「島の人たちは逃走犯を『○○君』と親しげに呼び、『出てきたらご飯でも食べさせてあげるのに......』と心配していたそうです」と語る高橋ユキ氏

ある男は愛媛県松山刑務所を抜け出し、広島県向島(むかいしま)の空き家に潜伏。捜査の網の目をかいくぐり、尾道水道を命がけで泳いで本州に脱出した。

また、ある男は大阪府富田林(とんだばやし)署で弁護人との接見後、面会室のアクリル板を蹴破って脱走。日本一周を目指すサイクリストに扮(ふん)して出会う人々を欺きながら、49日間にわたり約1000㎞を移動した。

高橋ユキ氏の著書『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』は2018年に起きたこの2件に加え、"昭和の脱獄王"白鳥由栄(よしえ)やカルロス・ゴーンら、さまざまな脱走犯の逃走劇を描いた異色の事件ノンフィクションだ。

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――本書のスタート地点はもともと、松山、富田林の事件についてそれぞれ週刊誌で書いた記事だったんですよね。

高橋 はい。なぜ逃げたのか、逃走中は何をしていたのかを知りたいと思い、当人から手記を取り『週刊ポスト』(小学館)に書きました。18年4月に松山の脱走事件が起きて、これを取材しているとき、同年8月に富田林の事件が起こったんです。「また脱獄かよ」という声も多かったし、「じゃあこっちもやるか」という感じで始めました。

――当時、この2件の逃走劇は連日ワイドショーをにぎわし、世間はエンターテインメントのように消費していたと思います。

高橋 逃亡時は「今、どこにいるんだ?」と盛り上がって、逮捕後に逃走手段や逃走経路が判明すると、もうひと盛り上がりしたという記憶がありますね。『ポスト』では当人たちの手記を取っただけだったので、彼らが潜伏していた場所や立ち寄った場所を訪れ、現地の人の話を聞けば現場感のある読み物になるんじゃないかと思って追加取材したのが本書です。

――松山の事件に関しては、逃走した理由が明確でした。

高橋 彼は約120件もの窃盗や建造物侵入の罪で懲役5年6ヵ月の判決を受け、松山刑務所に入所した後、模範的な受刑者が集められる大井造船作業場に収容されていました。あと1年9ヵ月務めれば刑期満了だったのに逃走。

受刑者同士の間で上下関係ができて、皆が同じ違反行為をやっているのに自分だけ説教されるなど理不尽な扱いを受けていて、作業場の体質改善を訴えるために脱走したと主張していました。

――高橋さんとの手紙のやりとりを見る限り、文面はすごく丁寧で、マジメな人という印象を受けます。自動車整備士になりたいから参考書を送ってくださいとか、自己改善して出所後は社会の役に立ちたいとか。彼の更生への意欲に対してはどう思いました?

高橋 そこは素直に応援したいとは思いますが、過度な期待はかけないほうがいいと思うんです。というのも、私はこれまでさまざまな受刑者と文通し、出所後も連絡を取り続けている人もいますが、出所者の生活は大変で、つらい目に遭うことも多い。そんなときに応援されるとそれがプレッシャーとなり、本心を言いにくくなるんじゃないかと思うんですよね。

――そんな松山の逃走犯と対照的なのが富田林の逃走犯でした。

高橋 松山のほうは割と早く手記を得られたのですが、富田林のほうは「なんてめんどくさい人なんだ......」と思いました。手記を得るために手紙で交渉をするのですが、保釈保証金を出してほしいとか、有名企業や実業家の連絡先を教えてくれとか。

もちろんそんなことはできませんが、ひとつの要求を拒否するとまた新たな要求を突きつけられるという状況が約1年も続いて。これは我慢にも限界があるぞということで、「もうやめます」と伝えたら態度が急変して手記を書いてくれたので驚きました。

取材者は話を聞かせてもらう側なので基本的に下手に出ざるをえません。そこに乗じてきたっていうのは感じましたね。

――逃走劇というと警察との熾烈(しれつ)なチェイスを想像しますが、まさに「事実は小説より奇なり」で、現地取材で得た住民たちの証言には驚きました。

高橋 松山のケースは向島に延べ1万5000人超の警察官を動員しておきながら大がかりな捜査は昼間だけだったり、捜査した空き家にチェック済みのテープを張っていたり。島の人たちは捜査のずさんさに呆(あき)れていました。

その一方で逃走犯を「○○君」と親しげに呼び、逃走当時は「出てきたらご飯でも食べさせてあげるのに......」と心配していたそうです。

――「凶悪な逃走犯とおびえる地域住民」の構図からかけ離れていた面もあったと。

高橋 おびえながら登校する小学生の様子がテレビで報道されたけれど、実は検問による渋滞のため学校に遅刻しそうになって泣きそうになっていただけだったという話もありました。今回、現地取材を通してつくづくメディアは物語をつくりたがるんだなぁと感じましたね。

――事件ノンフィクションには社会的な意義が求められる傾向がありますが、本書のあとがきで、その「建前」が必要とされることに「居心地の悪さを感じる」と書いていますね。

高橋 それを感じたのは、4度の脱獄に成功した"昭和の脱獄王"白鳥由栄に関して「博物館 網走監獄」を取材しようとしたときです。「逃走犯を面白がっていると思われるからイヤだ」という感じで一度断られているんです。「興味を持つ=面白がっている」ととらえることは理解できるとしても、興味を持つことの何がいけないんだ?と感じます。

世の中の人たちは必ずしも何かを学びたい、賢くなりたいと思って本を読むわけじゃないですよね。私も事件ノンフィクションを読むときは、純粋にその事件のことが知りたいっていう気持ちで読むので。「興味を持つ=面白がる」とされ、その上タブー視される風潮に疑問を呈してみようという意図もあってそう書きました。

――確かに、本書も「脱獄とは......」みたいな社会的な意味づけはしていませんね。

高橋 週刊誌記事のようなノリでスピード感を出そうという狙いもあり、あえて意味づけはしないようにしました。例えば殺人だったら、犯人が事件を起こした衝動や経緯を探るためにはその人の生い立ちから検証する必要が生じることもありますが、脱走の場合は「逃げたいから逃げたんでしょ」って私は思うんですよ。

社会的な意味づけをするようなものが特にないというか(笑)。今回は安易に意味づけをすると、逆に不誠実かなと思ったんです。

●高橋ユキ
1974年生まれ、福岡県出身。2005年、女性4人の裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成しブログを開設。以後、フリーライターに。主に刑事裁判を傍聴し、さまざまな媒体に記事を執筆している。ベストセラーとなった『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)など、事件取材や傍聴取材を基にした著作がある

■『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』
小学館新書 946円(税込)
尾道水道を泳いで渡った松山刑務所逃走犯に、「自転車日本一周」を装い人々の目を欺いた富田林署逃走犯。著者は彼らの手記を得て、逃走ルートを歩き現地の人々の証言を収集。そこからあぶり出されたのは、当時の報道とは異なる驚愕の事実だった。ほか、4度の脱獄に成功した"昭和の脱獄王"白鳥由栄の足跡をたどり、終章ではカルロス・ゴーンの国外逃亡に触れながら、保釈や逃走罪をめぐる日本の司法の問題点を考察する

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