あらゆる人が必要とする水や電気、自然などの<コモン>を囲い込み、地球環境を壊してまで利潤を追求する「資本主義」から降りたほうが、僕らは豊かになれるのではないか?
16万部のベストセラーとなっている近著「人新世の『資本論』」(集英社新書)の著者であり大阪市立大学大学院准教授の斎藤幸平氏が、本著で提言するその考え方と方法に関して、メディアを横断して活躍するクリエイター・いとうせいこう氏と語り合った"未来を取り戻す"ためのポジティブな方法とは? その対談記事の前編を掲載する。
■SDGsは大衆のアヘンである
いとう 斎藤君の新著『人新世の「資本論」』は、冒頭から読者に厳しい現実を突きつけています。気候変動をめぐって各国政府や企業が様々な対策を打ち出していますが、これでは気候変動に全く太刀打ちできないというのが斎藤君の議論です。何しろSDGs(持続可能な開発目標)は「大衆のアヘン」であるとまで言っちゃっているわけですからね。
斎藤 それくらい今の危機の深刻さについての警鐘をガツンと鳴らしたかったんです!
いとう マルクスは宗教を人々の苦悩を和らげる「大衆のアヘン」だと書きましたが、SDGsもまた、自分たちが気候変動問題に取り組んでいると思い込み、辛い現実から目をそらす役割を果たしているという意味で、現代版の「大衆のアヘン」にすぎない。マルクスが「ゆえに宗教はなくならない」と言っている通り、気候変動もなくならないということになる。斎藤君はその理由をロジカルに説明し、予想される反論を一つ一つ取り上げ、完膚なきまでに潰しています。
冒頭からこんな重いパンチをドスッと叩き込んでくる新書はなかなかない。「私たちにはこんな地獄が待っているのか」「斉藤君、ちゃんと後半で解決策を提示してくれるんだろうね」と思うくらい重々しかった。
斎藤 新書なのに...。前半は重いとよく言われ、その長さや内容については、編集者といろいろやり取りもありました。
いとう しかし、これは僕たちにとって必要なプロセスです。タバコをやめるときに、ニコチンを抜くときの感じに似ています。僕たちは長い間「大衆のアヘン」を吸ってきたので、その分アヘンを抜くには時間がかかるわけです。冒頭の厳しい話に耐えることは、まさにアヘンを抜くための作業で。読者には「とにかく一度この現実を受け止め、落ち込んでください」と言うしかない。でも、その先に未来を取り戻す方法がしっかり書かれている。
斎藤 そんなふうに読んでいただけてうれしいです。でも本当におっしゃる通りで、実際、私たちにいま必要なことは、現実や科学者の警告を受け止めることです。そうしなければ何も始まりません。今多くの企業が盛んにSDGsを掲げていますが、SDGsの行動指針をいくつかなぞったくらいでは、今私たちの社会が直面している危機は止められないところまで来ています。
レジ袋削減のためのエコバックを買ったり、ペットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩いたり、ハイブリッドカーを買ったところで、問題は解決しません。必要とされているのは、もっと大胆なアクション、つまり、利潤追求のためなら環境を犠牲にしてもかまわないという資本主義そのものに挑むことなのです。
いとう それなのに、「SDGsのバッジをつけていれば大丈夫でしょう」という程度の話になっていますからね。
斎藤 そうなんですよ、もちろん、SDGsは「大衆のアヘン」だという私の言葉を聞いたら、企業のなかでSDGsに一生懸命取り組んでいる人たちは「俺たちは真面目にやっているのに」とイラッとするかもしれません。
でも、感じていたもやもやがすっきりしたといってくださるビジネスマンの方も結構います。つまり、彼らも内心、SDGsだけで気候変動に立ち向かうことはできないと、その限界に気づいているのではないでしょうか。現実と向き合うと、もっと抜本的なところから変化を起こさないといけなくなることがわかっているからこそ、それをごまかしてSDGsに逃げ込んでいるのです。
端的に言えば、経済成長と環境保全は両立しない。だったら、自然の限界のなかで、どれだけ豊かに暮らせるかを考えるしかないんです。
いとう そうそう。そして、むしろ資本主義からおりたほうが豊かになるというのがこの本の言っていることですよね。満員電車の苦痛に耐えて出社して、長時間働かされて、なのに、雇用も不安定で自殺者がこんなに多い。そのこと自体が、もうおかしいからね。
斎藤 資本主義のもとで経済成長を求めていれば、それが自動的に豊かさをもたらしてくれた時代は終わったんですよ。むしろ、資本主義のせいで、苦しくなって、貧しくなっている。そんなつらい思いをしながら地球を壊している。資本主義のそういう側面に気がついてくると、じゃあもっと別の社会に移行しなくっちゃいけないことが分かってくる。それもこの本で言いたかったポイントです。
■<コモン>の再建で社会が変わる
斎藤 気候変動の話に戻ると、じつは私も少し前まで、「資本主義をある程度制御すれば、経済成長や生産力の上昇を実現しつつ気候変動問題を解決できるのではないか」と考えていました。だから、この本を書きながら、環境危機についてのいろいろな論文や書籍を読んで、思っていた以上に厳しい現実を突きつけられたときは本当に辛かった。
実は、そういう論文を読むようになったきっかけは、グレタ・トゥーンベリさんのアクションなんです。彼女が訴える環境危機の深刻さには明るいところが一つもない。いかに大人達が地球を壊すことに加担しているか、と彼女は厳しく訴えていますよね。それを聞いて、僕もこれまでの自分の行動や認識がいかに甘かったかを心から反省したんです。
しかし、その現実を直視したことで、経済成長とは違う、豊かさをもたらす方策にやっと気づくことができた。
いとう それが、あらゆる人が必要とする水や電気、環境などの<コモン>をみんなで管理しようという方法ですよね。
斎藤 ええ。あらゆる人々の生活に必要なものを資本主義は、囲い込んで、むしろ希少性を作り出していく。マルクスが論じているように、資本主義の歴史的起源は囲い込みによる独占、つまり <コモン>の解体なわけです。そうすると、経済成長はするんだけれど、多くの人はそれまでの生活の基盤を失って、むしろ貧しくなっていく側面があるのです。
資本主義の発展の歴史において、囲い込みは様々な形で繰り返されてきたわけですが、ここにきて、資本主義が行き詰まるなかで、ついには水や苗といった命の根幹部分のところにまで、商品化の力が及んできている。でも、水道の民営化とか種子法の廃止などに対して、各地では反対している人がいて、〈コモン〉を再建しようとしているわけです。
そういう試みが希望だし、地球を壊してまで利潤を追求する資本主義の動きにブレーキをかける契機になるはずなんです。さらに言えば、地球そのものが<コモン>であるという視点が、環境問題解決への第一歩でもある。
■ジェネレーション・レフトの反逆
斎藤 グレタさんたちがスローガンにしている「システム・チェンジ」も、資本主義を止めてくれ、ということでしょう。
グレタさんのように1990年代後半から2000年代に生まれた人たちは「Z世代」と呼ばれていますが、新自由主義による格差拡大や環境破壊を体感しながら育った世代ですから、このまま資本主義を続けても明るい展望はないことを肌身に感じている。それどころか、大人たちの尻拭いをしなければならない未来が待っていることも分かっている。
いとう 子どもの授業参観に出たときに、「このままだと地球はもうもたないよ」という話を先生が教えていて衝撃的だったんだけど、そんな話を聞いて育たなくてはならない子どもたちに対する責任をものすごく感じたました。彼らは未来の明るいイメージをあらかじめ奪われて育つ。
斎藤 僕も子どもが二人できて、そのことへの責任をすごく感じるようになりました。自分は自然の豊かさを享受できたけれど、これからの世代はそうじゃなくなるかもしれないということに強い罪悪感を感じています。
実際、地球の壊れる未来の当事者である若い世代は、社会に対して強い憤りや恐怖を感じている。けれども、同時に、自分たちの手で何とかしようという決意を持っているのです。そのうえ、Z世代はデジタル・ネイティブで、最新のテクノロジーを自由に扱いながら世界中の仲間たちとつながっています。だから、「未来のための金曜日」などが、世界的なムーブメントになった。
気候危機だけじゃありません。テニスの大坂なおみ選手が全米オープンの大会中、「ブラック・ライブズ・マター」を訴え続けたことが話題になりましたが、彼女も「Z世代」です。他にも#MeTooなど、社会をいい方向に変えるために、自分の意見を恐れず発信することがZ世代の特徴です。
Z世代が社会に登場し、冷笑的な大人たちの価値観にNOを突きつけるようになっていることは、一つの希望と言えます。そんな若者たちの姿を見て、同世代でも一緒にアクションを起こす学生たちも出てくるだろうし、なにより、私たち大人たちが価値観をアップデートしていく必要があるなと感じています。自分たちが作り出した問題を若者に押し付けておくわけにはいかないですからね。『人新世の「資本論」』で、少数派になることを知りながら、「脱成長」を敢えて掲げたのも、Z世代の声を踏まえての私なりのアップデートだし、彼らとの対話を続けていきたいです。
■マイノリティの自覚が強さを生む
いとう 僕の世代は学生運動が終わったあとの「シラケ世代」で、ノンポリがたくさんいました。それに対して、Z世代は自分の意見を持っており、僕の世代とはずいぶん違います。僕も彼らのムーブメントは後押ししたいと思っています。
その際に重要なのは、自分たちがマイノリティであることを自覚することだと思います。これは若い人たちによく言っていることなのですが、大きなムーブメントの中に身を置くと、自分たちがマジョリティであるかのような幻想を抱きがちです。しかし、Z世代の人たちは明らかにマイノリティです。マイノリティが自分たちをマジョリティと思い込み、社会運動に関わると、「なぜこんなに一生懸命やっているのに、社会は変わらないのか」といった壁にぶち当たることになります。そこで鬱屈し、やる気を失ってしまうようなことは避けなければなりません。
政治や社会を変えることは、そう簡単なことではありません。選挙に行ったり、デモをすれば変わるわけではない。マイノリティがマジョリティを変えることは非常に困難です。
しかし、マイノリティが社会を変えてきたことも事実です。マジョリティならそもそも社会を変える必要がないですからね。
だからZ世代に必要なのは「マイノリティ学」かもしれません。マイノリティとはなにか、他のマイノリティの人たちをどのように理解するか、それぞれのマイノリティの間にヒエラルキーを作らないためにはどうすればいいか、こうしたマイノリティ学がZ世代に必要とされていると思います。
斎藤 いまは人口からすれば若者というだけでマイノリティですからね。
いとう そうなんですよ。若い人たちは必然的にマイノリティです。であれば、マイノリティであることをプラウドできなければならない。ジェームス・ブラウンが「アイム・プラウド・アイム・ブラック」と言ったけども、「アイム・プラウド・アイム・ヤング」と言わなければならない。
斎藤 そうですよね。そして白人もブラック・ライヴズ・マターに加わっているように、大人たちも、子どもたちの訴えを真摯に聞いて、抜本的な気候変動対策を求める声に加勢し、その運動をマジョリティに変えていかないといけないですね。
●斎藤幸平(さいとう・こうへい)
1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。
Karl Marx's Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economy (邦訳『大洪水の前に』)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初歴代最年少で受賞。編著に『未来への大分岐』など。
●いとうせいこう
1961年生まれ。編集者を経て、作家、クリエイターとして、活字・映像・音楽・テレビ・舞台など、様々な分野で活躍。1988年、小説『ノーライフキング』(河出文庫)で作家デビュー。『ボタニカル・ライフ―植物生活―』(新潮文庫)で第15回講談社エッセイ賞受賞。『想像ラジオ』(河出文庫)で第35回野間文芸新人賞を受賞。近著に『「国境なき医師団」になろう! 』(講談社現代新書)など。