2020年10月、東京都調布市の住宅街の道路で、突如巨大な陥没が発生。原因は地下47mの深さで施工された巨大トンネル工事による地盤沈下だった。工事を管理する「NEXCO」は地盤補修のため一部の家屋を解体、移転させられる住民に手厚い補償を用意した。
しかし、そのエリアから外れた住民は憤懣やるかたない。なぜなら彼らの家では陥没被害はまだ続いているからだ。現場徹底取材!
■幅16m、長さ220mの"補償エリア"
2022年2月18日、東京都調布市東つつじケ丘2丁目一帯に「家屋解体工事について」と題するチラシが投函(とうかん)された。投函主はNEXCO東日本(東日本高速道路株式会社。以下、NEXCO)。同エリアの地下で高速道路「東京外かく環状道路」(以下、外環)を建設している事業者である。
そのチラシは、空き家となった家屋を2月25日から解体するとの知らせだった。これを見た住民の菊地春代さん(66歳)は憤った。
「そういう計画があると知ってはいました。ただ、その具体的な工程や工法について私たちは何度もNEXCOに話し合いを求めましたが、先方は応えてくれなかった。それなのに、いきなりの解体告知ですから、本当に驚きました」
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話は20年10月18日にさかのぼる。東つつじケ丘2丁目で、生活道路が陥没する事故が発生した。その原因は同年9月14日に実施された地下での掘削工事だ。NEXCOは外環建設のため、直径16mのシールドマシン(円筒形の巨大掘削機)による地下47mでのトンネル工事を進めていたが、それにより地盤が緩んでしまったのである。
その後、トンネル直上の地中では、最大で長さ約30mの空洞が3つ見つかるなどのトラブルが続出。住民たちは「自分たちの生活はどうなるのか」との言いようのない不安を覚えた。
それから5ヵ月後の21年3月19日、NEXCOは記者会見で、「緩んだ地盤の改修工事を行なう。期間は2年間を予定しているので、その間、住民には『仮移転』をしてもらいたい」と公表した。
同社によれば、地表部(厚さ5~10m)から地下47mまでの地盤を改修し、その際に地盤の直上にある家屋は解体する必要があるという。そして、補償の対象になる住民には、以下の条件を提示した。
①工事終了後に仮移転先から戻ってくるなら、家屋の新築費用を負担。仮移転先の2年間の家賃も補償する。
②戻ってこないならば、不動産をNEXCOが買い取る。
同社はその範囲を「トンネルの幅16m、長さ220mの長方形の区域」と線引きし(「地盤補修地域」)、約30軒の家屋がその"補償エリア"内に収まった。
しかし、陥没の被害はそのエリア以外にも広がっていた。陥没直後に結成された市民団体「外環被害住民連絡会・調布」(以下、連絡会)は、陥没現場周辺の約700m×200mの範囲にある戸建て住宅308軒にアンケート調査を実施し、132軒から回答を得た。
それによると、陥没事故の前後には、構造物の被害が58軒(ドアや床の傾きが19件、コンクリートのヒビ割れが17件など)、体感的な被害が102軒(振動95件、騒音72件、低周波音51件)あった。
NEXCOもそのことは認識しており、21年1月から「補償対象地域」を設定し、家屋のヒビ割れやドアのゆがみの補修などを行なった。ただその一方で、同社は「区域以外での地盤の緩みはない」という立場を取り続けた。
同年4月上旬、NEXCOは調布市内で住民説明会を開催。そこで住民のひとりが質問の手を挙げた。
「トンネルの直上(の地盤)だけが緩んでいるとの説明に疑問を覚えます」
これに同社はこう回答した。
「追加のボーリング調査、微動アレイ調査(地表面から地盤の振動を測定)、音響トモグラフィ(ボーリングの穴から発信して地中を通った音波を解析)を行ない、直上だけに緩みがあると認識しました」
「ご近所さんがいなくなる」
この説明会の後、NEXCOは補償エリア内の世帯に個別交渉を開始した。ある"エリア外"の住民は、「実際に交渉した方から聞いた話ですが」と前置きした上でこう耳打ちする。
「NEXCOは『お宅にだけは特別な見積もりを考えます』と声をかけたようです。その提示額まではわかりませんが、数千万円以上なのは間違いなさそう」
冒頭でも記したように、NEXCOは2年間の具体的な工程を住民に明示していない。だが、同社は「仮移転先の2年分の家賃を支払うし、工期が2年を超えても払う」と説明している。これはつまり、「2年で元の場所に戻れる保証がない」ということだ。そうなると、住民はNEXCOに不動産を買い取ってもらっての移転を優先的に考えるようになる。
「先日、3軒先のAさんが挨拶(あいさつ)に来られました。トンネル工事の直上で玄関脇のタイルにヒビ割れが入ったお宅で、不動産業者の査定価格で(NEXCOによる買い取りの)話がつき、神奈川県に転居するとのことでした。
お隣のBさんが引っ越されてもう5ヵ月、筋向かいのCさんが引っ越して半年がたちました。Cさんの裏のDさんも引っ越され、その向かいの2軒と、裏のEさんも交渉中です」
このコメントは被害地域の住民である丸山重威(しげたけ)さん(80歳)が「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」(以下、大深度法)の違憲性を訴えた行政訴訟で、原告団のひとりとして口頭弁論の場で語った言葉を要約したものだ。大深度法は「地下40m以深の工事であれば、住民との交渉も補償も不要」と定めた、外環トンネル工事の"合法性"を支える法律である。
ちなみに、丸山さんの自宅は補償エリアから、わずか31.2㎝離れており、仮移転の対象外だ。
別の、ある補償エリア内に住む女性は「昨日まで挨拶していた人がいなくなるのですから、やはり寂しいです」と言いつつ、やはり引っ越しを考えているようだった。
「またいつ振動があるのか、騒音があるのか、ヒビが入るのかと思ったら、落ち着いて暮らせないんです」
東つつじケ丘2丁目を歩くと表札のない家が目立つ。丸山さんは、こう不安を漏らした。
「くしの歯が抜けるように次々とご近所さんがいなくなる一方で、残らざるをえない住民もいる。ここがいったいどんな町になるのか。NEXCOはそれを一向に示してくれない」
■補償エリア外の住民たちの苦悩
ただ、補償エリアの外にいる住民たちは今も被害に頭を悩ませている。
冒頭に登場した菊地さんの宅前の路上は、補償エリアからは外れるが、今年1月に異変が起きた。どうも道路が少しへこんでいるようなので、測ってみると以前より2.8㎝沈んでいたことがわかった。菊地さんから報告を受けたNEXCOは沈下を「確認した」が、その後はなんの対策も取られていない。
今年2月、陥没現場から数十m離れたアパートでは、すぐ前のコンクリート路面にヒビが走っていた。しかしそこは、その数ヵ月前にNEXCOが補修したばかりだった。アパートの1階に住む高山さん(仮名、女性)によると、一昨年の陥没から10日後に床下から砂がザーッと崩れるような音がしたという。
「その後もドーンともバーンともいえぬ音がして、そのうち床が傾き就寝中に布団が部屋の角に動き、壁にヒビが入る。それをNEXCOに電話しても、取り合ってもらえませんでした。もう住めないと思いました」
2月14日、耐えかねた高山さんは寂しそうに掃除をして午後には引っ越していった。
陥没現場から東に約100m離れた若葉町1丁目の吉本さん(仮名)は、「陥没前には微振動を感じ、窓ガラスが何時間も揺れました。陥没後の今も壁面のあちこちにヒビが走っています」と訴える。
身元特定を避けるため写真撮影はできなかったが、確かに長さ1mほどのヒビを何ヵ所も確認できた。吉本さんの要請で21年5月に現場を調査したNEXCOは、「家屋はトンネル工事の影響が及ぶ45mより離れているから工事による影響ではない」とメールで回答するだけだったという。
ある補償エリア外の住民は、やるせなさそうにこう言った。
「正直言うと引っ越したいです。でも、転居した人たちをうらやましいとは思わない。ここから離れたくない人だっていたんだから。でもだからといって、トンネルの直上ではないとの理由だけで『あなたの土地は安全です』と言われて放置されるのは、納得できない。私の生活、どうなっちゃうの」
NEXCOは補償エリアの外にいながら、いまだに被害に苦しむ人たちについて、どう考えているのだろうか? NEXCO担当者にそう尋ねたところ、こう回答した。
「住民の方々には丁寧に説明します」
補償は考えていない?
「われわれの調査で地盤は緩んでいないのでそれは考えていません」
再び陥没などが起きる恐れは?
「それがないように工事をしますので」
■急転直下の「工事中止」命令
家屋の解体工事が行なわれる予定だった2月25日の朝8時、ある騒動が起きた。前出の菊地さんや丸山さんら周辺の住民が集まり、NEXCOの担当者にこう詰め寄った。
住民 おかしいじゃないか。私たちは何度もどういう工法での地盤改修工事なのかとの説明を求めている。
NEXCO 地盤改修工事の前にはきちんと説明させていただきます。
住民 その説明は、家を壊す前にやるべきだ。
NEXCO 空き家が増えるのは防犯上よくないので。
* * *
菊地さんの自宅はトンネル直上に位置し、補償エリアに含まれる。だが、8年前から外環工事の計画に反対する市民団体に所属しているからなのか、彼女の家には個別交渉が一切なかった。
「解体工事の通告のあった18日から3日後の21日に初めて、御社から『お宅とも個別交渉をしたい』との話があった。でも、私は以前から『住民からの質問にきちんと回答しなければ交渉に応じない』と伝えている。その後、私に連絡がなかったのは御社が『まだ住民の問いに答えていない』との認識があったからでしょうか? だとするなら、いきなり(家屋の)解体はありえません」
NEXCO担当者はまったく反論ができなかった。そして「合意がなければ工事は行ないませんね」との声が住民から上がると、「とりあえず本日は作業を中止します」として工程表をはがした。そして同担当者はNEXCO本社に電話確認を取り、午後1時頃に「来週前半に話し合いの日程を連絡する。それまでは解体工事は中止する」と住民たちに伝えた。
ところが、その3日後の2月28日。事態は思わぬ方向に進む。
外環をめぐる裁判には前述の行政訴訟のほかに、20年5月に「工事差し止め」を求めた仮処分申請があるが、これが一部認められたのだ。
外環工事は、東京都練馬区と世田谷区の間に16㎞のトンネルを2本建設する計画だ。
そして仮処分は世田谷方面のトンネル工事を差し止めるもので、東つつじケ丘2丁目の陥没現場もそこに含まれている。
決定理由は13人の原告のうち、陥没現場近くに住む丸山さん宅の地盤が、陥没した地盤と同条件であり、工事再開でもし陥没すれば「家屋の倒壊を招き、生命・身体に危険が生じる」というもの。これにより、NEXCOの「トンネル直上を外れれば地盤の緩みはない」との主張は事実上、否定された。
ただ、原告団は複雑な心境だ。そのひとり、國井さわ美さんは記者会見で「うれしいが半分、悲しいが半分の決定です」と話した。「悲しい」のは、訴えが認められたのが丸山さんだけであり、残る12人は「地盤状況も違うし、陥没現場からは距離もある」との判断で危険性が認定されなかったからだ。
この急転直下の工事中止の仮処分によって、NEXCOと住民との話し合いの場もいったん白紙になった。しかし、問題は山積みだ。「話し合い」はいつ行なわれるのか? 補償エリアはこのままなのか? そもそもトンネル工事は再開されるのか? 調布市東つつじケ丘2丁目の"陥没地帯"の住民は、まだ不安が拭えていない。