著者の清水裕貴さん(左)と作家・いとうせいこう氏(右)
あの震災から11年の歳月を経た今、その記憶を語り継ぐ物語として評価を高めている小説が、連作短編集『花盛りの椅子』(2/4刊)だ。家具職人見習いの女性が傷ついた古家具たちに秘められた過去を再生させ、新たな息吹を与える――。

今回、著者の清水裕貴さんと、やはり東日本大震災後に人々が繋がる物語として支持を得た『想像ラジオ』でも知られる作家・いとうせいこう氏が作品を通じて共感、語り継ぐ役割としての創作について、対談で語っていただいた。

――今作では、主人公の鴻池さんが働く修繕工房に、様々な背景を隠し持った古家具が縁あって持ち寄られます。東日本大震災のみならず阪神・淡路大震災に伊勢湾台風、関東大震災......と刻まれた歴史が掘り起こされます。

いとう まず、章ごとに題材となる家具を変えていくというのが面白い仕掛けですね、イメージが湧いて。小説を書くこと自体、それと似てるような気もするんだけど、何かにインスパイアされて「自分だったらこうするのに」って、変化させることがクリエイティビティだと思っているんで。これは"小説の小説"みたいな感じだなと。

清水 "小説の小説"......はじめて言われました。元々、私が美術を勉強して、写真を撮る活動などしていたので、小説でもモノを作る人が主役の物語が書きやすくて。でも今回は自分の世界観をひたすら発信する芸術家じゃなく、他者の生活に寄り添うモノ作りをする人の物語がいいなと思いながら書きました。

いとう 職人がやることを変えていけば、小説も自動的にタッチが変わっていくはずなので、書きあぐねた時でも工夫しやすいと思うし。楽しく書けるっていうかね。

清水 そうです。とても楽しく書けました。まだ執筆歴が浅いんですけど、あんまり苦しみながら書くというよりは、日常生活で感じた悲しいこととか辛いこととか「なんだこれ、どうすればいいんだろう?」みたいな出来事を整理していくために書いているという感じがあります。

いとう それって、この主人公が家具に関してやっていることと同じですよね。そういう二重になってる意味でも、読者にとって味わいがある気がするんだけど。そもそもこのテーマが災害を毎回出してるところで、それが先にあったのか、あるいは椅子や家具のことがあって考えついたのかどっちなんですか?

清水 東日本大震災が起きた時に、写真家としてどうしなくちゃいけないのか、どのように表現すべきかと思いながら、手を出せずに8年間放ってしまっていたんですが、2019年に私の住んでいる千葉県に大きな台風がきまして。小説の冒頭で主人公たちが被災している台風なんですけど。そこでインフラが破壊されるほどの災害の生々しい感覚が蘇ってきて、もう少しきちんと考えたいと思っていたところで、さらに叔父が急死しまして......。

叔父が長年住んでいたひとり暮らしのマンションを受け継いだんですけど、DIYでリフォームして古い壁紙とかを剥がしている時に、叔父の生きていた痕跡がふわふわ漂っていたのが印象深くて。もう主は死んだのに、部屋がまだ生活を再現し続けているような気がしたんです。そこでこの8年間、どうやって語るべきか悩んでいた震災のことを古いモノを修復する物語の中で描けるかもしれないなと思ったんです。

いとう そこに当事者問題というのもあってね。自分たちがそれを書いたり表現したりすることに関して、はたしていいんだろうかって意識に繋がってくるわけで。

清水 そうなんです。私は直接、被災地で何かを見てきたわけではないし、いなくなった人のことをどうやって語ればいいんだろうってずっと迷っていて。でも古家具を通してなら、いろいろ語れるんじゃないかと思ったんですね。

当事者問題に関しては『想像ラジオ』でも議論されてる章がありますよね。私はそれを読んで、すごく共感したんです。どちらの言い分もわかるけど、世の中の人はどれくらいこういう問題でぐるぐるしてるのかなって......。

いとう 自分は関係ないから喋るのをやめようとなると、それはそれでいいのかっていう。書いてしまっている僕らの側としては「やっぱり話すことが必要なんじゃない?」という位相にしかいられないわけで。『想像ラジオ』でも、やっぱり書き過ぎてるんじゃないか、自分はこんなこと書いていいのだろうかって問題は常にあって。心拍数は書いている間、何ヵ月もずっと上がり気味になってたしね。

清水 美術の世界ではあまり議論にもなってないというか、勝手に自分たちで抑制かけているところもあります。実際に被災した美術家や、地元が東北の人とかは震災直後から作品を作り続けて発信したり、展覧会もやってるんですけど。それ以外の人だと、まともに表現するのにちょっと及び腰になってしまうのはあって。

それって勝手に「自分には語る資格ないから」みたいに遠慮して、いい人ぶってる気持ちもあるけど、もしかすると本当は逃げてるだけなのかなって感じもして。それに当事者問題で悩んでいるのは私たちだけじゃなく、現地で被災した人たちの中でも「うちは家族が死んでないから」とかいう人もいてきりがない。それこそ死の苦しさなんて、本当に死んじゃった人しかわからない。

いとう そう、死者しか語る権利がないことになる。それは無言ということです。

清水 そういう議論があって迷いながらも『想像ラジオ』における不思議な声のように、実際に聞こえてしまうものもあるから「しょうがないよな、表現しないと」ってなるものだと思うんです。

いとう 音楽が聞こえてくる、みたいなね。実際、僕があれを書いたのも南三陸のほうに知り合いの実家があって、みんなで行って。街中、瓦礫(がれき)だけでなんにもないところに夜、被災した人たちが出してる飲み屋があるっていうからタクシーで向かってね。

誰もそこにはいないのに信号だけがまだ生きてて、赤信号だから止まったんですよ。その暗い世界をふと見渡した時に「これ、みんな喋ってるよね」って。その昼にたまたま信号のそばの杉の上に遺体が引っかかってて、それを収容できなかったと悔しそうに言ってる人の話も聞いてたので、気にかかってはいたんだろうけど。

割と直感的な何かがあって「これ、黙ってるわけがないよ。本人たちも自分たちがもういなくなったってわからないよね」っていう気持ちになって。たぶん、そのタクシーでもラジオがついてたはずなんだけど、『想像ラジオ』ってタイトルもその何十秒かで決まってたと思うんですよ。

――2013年に刊行、大きな反響とともに共感を呼び、多くの賞にノミネート、ベストセラーとなりましたね。

いとう 書いてて正直、お蔵入りにしたほうがいいんじゃないかと何度も思いましたけども。毎日書いて、「明日はどんな話が始まるんだろうな」って思いながら寝るみたいな。僕にとって、フィクションの世界ではあるけれど、もう登場人物たちがそこにいて生まれちゃってるわけですよ。

小説を書くって、そういう命を生んでしまうことで、その彼らがより強く自分の背中を押してくれたのかなと。そこで、どこまで踏み込んで描写すべきなのか、肉体的な死という問題とかも結構いろいろあって、清水さんも迷いがあっただろうなっていうのはすごくわかる。

清水 他者の死をただ恐ろしいものとして書くのはイヤでした。しかし主人公の鴻池さんが不思議な出来事にも怖がらない性格だったので、自然とおぞましい描き方になりませんでした。

それより難しかったのは阪神・淡路大震災後に起きたであろう性暴力のこととか関東大震災での朝鮮人虐殺の問題です。フィクションの物語の中ですら、どこまで踏み込んで語っていいのか迷うところがありました。

いとう 常にそこで思うのは、いわゆる戦争を語るっていうのと同じ問題に触れてるんだなってことで。体験者がいなくなってしまった途端にもう語れなくなっちゃうじゃないですか。そうすると、誰が原爆とか戦争というものを語るのか?って。

やっぱり、誰かが書かなきゃならないし、語らねばならないはずなんですよ。そうじゃないから、今みたいな社会になってると思うので。じゃあ、どう書くんだっていうのが腕の見せどころ、語りどころなんだろうな。

――今作では、それを家具に託して、語り部である主人公が過去の気配から関わった人々の記憶を呼び覚ますという。

清水 私は小説の中で、風景を立ち上げるという作業も非常に好きなので、いろいろな情景描写を書きたい欲望があって、いろいろな過去を掘ってみようと思って始めました。どんな過去を扱うのか、最初に具体的には決めていなくて、超絶行き当たりばったりで、家具職人である鴻池さんとほぼ同じ動きをしながら書いてた感じですかね。

いとう それはやっぱり自分が驚けるのと一緒に主人公も驚けるってことだよね。

清水 それが楽かつ楽しいスタイルですね。亡くなった叔父の部屋の壁紙を剥がしている時も、下から何層もの趣味の変遷が出てきて「あ、一回、和室にしたんだ」とか「この花柄は絶対あの人の趣味じゃない」みたいな。過去を知るって楽しいという単純な気持ちで、複雑でスペクタクルな面白さも求めながら書いていました。

――そこでファンタジー的要素もですし、想いを継承する物語の魅力が生じて......。

清水 継承ってことでいうと、倫理観とか他者への配慮だったり、真実を伝えたい正義感とかいろんな道はあるんですけど。一方で楽しい、美しい、魅力的だとか単純な感動も大事だと思いまして。死者だったり、その当事者がいた場所や風景も美しくて魅力的なものとして描きたいとは思ってます。

いとう それって、写真を撮ってきたこととも関係あるのかな?

清水 大いにありますね。東日本大震災が起きて、どうにかこれを作品にできないかと思った時も東北の沿岸の町を車で走っていて、海からふわーっと入ってくる光が強くて、人のいない街すらもとても美しかったからなんです。

それを撮ると、ものすごく魅力的な絵にはなってしまうんだけど、これを発表するのは違うなと。写真だと、直接簡単に写され過ぎちゃうというか、外からやってきてパチッとカッコよく撮れて、それで終わりってなるとそれこそ道義的な問題も出てきちゃうし。8年間、うんうん悩んで、最終的に小説になったという......。

いとう やっぱり、小説があってよかったということだよね。  

★対談後編に続く。

●清水裕貴(しみず・ゆき)
1984年、千葉県生まれ。2007年、武蔵野美術大学映像学科卒業。2016年に三木淳賞受賞。18年には「手さぐりの呼吸」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞し、翌年に改題した連作短編集『ここは夜の水のほとり』(新潮社)刊行。写真家、グラフィックデザイナーとしての表現も精力的に行なっている

●いとうせいこう
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家・クリエイターとしてマルチな分野で活躍。1988年、小説『ノーライフキング』で作家デビュー。『ボタニカル・ライフ植物生活』で第15回講談社エッセイ賞、『想像ラジオ』で第35回野間文芸新人賞を受賞。ノンフィクションに『「国境なき医師団」を見に行く』など


■『花盛りの椅子』〈集英社〉