「成功体験の積み重ねが、『すでに決まっていることをこなす』という受け身の姿勢から『自分たちでより良い仕組みを作っていく」』という主体性を引き出すことにつながる」と語る岡田憲治氏

政治とは何か? 民主主義とはなんなのか? 政治学者として、長年そのテーマと向き合ってきた著者が期せずして、子供が通う小学校のPTA会長に就任することに。だが、何も知らずに踏み込んだ世界は「魔界」だった......。

『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)などの著書がある専修大学法学部教授の岡田憲治氏が、PTA会長として過ごした3年間の「大冒険」を振り返るのが、新刊『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)だ。

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――なぜ地元小学校のPTA会長を引き受けることに?

岡田 単に「断り切れなかった」からです(笑)。僕はもともとPTAに興味もなかったし、むしろ「近づかないほうがよさそうなところ」ぐらいに思っていたので、「無理です」と断っていたんです。

でも「保護者のひとりがPTA活動のせいで下の子の幼稚園の運動会を見られなかった」みたいな話を聞いて、義憤に駆られたのもありました。最後は妻から「あなた、普段から半径10mの民主主義こそが俺の政治学だって言ってるじゃない!」とトドメを刺される形で引き受けちゃったんです。

――ところが、踏み込んだ先のPTAは魔界だった?

岡田 僕は政治学者だから、PTAって親(保護者)と先生(学校)の「任意団体」で、「自治」のための組織なんだよね、ぐらいに思っていた。

ところが、いざ踏み込んでみたら、いきなり派閥争いに巻き込まれるし、民主的な自治組織の運営に必要な原理原則とか、最低限のルールみたいなものが共有されていなかった。

一方で、なんのためにあるのか、誰が作ったのかもわからないルールや慣習にガチガチに縛られていて、皆さん本当に大変そうだし、本来強制じゃないはずのPTA活動の負担で、自分の生活を犠牲にしてる人までいる。なぜPTAが「いやでもやらなきゃダメなもの」みたいになってるんだろうと、あらためて疑問に思ったんですね。

――確かに、誰もPTAの役員をやりたくないから、保護者の間で押しつけ合いになるという話を聞きます。

岡田 こりゃ会長になった以上、自分がPTAを変えなきゃと思うわけですが、ここからが「失敗」の連続でした。

どんなに僕が「ムダを排してPTAの活動をスリム化しましょう」とか「これは変だから変えましょう」「この活動は意味がないからやめましょう」と「正論」を主張しても、相手にその「言葉」が通じない。

その理由はふたつあって、ひとつは、たとえ自分の言っていることがどんなに正しくても、相手の側にそれを受け入れる基盤がなかったら「言葉」って届かないということです。

PTA活動に関わっている保護者は、基本的にいい人たちで、仕事や自分の生活で忙しいのに、責任感を持って献身的にがんばっている。

そんな人たちが「大学教授」みたいな肩書で僕みたいに見た目もデカいオッサンから、いきなり「こんなの意味ないからやめましょう」なんて言われると、これまで黙々とがんばってきた自分たちの苦労や努力まで否定されてるように感じてしまう。そうなると、僕の言葉は伝わらないんですね。

――岡田さんが以前の著書『なぜリベラルは敗け続けるのか』で書かれていた、上から目線で「正しさ」を押しつけるリベラルの話と同じですね。

岡田 そう。恥ずかしながら自分もそれと同じ失敗をしていたことに気がついたんです。

もうひとつは「教育の問題」です。日本の教育って、先生から与えられた課題をきちんとこなせるのが「優等生」で、その延長線上で大人になっちゃってる人がほとんどなんですね。

だから、すでに決められたルールとか仕組みの中で、きちんとそれをこなす「優秀なオペレーター」は多い。PTA活動も、そういう人たちの努力で支えられていますけど、いつの間にか「決まっていることをきちんとこなす」が自己目的化してしまって、その「枠」を変えることに強い抵抗を感じるようになると、もう何も変えられなくなってしまう。

――それを乗り越えて、相手に自分の言葉を伝えるためには、何が必要なのでしょう?

岡田 まず、むき出しの理屈や正しさではなく、具体的に相手が「苦しんでいること」を理解して、自分が責任を取るから「その苦しみを取り除く方法を一緒に考えよう」と丁寧にアプローチすることです。

例えば、PTAのお母さんたちは運動会でのお茶出しや自治会のお月見でオジサンたちのお酌までやらされていたんだけど、ホントは誰もやりたいと思ってない。だったら「それって苦しいよね。理不尽だよね」と、その人たちと一緒に考えながら、ひとつずつ変えていく。

その結果「つらいこと」から救われる人が生まれる。その成功体験の積み重ねが、「すでに決まっていることをこなす」という受け身の姿勢から「自分たちでより良い仕組みを作っていく」という主体性を引き出すことにつながる。それが、僕がPTA会長を務めた3年間で実感したことです。

――これって、PTAだけの話じゃなさそうですね。

岡田 まさにそのとおりで、民主主義的な「社会」や「組織」って、人間ひとりの力は限られているから、力を合わせて、自分たちのいる場所をより幸せなものにしていこうよ、というのが「原点」のはず。

ところが、そのために作ったはずの仕組みやルールがいつの間にか「自己目的化」して人々を縛りつけ、時には人を不幸にしてしまう。まさに本末転倒なんだけど、そういうことがPTAに限らず、日本社会のあちこちで起きている。

僕がPTAでの経験を「自治」という政治学のフィルターでとらえているのもそのためで、民主主義的な「社会」って、本来私たちひとりひとりのためにあって、必要なら自分たちの手で変えられるもののはずです。

ただし、本気でリアルな社会を変えたいと思うなら「相手の問題」に寄り添い、「相手に伝わる言葉」を探すための努力を惜しまないことが求められる。お互いに自分たちの信じる「正しさ」を主張しながら、足の引っ張り合いをしている今の野党が学ぶべき大切なヒントが、PTAの「身近な民主主義」には隠れているのです。

●岡田憲治(おかだ・けんじ)
1962年生まれ、東京都出身。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。専修大学法学部教授。専攻は政治学。とりわけ民主主義の社会的諸条件に注目し、現代日本の言語・教育・スポーツなどをめぐる状況に関心を持つ。著書に『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)、『ええ、政治ですが、それが何か?』(明石書店)、『働く大人の教養課程』(実務教育出版)、『言葉が足りないとサルになる』(亜紀書房)など。広島カープをこよなく愛する2児の父

■『政治学者、PTA会長になる』
毎日新聞出版 1760円(税込)
民主主義とはなんなのか? そのテーマと向き合ってきた政治学者の著者が、義憤に駆られ、ママ友から相談され、妻にもトドメを刺される形で引き受けることになったPTA会長。誰が作ったかもわからないルールや慣習にガチガチに縛られていて、強制じゃないはずのPTA活動の負担で生活を犠牲にしている人までいるのはなぜなのか? それを変えるには何をしなきゃいけないのか? 街場の民主主義に政治学者が向き合った1000日の記録

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