数十年後の自分を想像したとき、誰しも不安を抱くのが健康だろう。しかしたった20年後には、誰もが病気と無縁になりえる時代が到来するんだとか! キーとなるのは"ミクロの医師"、ナノマシンだ!

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■"ミクロの医師"が知らぬ間に治療

脳内出血で倒れた科学者を救うため、極小化した医療チームを体内に送り込み、体の中から治療を試みる――。

1966年に公開されたSF映画『ミクロの決死圏』の1シーンだが、これを実現しようとするプロジェクトがある。神奈川県川崎市の公益財団法人、ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)が研究する「体内病院」だ。

もちろん人間の医師を極小化するわけではないが、体内に注入された微細なマシンが巡回し、あらゆる医療行為を知らぬうちに行なってくれるという。面倒な通院も苦痛を伴う検査や手術もすべて不要になるかもしれない。そんな夢のような構想について、iCONMの島﨑 眞氏に聞いた。

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ナノマシンとは? 直径50ナノメートルのカプセルで、中に薬剤を搭載。体内を循環し、病変を見つけると患部に薬剤を届ける ナノマシンとは? 直径50ナノメートルのカプセルで、中に薬剤を搭載。体内を循環し、病変を見つけると患部に薬剤を届ける

――そもそも「体内病院」とはなんですか?

島﨑 本来なら病院で行なう検査や診断、治療を、直径50ナノメートル(1ナノメートル=100万分の1mm)のマシンが体内を循環しながら自動で行なうという構想です。

50ナノメートルというのは、人間の大きさが地球だとするとサッカーボールくらいのサイズ。そのナノマシンにあらかじめ薬剤を搭載しておくことで、病院に行かなくても病気の早期発見から治療まで完結してしまうという発想です。病院の機能をすべて小さなマシンに集約させるので「体内病院」と呼んでいます。

――体内にマシンを入れる?

島﨑 マシンといってもロボットのようなものではなく、分子が集まってできた「高分子ミセル」と呼ばれる有機物のカプセルです。水になじむ部分となじまない部分があり、水に浸すとボール状に凝縮する。こうしてできたカプセルの中に抗がん剤などの薬を入れて注射で投与すると体内を自律的にパトロールし、病変を検知すると薬剤を送り込みます。

このように、あたかも機械のように振る舞うため、このシステムを「ナノマシン」と呼んでいます。将来的には外から電波を通じて制御する機能などを搭載できるかもしれませんが、現時点ではまだまだ先の話ですね。

――どうやって病気を発見するのですか?

島﨑 例えば、血液1滴でがんを検出する研究が進んでいますよね。仕組みはそれと似ています。細胞ががん化すると正常な細胞は持たないタンパク質や遺伝子を放出しますから、それをキャッチして病気を発見するわけです。

■新薬を生み出すポテンシャルも

島﨑 ただし、これはあくまで将来の構想。現時点では病気の発見まで至っていません。

――現段階で実現しているものは?

島﨑 はるかに先行しているのは治療分野で、難治性乳がんや軟部腫瘍で、治療用ナノマシンの治験が国内外で行なわれています。ほかの病気の治療や検査についてはもっともっと先の話で、2045年の実現を目指しています。

――では、先行する治療について詳しく教えてください。

島﨑 ナノマシンを使うと、例えば抗がん剤をがん細胞だけにピンポイントで届けたり、使用する薬の量をはるかに減らせるようになります。量を減らせればその分、副作用も少なくなるし、医療費を大幅に削減することにもつながるでしょう。

――具体的にはどうやって?

島﨑 ナノマシンの3つの機能を順にお伝えするのがわかりやすいと思います。

ひとつ目は薬の効果を安定化させる機能。実は体内に入ると壊れてしまい、効果を発揮できない薬はたくさんあるのです。

最近よく聞くメッセンジャーRNA医薬品がその代表で、体内にはこうした薬を攻撃する酵素があるんですね。これらの薬をナノマシンで覆えば分解酵素が近づけないので、攻撃されることを防げます。

――ナノマシンが薬を保護すると。ふたつ目はなんですか?

島﨑 薬の正確な輸送です。従来、抗がん剤はがん組織だけではなく正常な組織にも届いてしまっていました。ところがナノマシンを使えば、狙ったがん組織だけに届くようになるのです。

そのキモは、がん組織周辺の血管だけに存在する大きな穴。がん組織は免疫細胞に攻撃されるため、普通の細胞よりもずっと速いスピードで増殖する必要があります。ここで、血管を突貫工事で作ったために正常組織にはない100ナノメートルくらいの穴がいくつも開いてしまうのです。

一般的な抗がん剤は小さいので正常組織周辺の血管にある小さな隙間も通ってしまいますが、直径50ナノメートルのナノマシンで覆うとがん組織にだけ届けることができます。

――それなら正常組織を傷つけないので、副作用を減らすことができますね。

島﨑 もうひとつ工夫があります。それは、がん細胞だけに薬を放出する機能。というのも、がん組織に届いたとしても周囲にはたくさんの正常組織がありまして、そこでがん細胞だけに薬を働かせる必要があるのです。

――どうやって?

島﨑 がん細胞は正常細胞よりも酸性に傾いているのがポイント。周囲が一定以上の酸性度だと壊れて薬を放出するようにカプセルを設計するんですね。

――がん組織に確実に届けて、さらに正常細胞を巻き込まないように薬を放出する。その合わせ技ではるかに高い効き目を発揮するわけですね。

島﨑 ええ。最後は、薬が体外に排出されるのを防ぐ機能です。薬は基本的に体にとって毒ですから、体内に入ると防御反応が起き排出されてしまうんですね。

例えば、抗がん剤を投与しても大部分は尿などで出されてしまいます。しかしナノマシンに載せれば、排出されずに体内にとどめることができるため、少ない投与量で薬の効果を出すことができるんですね。

ちなみに体の防御反応のせいで、製薬会社には分子レベルでは効果がわかっているのに実用化されていない薬の候補物質がたくさんあります。ナノマシンができれば、こうした物質から画期的な新薬が生まれるかもしれません。

――すでに使われている治療薬の効き目を高めるだけではなく、新薬を生み出すポテンシャルも秘めてるわけですね。

■生活習慣病も治せる!

がん細胞周辺の血管には、正常細胞にない大きさの穴ができる。ナノマシンを使えばその穴のみを通過するサイズになるので、抗がん剤を的確に届けられる がん細胞周辺の血管には、正常細胞にない大きさの穴ができる。ナノマシンを使えばその穴のみを通過するサイズになるので、抗がん剤を的確に届けられる

――ちなみに、がん以外の病気にも応用できるのですか?

島﨑 もちろんです。例えばアルツハイマー型認知症や精神疾患。認知症は65歳以上の6人にひとりがなるといわれており、世界中の製薬会社が治療薬を研究していますが、ことごとく失敗しています。

なぜなら血液脳関門という脳に不要な物質を通さない機構があるために、従来の薬は脳内に入ることが難しかったからです。投与してもほんのわずかしか脳に達しないので大量に投与しなければならず、どうしても副作用がつきまといます。

脳内に直接薬を届けようと思っても、血液脳関門と呼ばれる機構が通さないため、従来はうまくいかなかった。しかしナノマシンにブドウ糖をつけると関門を通過できるようになる 脳内に直接薬を届けようと思っても、血液脳関門と呼ばれる機構が通さないため、従来はうまくいかなかった。しかしナノマシンにブドウ糖をつけると関門を通過できるようになる

――打つ手なしですね。

島﨑 ところが脳にも必要な物質があります。その筆頭が、脳がエネルギー源として使うブドウ糖。そこでナノマシンの外側にブドウ糖をつけると、脳は誤って通してしまうのです。

この仕組みを使えば薬を脳に直接届けることができ、従来薬と比べて投与量を40分の1に減らせるという試算があります。これはうつ病や統合失調症など、脳の障害が原因と考えられる精神疾患の薬でも同様です。

――40分の1! このアプローチがこれまでなかったのが不思議なくらいですね。

島﨑 短期間で治療を完結させたり、薬の使用量を減らしたりするというのは、製薬会社の発想にはないからです。製薬会社は薬の開発に莫大(ばくだい)なコストをかけていますから、できるだけ多くの薬を長期間使ってほしいと思うのが自然。だからこそiCONMのように、学術研究を目的とした公益財団法人がアプローチする意義が大きいのです。

――ちなみに、がんや認知症だけでなく生活習慣病にも応用できますか?

島﨑 はい。今の薬は対症療法ですから薬は一生飲み続けなければなりませんが、ナノマシンを使えば根本的な治療も視野に入ってきます。例えば糖尿病。ナノマシンにゲノム編集ツールを搭載することがすでに行なわれており、生活習慣病の原因となる遺伝子を編集することもいずれ可能になります。

――なるほど! 逆に、治せない病気はあるんですか?

島﨑 まだまだ研究途中ではありますが、理論上は搭載できない薬はありません。その意味では、病気と無縁になる時代も来るでしょう。ただ、その時代になるとまた新しい病気が出てきてもおかしくないですけどね(笑)。

――完成が楽しみですね。

島﨑 ええ。ナノマシンは一定期間たつと体外に排出されます。なので、近い未来には自分のニーズに合ったナノマシンを購入するショップができ、数ヵ月置きにマシンのメンテナンスを受けられるようになっているかもしれませんね。