんです。つまり、ベトナムでもイラクでもアフガニスタンでも......日本国内の基地から出撃した米軍が世界のどこかで行なう戦争は、事実上「日本の戦争」でもある。もちろん、そのとき、米軍と戦争する相手国、敵対勢力からすれば「敵基地」を抱える日本は、彼らにとって攻撃目標にもなります。

それなのに、日本ではいわゆる「護憲派」の人たちも含めて、ほとんどの人たちが、この国は憲法9条があるから「平和国家」だと信じきっていて、「自衛隊が海外で戦争さえしなければ大丈夫」ぐらいに思っているんですね。

1972年8月5日、相模総合補給廠からベトナムの戦場に送られようとしていた米軍のM48戦車の輸送を、横浜でベトナム戦争に反対する市民が止めたことが「戦車闘争」の発端となった

小池 私も取材で伊勢﨑さんに「国内の米軍基地が攻撃目標になるかもしれない」と聞くまで、そんなことを想像したこともありませんでした。それに、この映画でも、三沢基地に所属する米軍パイロットが「このあいだシリアを爆撃してきた......」と語っていたという話が出ましたが、朝鮮戦争やベトナム戦争の時代だけでなく、日本の基地に所属する米軍がイラクやアフガニスタン、シリアなどの戦場で戦っているという現実は今も変わりません。

■「夢と欲望」を失った日本人は本気で怒り、行動することができなくなった

──50年近く前の「戦車闘争」では、多くの人たちが「日本は平和国家といいながら、アメリカのベトナム戦争に加担していいのか?」という、単純で純粋な怒りを感じて、米軍の戦車を止めるという行動に出たのに対し、今は国内の基地にいる米軍が、どこに行き、誰と戦争しようと、誰も問題にしようとしない......。この違いはいったいどこから生まれるのでしょう?

伊勢﨑 戦車闘争では、ベトナムの戦場で破損し、車体の一部に「肉片」まで付いた戦車が、横浜港から国道16号線を通って相模原の米軍施設に運び込まれて修理され、また横浜港から戦場へと送り出されようとしていた......。

そうした、あまりにもわかりやすい景色が目の前に展開されたことで、日本もアメリカが闘うベトナム戦争の一部であるということが「見える化」され、自分たちはあの戦争の「当事者」なのだという意識を人々に呼び起こしたのでしょうね。

一方、米軍はこうした事件を教訓にして、その後は「生々しい戦争」を多くの日本人の目から見えないところに隠そうとした。その結果、沖縄への米軍基地集中がさらに進み、本土に暮らすほとんどの日本人にとって「米軍基地」と、その米軍が行なう戦争がいつの間にか「他人事」になってしまったんだと思います。

市民団体、左派政党、学生、過激派、一般市民......など、さまざまな立場の人たちが集まり、数千人規模に膨れ上がった反対派と、それを排除する機動隊が激しく激突した

小池 そうなんですよね。今の日本では、米軍の基地問題っていうと沖縄のことだというイメージがあって、すぐに「沖縄の人たちは基地を押し付けられてかわいそう」みたいな話になっちゃうんですが、在日米軍基地の約7割が集中している沖縄県以外にも、日本には今もまだ多くの米軍基地や米軍施設が存在している。

例えば、横須賀や厚木基地も抱える神奈川県は沖縄に次ぐ日本第2位の「米軍基地県」だし、過去には米軍のファントム戦闘機が墜落して、親子が亡くなるような事故も起きているのに(※1977年に米軍のファントム戦闘機が横浜市内の住宅地に墜落し、市民3名が死亡し6名が負傷)自分も含めて神奈川県民はそのことにあまりにも無自覚だと感じます。

もうひとつ思うのは、今の日本人は当時の若い人たちが持っていたような「夢や欲望」を失ってしまったからじゃないか......ということです。僕は人間を最も生き生きさせるものって、やっぱり「夢や欲望」だと思っていて、それがあるから、おかしいと思ったことに本気で怒ることができるし、本気で怒れば、ああやって自分から「行動する」こともできる。

この映画を見ていても、東京大学みたいな一流大学の学生で将来を約束されているような若者や、ごく普通の主婦や、相模原市や横浜市の職員が、何の得にもならないどころか、逮捕されて将来を台無しにしたり、機動隊とぶつかり合ってケガをしたり、怖い目に遭うかもしれないのに「米軍の戦車を止めろ!」って抗議運動に参加しちゃう......。

それって傍から見れば「バカなこと」でしかないんだけど、人間って夢とか欲望があるとバカなことが出来ちゃったりする。そういう私自身も「映画」への夢と欲望が捨てられない「バカ」だから良くわかるんです(笑)。ただ、人がそうやって夢や欲望を諦めきれず、バカになって行動するときって、人間臭いエネルギーが発散されるから、なんとなく周りにワサワサと人が集まってくるし、そうなると良くも悪くも引っ込みがつかなくなって、そこに「単なる野次馬」も寄ってくると、何だかお祭りみたいな雰囲気になるじゃないですか?

もちろん「戦車闘争」が起きた1972年は、終戦から30年足らず、70年安保から数えても2年後だったので、今とは人々の政治や社会への関心の度合いも違ったと思います。それでも、なんとなく「現状追認」の諦めムードに覆われがちな、今の若いひとたちと比べれば、当時の日本人たちはまだ「夢も欲望」もあったから、本気で怒り、行動することができた。自分たちのプライドをかけてバカになることができたんじゃないかと思います。

「戦車闘争」の主な戦場となった米軍相模総合補給廠の西門前で語り合う両氏。1972年の夏にはこの場所が反対派の抗議テントで埋め尽くされていた

戦後75年以上を経た今も、神奈川県相模原市内に広大な敷地を有する米陸軍施設「相模総合補給廠」。米軍の世界戦略上、重要な補給施設だというが、果たしてこれは「日本を守る」ための施設なのか?

■「憲法9条があれば大丈夫」は本当か? 『戦車闘争』が今の日本に問いかけるもの

──ちなみに伊勢﨑さんはこの映画の終盤に登場して「憲法9条が問題なのだ」という刺激的な問題提起をしています。あえて映画の最後に、伊勢﨑さんを起用した狙いは?

小池 ひとことで言うなら、この映画を収まりのいい、きれいな形で終わらせたくなかったからです。先ほども話しましたが、例えば、当時、デモ隊を強制的に排除した警察官が「今になって思えば、彼らの気持ちもよくわかるんだよ」なんて言うのは面白くない。

むしろ、いい意味でも悪い意味でも、私の想像を裏切っている人たちが登場する方が、映画としてははるかに面白いし、その意味で「憲法9条が問題だ!」という収まりの悪い、異物のような意見が最後に出てくれば、この映画の後味が「ザワザワとしたもの」になると思ったんです。実際、この映画にも出ていただいた方が、完成した作品を見て、「あの最後の伊勢崎さんは余分だな」と感想を述べられていたのですが、これは狙い通り(笑)。

ちなみに、私自身はどちらかといえば単純な「護憲派」なのですが。「憲法9条を持つ平和国家だという日本が、現実には自衛隊のように世界有数の軍事組織を持ち、それを憲法9条第二項で禁じられた『戦力』だと認めないがゆえに、平和や人権の保護のために作られた国際法すら守れない国になっている......」とか、「護憲派と言われる人たちが、在日米軍の存在や日米地位協定、自衛隊の海外派遣に無頓着すぎるのはどういうことか?」といった伊勢﨑さんのような意見が出てくると、果たして護憲派はこれにどう対峙するべきか? 正直、戸惑いますし、さすがにウカウカしてもいられない。

以前、三島由紀夫が「私は安心している人間が嫌いだ」と言っていたそうですが、この映画を見た人がわかりやすい予定調和的な答えに安心せず、「どうしたらいいんだろう?」と、そうしたザワザワとした気持ちになってくれればプロデューサーとしてはうれしいですし、今から50年近く前に、なぜ一般市民が「世界最強」の米軍に立ち向かい、100日にもわたって闘えたのか? その顛末をご覧いただくだけでも、この映画を見ていただく価値があるのではないかと思っています。

■映画『戦車闘争』

1972年、相模原......。ベトナムへ向かう戦車に立ちはだかったのは、武器を持たない普通の人々だった。知られざる100日間の真実に迫る、驚愕のドキュメンタリー。ポレポレ東中野ほか、全国順次公開中 https://sensha-tousou.com/