3・11後に初めて「原発運転差し止め」判決を出した元福井地裁裁判長・樋口英明氏が、退官後も原発の危険性を訴え続けるわけとは――?

裁判官は退官後、自身の関わった事件について論評することはしない――。この裁判所の伝統を、かつて原発の「運転差し止め」判決を出した樋口英明元裁判長は「そんなことを言っている場合ではない」と破り、退官後も全国各地で原発の危険性を訴える講演を行なっている。

そして、3・11から10年を迎えた今年3月に、『私が原発を止めた理由』(旬報社)を上梓(じょうし)した。ここには、なぜ自身が運転差し止めを命じたのか、そしてなぜ多くの裁判官が差し止めを認めないかの理由が書かれている。

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――樋口さんは、福井県などの住民166人が関西電力を相手取り、2012年11月30日に提訴した「大飯(おおい)原発3号機・4号機の運転差し止め請求訴訟」を担当しました。この裁判で驚くのは、そのスピードです。提訴からわずか1年半後の14年5月21日に、福井地裁で「運転差し止め」の判決を出しています。

樋口 理由は簡単です。あの原発裁判は難しい事案ではなかった。むしろ簡単な事案だったからです。

――簡単ですか?

樋口 はい。こう考えたんです。まず「原発には高い安全性が求められる」。これは誰も反論できない。そして「地震大国の日本で、その安全性を担保するのは原発に高度の耐震性があること」。これも誰も反論できない。

そこで私は、日本で起きた地震の強さを示すガル(揺れの強さを示す加速度の単位)と原発の基準地震動(原発の施設に大きな影響を及ぼす恐れがある揺れ)を調べました。すると、誰が見ても原発に高い耐震性はないということがわかったのです。

――具体的には?

樋口 ほとんどの原発は基準地震動が700ガル程度だったのです。

私が裁判を担当した大飯原発は、3号機と4号機の運転開始時(それぞれ1991年と93年)には405ガルで設計・建造されていましたが、2009年に、関電によれば「コンピューターシミュレーションで700ガルまで大丈夫と確認できた」ということで引き上げられました。

――実際の地震のガルはどれくらいなのでしょう?

樋口 調べて驚きました。2008年の岩手・宮城内陸地震は4022ガル。11年の東日本大震災は2933ガルなど、日本では1000ガル以上の地震が、この20年間で17回起きています。

原発の基準地震動を大きく超える1000ガル以上の強い地震はこの20年間で17回起きていて、そこまで強くはない700ガル以上の地震は30回も起きている
また注目すべきは、そこまで強くはない700ガル以上の地震が30回も起きていたこと。つまり原発は、毎年のように起きるありふれた地震でも危ないということです。ちなみに、住宅メーカーの三井ホームの耐震実験は最大加速度5115ガルで行なわれています。電力会社が示す原発の基準地震動は、住宅メーカーの値を大きく下回るのです。

――その調査には相当の時間をかけたのですか?

樋口 気象庁の強震観測データと独立行政法人「防災科学技術研究所」のK-NET(強震観測網)のデータのふたつを利用しただけです。誰でもパソコンで一日あれば調べることができます。

――わからないのが、なぜ原発の基準地震動がここまで低く設定されたかです。

樋口 地震学者の河角廣(かわすみ・ひろし)氏が1941年、震度とガルの対応表を提唱しました。それによると、1923年の関東大震災(震度7)でも400ガル程度との認識でした。それ以降の地震学者も、「980ガル(重力加速度)以上の地震はないのでは」と推測していました。日本の原発は、これに従って建設されたと思われます。

この認識が改まったのは2000年以降です。1995年の阪神・淡路大震災を契機に、00年頃には全国の約5000ヵ所に地震計が設置され、地震観測網が整備されました。ここで初めて、震度7が実は1500ガル以上に相当すると判明したんです。

――原発を住宅メーカーの値並みに頑丈にすることはできないでしょうか?

樋口 原子炉自体は3000ガルくらいの耐震性があると思いますが、施設全体の配管や配電の強化は難しいです。構造さえしっかりしていたら大丈夫な住宅と違い、原発は停電しても断水しても大事故につながるのです。

――関電はそのあたりをどう認識していましたか?

樋口 私は、裁判で関電に「大飯原発の敷地に700ガル以上の地震は来るんですか?」と尋ねました。すると、関電は「まず、来ません」と答えました。これには驚きました。この言い分は科学で立証できるはずがありません。

「700ガル以上の地震は来ない」という地震予知などできるはずがないのに、それを「できる」と言ったのですから。これを信用するかしないかは裁判官の「理性と良識」による判断しかない。だから、速やかに判決が出せたんです。

――原告の弁護士も同じような質問をしたのですか?

樋口 いいえ。これはすべての原発裁判の傾向なのですが、こんな簡単なデータで電力会社を追いつめられるのに、住民側の意識の高い弁護士も本当の争点を知らないのです。

――では、多くの原発訴訟の争点はなんなのでしょうか?

樋口 原告も被告も裁判所も、伊方(いかた)原発訴訟の最高裁判例の"魔法"にかかっています。

1973年に愛媛県伊方町の伊方原発をめぐり、住民が原子炉の「設置許可処分の取り消し」を求めた裁判で、92年に最高裁が原告敗訴の判決を出しました。「裁判所は、原発が安全か危険かを判断する必要はなく、その規制基準が合理的か否かを判断すればいい」との内容です。

これ以降、規制基準が合理的か否かを争点とし、法廷は、「武村式」とか「入倉式」とか「逆断層」とか、素人に理解できない専門用語が飛び交う科学技術論争の場となりました。

もともと文系の裁判官はロッカーいっぱいにたまる専門資料に訳がわからなくなり、結局、規制基準が「前後のつじつまが合い」「学者が支持すれば」合理的と判断し、過去の判決を踏襲する判決を出してしまうんです。

――樋口さんは判決を読まなかったのですか?

樋口 下級審の判決は読みません。これらの判決ばかり読むとダメになってしまう。裁判官になる前の司法修習生は「自分の頭で考えろ」と教え込まれるのですが、残念ながら多くの裁判官は何十年もたつと過去の判決に頼る先例主義になる。楽だからです。

――それが軌道修正される可能性はあるでしょうか?

樋口 原発訴訟は、今まで大部分が住民敗訴です。私見ですが、そのうちの4、5人の裁判長は初めから国や電力会社寄りの結論ありきの審理で悪質です。しかし、ほかの裁判官は過去の裁判例を重視した判決を出しますが、決して国や電力会社に肩入れしているわけではありません。

だから住民側弁護士が原発の危険性をシンプルかつ論理的に伝えるならば、その危険性を理解してもらえるはずです。繰り返しになりますが、問題は今の法廷が科学技術論争の場となっていることです。

――今年の3月18日、広島高裁が「伊方原発の再稼働を認める」決定を出し、同じ日に水戸地裁が「東海第二原発の再稼働を認めない」判決を出しました。

樋口 正反対の結論が出た理由は、水戸地裁が原発事故に伴う「30㎞圏94万人の避難計画に実効性がない」ことを重視したのに対し、広島高裁は、避難計画に実効性がないだけでは運転差し止めはできないとしたことです。

避難計画の不備での運転差し止め命令は日本初で、画期的です。しかし、この水戸地裁判決においても、地震については「原子力規制委員会の審査に不合理な点はない」、つまり、基準地震動に問題なしと判断したのです。

――樋口さんは今、全国で講演活動していますが、きっかけはなんだったのでしょう?

樋口 私は2017年8月に退官しました。翌年の18年7月4日、名古屋高裁金沢支部で私の判決が取り消されました。

判決内容は「原子力規制委員会の判断に不合理な点はなく、危険性は社会通念上無視しうる程度と認定。原発の是非は、司法の役割を超えているので政治的判断に委ねる」というものです。こんな司法の役割を放棄したような理由で再稼働を認めるのかと思ったとき、原発の危険性を広く訴えようと決めたんです。

――特に訴えたいことはなんでしょうか?

樋口 多くの人は福島であれだけの大事故があったのだから十分な地震対策が取られていると思い込んでいます。しかし、原発の耐震性は低いままです。このことを多くの人に知ってもらいたいのです。原発をやめなければ日本は大変なことになる。私は一生をかけて、すべての原発を廃炉にすることを訴えていきます。

●樋口英明(ひぐち・ひであき)
1952年生まれ、三重県出身。京都大学法学部卒業。司法修習第35期修了。各地の地裁や大阪高裁の判事を歴任。2017年8月、定年退官。14年5月21日、関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を出した。また、15年4月14日、福井県と近畿地方の住民ら9人が関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止めを求めた仮処分申請に対し、住民側の申し立てを認める決定を出した。18年7月、名古屋高裁の控訴審で大飯原発の差し止め判決は取り消された。これを機に、退官後は原発の危険性を訴える講演活動に勤しんでいる

■『私が原発を止めた理由』
(旬報社 1430円)
2014年5月に、福島第一原発事故後初となる原発運転差し止め判決を出した樋口英明元裁判長が、裁判所の伝統を破って自身が担当した裁判に触れながら「原発を止めなければならない理由」を明かし、裁判でも争われた「原発推進派の弁明」についてひとつひとつ丁寧に反論する。また3.11を経験したわれわれと司法の責任の重さを訴える

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