内田樹(うちだ・たつる)氏と姜尚中(カン・サンジュン)氏の大好評対談シリーズ第3弾となる新世界秩序と日本の未来』(集英社新書)。7月16日(金)発売の同書刊行を記念して行われた対談では、時節柄、話題は自然と東京オリンピックをめぐる一連のゴタゴタへ。新型コロナウイルスの感染急拡大のなかでも止められなかった今回のオリンピックから日本人が学ぶべきことは何か。ふたりの「知の巨人」が存分に語り合う。

◆東京オリンピックの失敗は全部バッハのせい!?

 いよいよオリンピックが始まりました。これから東京で何が起こるのか、そして新規感染者数がどう推移していくのか、ただただ心配です。先日発売された内田さんとの対談本『新世界秩序と日本の未来』では、日本という国は一度何かをやり出すと、たとえそれが誤った判断であっても最後まで止まらないという話をしました。この東京オリンピックもその種の暴走と言えるでしょうか。

内田 このまま突っ込んでいったら大変なことになるということは、関係者はみんなわかっていたと思います。だけど、ブレーキをかけたくても、誰が最初にブレーキを踏むのかという「猫の首に鈴をつける仕事」を互いに押し付け合った。日本政府もオリンピック組織委員会もJOCも東京都も、どうやって破局的事態の責任を逃れるかで今は頭がいっぱいなんじゃないですか。

そこにトーマス・バッハという絶好の「敵役」が出てきた。だから、「諸悪の根源はバッハとIOCだ」という話で行こうということに暗黙の了解ができた。「僕たちはほんとうはやりたくなかったんだけど、バッハが『やれ』と命令したので仕方なく従ったのです」という言い訳のシナリオはもうできていると思います(笑)。

 まるでその密談を現場で聞いてきたかのようですね(笑)。バッハ会長はオリンピック失敗の責任が自分に押し付けられかねないことを知ってか知らずか、ご機嫌で「おもてなし」を受けているように見えます。

今のオリンピックをめぐる状況を見ていると、1972年のミュンヘンオリンピックを思い出してしまいますね。パレスチナ人テロリストたちによってイスラエルの選手11人や警官が死亡するという緊急事態が発生したにもかかわらず、当時のIOC会長だったブランデージ氏は追悼の言葉もそこそこに大会を継続しました。当時、僕は大学生でしたが、非常に後味が悪かったことを覚えています。

今の内田さんの話からすると、「ブランデージが悪い!」「バッハが悪い!」というような、何か共通したシナリオができあがるのかもしれないですね。ミュンヘンと東京は、戦後のオリンピックの中でも最悪の歴史を残していくのではないかという気がしてなりません。

内田 IOCの権威の失墜はもうV字回復できないところまで行ったと思います。五輪貴族たちの特権と腐敗ぶりは今回の東京オリンピックで世界的にあきらかになりましたから。IOCの現体制では、2024年のパリ、2028年のロサンゼルスまでは持っても、2032年から後のオリンピック開催は難しいんじゃないでしょうか(編集部注:7月21日に、2032年の夏季五輪開催地がオーストラリアのブリスベンに決定しました)。

◆日本の危機管理能力が劣化した根本理由

内田 それにしても、一連のトラブルを見ていると、日本の国力は本当に衰えたなと改めて痛感します。今回のオリンピックも、30年ぐらい前の日本だったら、水面下では中止に向けたプランBのシナリオを準備しておいて、世論を眺めながら、どこかで退(ひ)くということだってできたと思います。そういうことができたのは、少し前までは、政治家、官僚、ジャーナリスト、学者たちの間で、クロスボーダーなネットワークがあったからです。若い頃から顔見知りで、お互いの能力に対して敬意を持つエリートたちが、それぞれの領域に散らばったあとも定期的に情報交換して、いざというときには根回しをして、彼らの書いたシナリオ通りに国を動かすということができた。でも、安倍政権以降、そういうエリート集団の横のつながりがほとんど機能しなくなってしまった気がします。

 逆に言えば、より近代化されて、パワーエリートが非常に小市民的なものになったということかもしれませんね。そうした変化の影響が、めぐりめぐって現在の菅政権の失態にも影を落としているようにも映ります。

内田 安倍政権は徹底的な縁故主義によって長期政権の基盤を固めました。官邸に近い人たちは私人であっても"みなし公人"として遇され、公的な仕事を任され、公的な支援を与えられた。逆に官邸に逆らう者は能力が高くても排除された。ネポティズム(身内重用主義)の政治では、能力ではなく忠誠心によって公人が格付けされる。結果的に、官邸の覚えはめでたいけれど無能な人間たちがあらゆる公的セクターで幅を利かせるようになった。それが今回のオリンピックの悲惨な現状を生み出した。

 実力ではなく、好きか嫌いか、あるいは自分に近いか近くないかというような個人の好悪によって人を切り分けていって、良い人材をどんどん失ってしまったということでしょうか。

内田 安倍さんは自分の支持者や縁故者だけを「国民」認定して、自分の反対者は「日本国民」ではないというルールを採用した。だから、主観的には自分は「国民」の皆さんのために一生懸命働いていたと信じていたと思います。

 そういえばこの前、安倍さんは「『反日的』な人たちがオリンピックに反対している」と発言していたようですね。

内田 「自分を支持する人が『国民』で、支持しない人は『反日』」という「国民」の定義はいくらなんでも単純過ぎると思いますけれど、むしろこの単純さが国民には受けた。要するに、安倍さんを支持して、「国民」認定されれば、さまざまな公的支援が与えられ、さまざまな恩沢に浴すことができるわけですから。自己利益だけが気がかりという人にとっては、きわめてわかりやすいシステムだった。

 ネポティズム(身内重用主義)という点では、安倍政治は韓国の朴槿恵政権に似ていますね。彼女の場合は、両親が暗殺されたこともあって精神的に病んでしまっていたところもあったと思いますが、崔順実(チェスンシル)という怪しげな友人をアドバイザーにし、相手が敵か味方かによって対応を極端に変えていました。彼女も本来、国のトップになるべき人物ではなかったということでしょうね。

◆東京オリンピックで日本のプレゼンスは逆に低下する!?

 ところで先日、バッハ会長が"Japanese People"と言うべきところを"Chinese People"と言い間違えてしまうという一幕がありました。案外、彼の中では東京オリンピックが大失敗しても、来年北京で開かれる冬季オリンピックでリカバリーできればいい、という計算がすでに働いているのかもしれませんね。

内田 ほんとうにそうだと思いますよ。落ち目のIOCにとって、これから最大の金主になるのは中国かも知れない。どうやって中国をIOCの「タニマチ」に引き込むか、それを頭の中でずっと算段していたので、つい本音が出てしまった。フロイトが言う通り、こういう言い間違いには無意識の本音が表れるんです。

 菅政権がオリンピック開催に固執する理由のひとつに、来年の冬季オリンピック開催を控えた中国を強く意識しているということもあると思います。今回のオリンピック開催には世界の公衆衛生の専門家たちも強い懸念を示している中、アメリカはファーストレディを派遣することにしましたね。これはやはり、対中国シフトを念頭に置いたアメリカなりの意思表示ということでしょう。 

内田 日本と中国の国力の差は、東京オリンピックを中止できなかったことでむしろ露わになったと思います。開会前にこれだけ失態が続いた。開会した後も、たぶん感染症がらみのトラブルが相次ぎ、政府も組織委もコントロールできなくなるリスクが高い。ハイリスク、ローリターンな「賭け」に出て、大きな危機を自ら招いた。オリンピックがもたらす破局のスケールによっては、東アジアにおける日本の地位が大きく低下し、相対的に中国の地政学的なプレゼンスが高まるということもありえます。アメリカにとっては何の政治哲学もヴィジョンもない対米従属政治家が日本の統治者である方が使い勝手はよいでしょうけれども、無能過ぎると、同盟国としては頼りにならない。

 日本が自縄自縛で「意外と日本は頼りにならない」というイメージを広めてくれれば、中国としては万々歳なわけですね。

内田 習近平は東京オリンピックの失敗を心から望んでいると思いますよ。

◆リアリズムの本質は「未来を描く力」にある

 ベストセラーの『失敗の本質』(中公文庫)という、先の戦争における日本軍の失敗の原因を分析した本の中で、日本軍という組織では根拠のない楽観論が蔓延し、危機管理ができていなかったと述べられていますよね。内田さんも何度も指摘されていることですけれども、そういう楽観主義は、これまでの約1年半にわたる日本のコロナ対策にもまさにあてはまることだと思います。

内田 被害の規模ということだけに限れば、戦争における失敗とオリンピックの失敗では、比較になりません。でも、指導者たちのマインドや欠陥のあらわれ方は先の戦争の時とまったく同じだと思います。前回は敗戦のおかげで、失敗についてのアナリシスが行われて、戦後日本の組織はその前よりは少しは「まし」なものになった。同じように、今回のコロナ対策とオリンピックの失敗で日本の統治機構の欠点が可視化されて、これをきっかけにシステムが修正されれば、結果的にはよかったんじゃないかと思います。

 今回の本の中でも、これからの日本はいかにリトリート(後退)していくかが重要だという議論をしましたが、僕は日本の国力が落ち込んでいるからといって、決して慨嘆する必要はないんじゃないかと思っているんです。

一方で、「この弱肉強食の時代に、お花畑みたいなことを言うな!」という言説もあるわけです。実は、明治期にも徳富蘇峰(とくとみ・そほう)のような人たちが「世界はそんなに甘っちょろくないんだ」などと言って、帝国主義を盛んに礼賛していたんですよね。

内田 そういう人たちのことを「リアリスト」と僕は呼びたくないんです。彼らはもうすでに起きてしまったことを追認して、それを受け入れているだけです。「世界標準にキャッチアップしよう」というだけで、こういう人たちは未来に新しい現実を創り出すことには興味がない。でも、本来「リアリズム」というのは現実変成力を重く見ることだと思うんです。未来をどのようなものに作り上げてゆくのか、そのヴィジョンをていねいに吟味するのがリアリズムなんじゃないでしょうか。

指南力のあるヴィジョンというのは、多くの人が「そうか、その手があったか!」と膝を打って、「じゃあ、みんなで力を合わせてそこに向かっていこう!」というふうに集団の一体感を高めてゆくものです。向日的で、風通しのよいイメージやアイディアを提示し、その実現のために知恵を絞り、現実を1ミリでも変えていく。これが本物のリアリズムなんだと思う。いわゆる"自称リアリスト"たちは未来をどうするかについてのイメージもアイディアもない。「現実がこうであるのは必然的である」と言うだけで、次に何が起きるかを予測することもできないし、未来を変えるつもりもない。現実を変成する気のない人を「リアリスト」と呼ぶことはできません。

 まったくおっしゃる通りですね。今の日本の各界にそういう本物のリアリストがいないという現実を踏まえて、今回のオリンピックを境に日本の社会がどう変わっていくのか、そして世界はどう動いていくのか、9月にまた内田さんと話ができればと思います。

内田 その頃はもうオリンピックも終わっていますね。いったい、日本はどうなっているんでしょうね......。 


新世界秩序と日本の未来』(集英社新書)
現代を代表するふたりの「知の巨人」である内田樹氏・姜尚中氏が、コロナ後の歴史的大変革の時代を縦横無尽に論じ合った一冊。これからの国際社会はどう動くのか? 2020年代の見通しを大胆に提示する。

■新刊発売記念イベント開催決定!
9月8日(水)19:30より 『新世界秩序と日本の未来』刊行記念 
内田樹氏×姜尚中氏オンライントークイベント――東京オリンピック後の世界を展望する。(丸善ジュンク堂書店主催)

これからの世界には、そして日本には何が起こるのでしょうか?
最新の情勢を踏まえながら、今後の見通しを議論していただきます!
イベントの詳細につきましては、以下のURLよりご確認ください。
https://online.maruzenjunkudo.co.jp/collections/j70019-210908