医療用に改良されたミニブタは臓器サイズが人間と同程度。そのため手術内容自体は通常の移植手術とほぼ同じだという

米メリーランド大学医療センターは1月10日、ブタの心臓を人間に移植する世界初の手術を行なったと発表した。まるでSFのような話だが、数年以内にこの「異種移植」という手法が正式に認可される可能性は高い。日本におけるこの分野のトップランナーに、気になる疑問を根掘り葉掘り聞いた! 

(この記事は、1月24日発売の『週刊プレイボーイ6号』に掲載されたものです)

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■カギは遺伝子改変と免疫抑制の新薬

世界初となるブタの心臓の移植手術を受けたのは、重度の心疾患で生命維持装置を着けていた57歳の男性。7時間の手術は成功し、3日後には自発呼吸が確認できるまでに回復したという。

ヒト以外の動物から生きた細胞、組織、臓器などを移植することを「異種移植」といい、すでにブタ由来の心臓弁を使用した手術は広く行なわれているが、生体臓器の移植はまだ承認されていない。

ただ、今回の患者は他人の心臓や人工心臓を移植するのが難しい状態で、この手術以外に方法がなかったため、FDA(米食品医薬品局)が例外的に承認前技術の「人道的使用」を許可していた。

鹿児島大学医用ミニブタ・先端医療開発研究センター臓器置換・異種移植外科分野の佐原寿史准教授が解説する。

「手術を実施したのは、この分野の研究でトップを走る米メリーランド大学のチームで、ひとまず手術が成功したことに驚きはありません。

ブタからサルへの移植実験は繰り返し行なわれていますし、人間と同じようなサイズの医療用に改良されたブタを使用しますから、血管の感触などは多少違っても、手術内容自体は通常の移植と同じ。

また、臓器のコンディションという意味では、脳死段階のドナーから提供される人間の臓器よりも、むしろ医療用動物の臓器のほうがフレッシュな状態であることが多いんです」

ここでまず浮かぶ疑問は、「なぜブタなのか」。サルなど人間にもっと近い動物を使わない理由は?

「そもそも異種移植の必要性が議論される理由は、人間の移植用臓器の不足ですから、ドナーとなる動物が希少であっては目的に沿わない。サル類は希少動物ですし、医療用動物とするには倫理的な問題もあります。その点、ブタはもともと食用動物で、医療に転用する倫理的なハードルも低く、数の心配もありません」 

ブタからの異種移植の研究は長年続けられてきた。ブタからサル類のヒヒへの心臓移植実験の生存成績は、2009年の「57日」から18年には「195日以上」まで飛躍的に伸び、腎臓移植実験でも17年に「260日」という成績が残っている。

「『195日以上』というのは、ここで実験をやめたという意味です。ブタからの心臓移植の実用化を考えるための目標生存日数は、国際学会により『複数の実験で半年以上』と定められていたため、目標をクリアしたということです。

これだけ成績が伸びた大きな要因はふたつ。ひとつ目は、ブタの遺伝子を改変する技術です。例えば、通常のブタ臓器をヒトに移植すると、ヒトが持っているブタに対する抗体の急激な攻撃が起こり、移植臓器は短期間で拒絶されてしまう。この攻撃を受ける『異種抗原』というこの部分を遺伝子改変で取り除く技術が挙げられます。

また、出血を止めるために血を固めた後で血管が詰まらないうちに溶かす、細菌を退治するために炎症を起こした後でそれを抑える、といった体内のバランスが、異種移植をすると崩れてしまうことがある。それを防ぐにはどの遺伝子をどう改変すればいいかといったことも、かなりわかってきています。

ふたつ目の理由は免疫抑制の薬の進歩です。これは通常の臓器移植でも同じですが、移植時に臓器を受け入れる側の免疫がものすごく攻撃的になってしまうことがある。

それを防ぐために、移植手術前に薬をサルに投与して免疫を極端に落とした状態にし、手術後は従来の免疫抑制剤に新しい薬を加えることで成績が向上したのです」

■患者の価値観を重視したアメリカらしい決断

ただ、佐原氏は今回の手術が行なわれた「タイミング」には驚いたと語る。

「FDAは20年12月、人間がアレルギー反応を起こさないよう遺伝子を改変したブタを承認しました。以来、学会の議論の中心は技術面よりも、どんな場合に異種移植を認めるべきか、どんな法整備が必要かなどの問題へ移っていた。

そんななか、昨年10月に米ニューヨーク大学のグループが、ヒトに対するブタの腎臓移植を行なったのですが、すでに脳死と判定された患者への実験的な移植であることや、2日余りの短い期間の評価だけであったことに対し、疑問の声もありました。

今回の手術は、豊富な研究実績のある研究グループが患者の救命を目指したという点で事情は違いますが、それでも法や制度が完備される前に特例的に行なわれたことには驚きました。

移植を望んだ患者本人の価値観を重視したアメリカらしい決断です。もし失敗すれば、場合によっては批判が集中して研究がストップしてしまう可能性もあったわけですから」

ともあれ、こうして異種移植の臨床例ができたことで、今後は実用化に向けた動きが活発化することは間違いない。

「世界的に移植臓器の不足は深刻で、日本ではiPS細胞などの再生医療が注目されていますが、実際に臓器を作るまでにはまだまだ時間がかかる。まずは心臓と腎臓の異種移植に関して、今後数年の間に欧米でなんらかの指針が作られ、導入へ向かう可能性は十分にあると思います」

もちろん、議論すべきことは多い。例えば、ブタからの腎臓移植をどのような患者に実施すべきか。透析治療よりも優先されるべきか。このあたりは技術面や環境面だけでなく、倫理面、患者のQOL、医療費の問題などさまざまな議論の集約が必要だという。

最後に、佐原氏自身の今後の研究について聞いてみた。

「私は呼吸器外科医なので、肺の異種移植の成績を上げたい。空気と直接触れ合う肺は免疫の活動が活発で、通常の臓器移植でも拒絶を受けやすいんです。その問題点を突き止めて成績を上げられれば、肺の異種移植が実現に近づくだけでなく、他臓器の移植の安全性をさらに担保することにもつながるはずです」