「最大の人口を持つ団塊ジュニアが老後を考える世代になったことは、今、希望が語られない大きな要因になっていると思います」と語る東浩紀氏

経営者としての10年間の歩みをつづった新刊『ゲンロン戦記』が話題を呼んでいる東浩紀(あずま・ひろき)氏。同書で聞き手・構成を務めたノンフィクションライターの石戸諭(いしど・さとる)氏を相手に、3・11直後、SNSやデモが爆発的に広まったものの、政治的麻痺が進んでしまった"テン年代"を振り返る。

※この記事は、3月8日発売の『週刊プレイボーイ12号』に掲載されたものです。

■デモに期待できなくなった10年

石戸 2011年3月11日の東日本大震災、東京電力福島第一原発事故を機に大きく市場を拡大し、一般に普及したメディアに、ツイッターを筆頭にしたSNSが挙げられます。ツイッターの月間アクティブユーザー数は2017年時点ではありますが、国内でも4500万人を突破しています。この10年はSNSが社会への影響を強めていく10年でもありました。
 
被災地からの発信と支援の結びつきといったポジティブな動きもあった一方で、あれだけ可能性があると持ち上げられた新しい政治の動き、デモへの期待は急速にしぼんでいます。東さんは初期からデモには冷淡でしたね。

 反原発デモには最初は肯定的でした。僕は当時は、日本は脱原発を目指すべきだと考えていましたし、事故の後で脱原発を目指して声が上がるのも当然のことです。

ところが、2012年末の第2次安倍政権発足から、デモの性質が変わって、「祭りのための祭り」という性質が強くなってしまった。

僕の周辺にはデモが盛り上がるたびに「反自民勢力が結集し、もう一度政権交代が実現する」と語るリベラル派の言論人がたくさんいました。安倍政権誕生直後にも「今回の選挙結果は子細に見たらリベラルの勝利だ」とか、「次の選挙で自民党は割れる」と真顔で語る人がいました。

僕は彼らの現実逃避の姿勢に対して幻滅するようになりました。2011年は曲がりなりにも民主党政権で、リベラルは政権にいました。ところが2012年に安倍自民党に大敗を喫し、その後も選挙のたびに政権奪取から遠のいている。まずそれを見てくれ、と。

自民党が割れて勝手に与党から降りてくれるなんて都合のいいことは起きない。みんなが存在しない希望に無理やり飛びついていたようで、ギャップを感じました。

石戸 それはまったく同感です。SNSでいかに仲間にうけることを言うかが大事になっていて、現実を受け止めることが二の次になっています。デモが日常的に起きる国になったことを評価しようという声もありましたが、その結果はどうなのか。

デモと政治でいえば、ひとつの頂点はSEALDs(シールズ/2015~2016年に活動した学生団体)が中心となった国会前デモです。これも今や過去の歴史になってしまい、まったく語られなくなりましたね。

 デモが日常的に起きる国になったのは事実ですが、だから何がよくなったのかはわかりませんね。現実には政治的麻痺が進んでいるように思います。デモが起きても何も変わらないし、リベラル系知識人の言葉は現実離れしていると思われ、社会に届かない。そしてそれ自体も忘却している。

SEALDsについていえば、彼らは活動を続け政党をつくるべきだったと思います。当時からそう言っていました。けれども、当時散々持ち上げた大人たちは、今やSEALDsという名前すら言わず、活動を忘れ去ったかのようですね。

彼らは確かにあのとき、ツイッターを中心にした動員を成功させた。大変な盛り上がりでした。しかし、今はどうでしょう。そのときの財産は残っていません。反原発運動のデモも同じです。首相官邸の前であれだけ人を集め、メディアも取り上げてきたのに、何も残っていない。
 
若者はもっと政治に声を上げろと言われていますが、日本でもミレニアル世代は政治的に立ち上がった経験をしているわけです。それがSEALDsです。必要なのはなぜ今それが何も残していないのかを問うことです。反省もなく祭りと忘却の循環を繰り返しても意味がないと思います。

石戸 2011年が人生の大きな転機になった、という人は少なくない。しかし、日本社会は大きく変わることはなかったのはなぜかという問題ですね。それを考える前に、あらためて、東さんにとっての「3・11」とは何かを聞いておきたいです。

 当時は、自分の人生も、日本の未来も大きく変わると思いました。現実には僕の人生は変わりましたが、日本はあまり変わらなかったか、変わったとしても悪くなったと思います。結果として、ぼく自身は「引きこもる」方向になった。

僕にとって震災後の10年とは、ゲンロンという会社の10年です。これは『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』(中公新書ラクレ)でも強調していますが、例えばツイッターでの炎上も、実際に金がなくなっていくといった会社のトラブルに比べればどうでもいい。そういうなかで、ネットの「論争」に興味を失っていった10年でもありました。

今でも震災時に僕が一時避難したことを「東京から逃げた」と揶揄(やゆ)する人がいます。当時は娘が幼く、さまざまな可能性を考える必要があった。今、事故が起きても同じ行動をとると思います。そういう各人固有の現実に興味がなく、ネットでマウンティング合戦をやる人には興味が持てません。

ノンフィクションライターの石戸諭氏(左)と東浩紀氏

■消えた「グレートリセット」願望

石戸 今から思えば、2011年はある意味では希望に満ちてもいました。「復興」という言葉には、震災をきっかけに「古い日本」をつくり変えるという「グレートリセット」願望も込められていたと思うのです。

メディア業界も同じで、ツイッターやニコニコ動画といった新しいメディアに寄せられた期待は、当時僕が所属していたようなマスメディアが幅を利かせる構造を変えたいという願望とセットでした。

2020年以降の新型コロナ禍は、いくつかの点で東日本大震災の反復に感じることがありますが、リセット願望や希望は著しく弱まっています。

 大きな要因は人口分布だと思います。僕も含めた団塊ジュニア世代(1971~1974年生まれ)というボリュームゾーンが、10年前は30代後半から40歳代でまだ若かった。消費でもメディアでも存在感があった。

インターネットのアーリーアダプターもこの世代に集まっていた。若いから勢いのあることも言いたくなるし、行動したくもなる。日本社会を変えたいという熱気があったし、団塊ジュニアにはその実力もあったのです。

そこに加えて、ゼロ年代には政治も動いていた。民主党を大きくしていけば政治が変わるという期待があり、実際に政権交代が起きた。現実に、社会を変えられるチャンスはあったのです。

石戸 ちょうど、団塊ジュニア世代にはビジネスなら堀江貴文さん、政治家なら細野豪志さん、メディアなら津田大介さんが入ってきますね。いずれも時代の寵児(ちょうじ)、変革の担い手と期待されていました。

 僕たちの世代は上の新人類世代にメディア人が多くて、テレビに出たり新聞に取り上げられたりするのが遅かった。僕が30代末でようやく起業したのには、そうした条件もあると思います。そして、やっと出番が増えてきた頃に震災が重なった。それでいろいろなことが難しくなってしまった。

今や僕たちの世代は50歳手前です。まだまだ人生はありますが、端的に老後を考える世代になったことも事実です。新しい何かにチャレンジするということについて、30代とは違う難しさがあります。むしろ後進に席を譲る世代です。最大の人口を持つ団塊ジュニアがそういう年齢に差しかかっているというのは、今、希望があまり語られない大きな要因になっていると思います。

本当はこの10年、この世代の活力が社会に向いていき、政治やビジネスでも変革の原動力になっていけばよかった。でもそうはならなかった。僕が60歳になるまでに強い野党が誕生し、もう一度政権交代が起きる可能性は相当低い。つまり、団塊ジュニアが定年を迎えるまではこのまま自民党政権が続く可能性が高い。

そうなると、もう夢はいいから、足元を見ようという話になりますよね。実際僕ももう、自分の会社をきちんと守ることくらいしか考えられなくなっている。いわば「公共のことを考える」などという「贅沢」に自分の人生をかけていられなくなっている。このように言うとリベラル知識人は批判するでしょうが、彼らだって、本当は大学に守られて論争ゲームをやっているにすぎないのです。

いずれにせよ、団塊ジュニア世代は皆人生のまとめのフェーズに入っている。この世代を「変革の担い手」だと思う人はもういないでしょう。団塊ジュニアは1000万人ぐらいいますから、震災後の10年でこの世代を生かせなかったのは本当に痛いですね。ジェンダーバランスが日本だけおかしいというのも、この世代が活躍していないことと関係すると思います。

石戸 併せて、復興という言葉に希望を持つ人も少なくなりましたね。

 この前、福島県双葉町にできた「東日本大震災・原子力災害伝承館」に行ったのだけど......。

石戸 あっ、僕も行きました。

 この10年の「復興」とはなんだったかを考えることができるので、ぜひみんなに行ってほしいですね。建物や周辺の道路は整備されているけど、高速道路はダンプカーばかりで生活のための車はほとんどない。いったんあれだけコミュニティを破壊された後、もう一度つくり直すというのは非常に難しいことなのだとわかります。

もうひとつ、伝承館が「国立」の施設ではない(編集部注・県立の施設)ということも重要です。キエフには国立でチェルノブイリ博物館があります。福島の事故はチェルノブイリと並ぶ大事故で、ローカルな事故ではありません。日本にはそれを国家として記録し後世に伝える義務があると思いますが、アーカイブ施設への国の関与や責任が見えない。

■希望はどこに?

石戸 反復といえば、新型コロナ禍での科学者の情報発信は、2011年を想起します。SNS研究のデータによれば、2011年3月当時は、東京大学教授だった早野龍五さん(物理学者)がツイッター上の議論の中心でした。

僕は早野さんの『「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法』(新潮社)という本を構成しながら、科学者の発信に世間が耳を傾けた時間が、一時とはいえ確かに存在していたことの意味を考えました。このときの蓄積が今は消えているというより、専門家と周辺、それ以外で分断が加速しているように思えます。

 2011年の主役が早野さんだったとするなら、2020年の主役は京都大学教授の西浦博さん(理論疫学者)です。2011年は科学者の発信が社会に対して「もうちょっと落ち着こう」という目的をもって発せられ、結果的に「災害ユートピア」的な言論空間も生まれた。

ですが、2020年の場合、科学者はむしろ「もっと危機感を持て」という脅迫的なメッセージを発信し、時にかなり感情的な表現も使っていますね。そこが大きな違いではないでしょうか。

エビデンスやデータをベースに考えることが大切なのは当然のことで、異論はありません。社会には届かないことにいら立つのもわかる。かといって「脅かし」には限界があります。

2020年末には「医療崩壊」が叫ばれましたが、欧米に比べて1桁少ない感染者数でなぜ医療崩壊が起こるのか、国民の多くが不審に思っている。第3波は幸い収まりつつありますが、これでまた夏に医療崩壊だ、ロックダウンだと言いだすようだと専門家への信頼が壊れかねません。

石戸 そこで大事なのは、希望を紡ぎ直すことではないでしょうか。東さんはどこに希望を見いだそうと思っていますか。

 社会全体の希望についてはあまりポジティブなことは言えそうもありません。

僕個人が考えているのは、自分の会社を持続させ、どう未来の社会変革につなげていけるかです。例えば新しく立ち上げた動画配信プラットフォーム「シラス」は、新しい知識人のためのツールを目指しています。

世の中には知的好奇心が旺盛な人がかなりの数います。その人たちにきちんと届けることで、文系的な知や教養のマーケットもまだまだ拡充できるはずだと考えています。デモや、ツイッターのハッシュタグで、社会や政治を一発で変えようという動きには何も期待していません。代わりに地道に言論活動を継続できる空間をつくりたい。

いわば僕は、「準備の世代」として、未来を切り開く次世代を育てていくことで責任を果たしたいのです。その先の日本がどうなるかは、次世代に任せたいですね。

●東 浩紀(あずま・ひろき)
1971年生まれ、東京都出身。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。株式会社ゲンロン創業者。同社発行『ゲンロン』編集長。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(1998年、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志 2.0』(2011年)、『弱いつながり』(2014年、紀伊國屋じんぶん大賞2015「大賞」)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『哲学の誤配』(2020年)ほか多数。対談集に『新対話篇』(2020年)がある

●石戸 諭(いしど・さとる)
1984年生まれ、東京都出身。記者、ノンフィクションライター。2006年に立命館大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年にBuzzFeed Japanに入社。2018年からフリーランスに。2019年、ニューズウィーク日本版の特集「百田尚樹現象」にて第26回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象~愛国ポピュリズムの現在地~』(小学館)がある

■『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』
(中公新書ラクレ、本体860円+税)
2010年、新たな知的空間の構築を目指して「ゲンロン」を立ち上げた東浩紀氏。思想誌『ゲンロン』刊行、動画配信プラットフォーム開設といった華々しい戦績の裏にあったのは、仲間の離反、資金のショート、組織の腐敗、計画の頓挫など、予期せぬ失敗の連続だった―。経営者としての10年間の苦悩をつづったスリル満点の物語