批評家・作家の東浩紀氏は若くして批評界にデビューして以来、30年近くにわたり、哲学書、評論、小説、エッセイ、そして膨大な数の対談と、さまざまな領域で活躍してきた。
新刊『忘却にあらがう 平成から令和へ』はそんな東氏にして初となる時評集で、『AERA』(朝日新聞出版)に連載中の時評5年分、計131本を収録している。
本書で取り上げられる話題はその大半が「ああ、あったなあ」と思い出されるものばかり。誰もが知るそうした話題を扱いながら、多様な視点に加え、「国を愛することと、国を愛するという『記号』をまとって自己満足することはまったく異なる」といった「寸鉄(すんてつ)人(ひと)を刺す」名言も随所で味わえる。
毎回見開き2ページの短文が、Twitterとは比較にならない可能性を蔵していると教えてくれる。本書はいわば、令和版『考えるヒント』(小林秀雄著、文春文庫ほか)なのだ。
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――隔週で時評を書き続けるのは大変な仕事とお察ししますが、テーマ選びなどで苦労されたことは?
東 事件というのは、まとめて起きがちなんですよね。この7月、8月だけでも、円安の問題、原発再稼働の計画検討とか、けっこういろいろ書けるんだけど、どうしても安倍銃撃事件に偏ってしまったりと、そういうところが難しいですね。
あと、僕の最大の欠点は、スポーツ・芸能ネタに関心がないことで。大谷翔平さえ出てこないでしょ? ふつう、書くよね(笑)。
――テーマはさまざまでも、東さんの一貫した考え方や問題意識が読み取れます。特に、性急に「友」と「敵」を分けて後者を執拗に攻撃する世の風潮には、繰り返し"待った"を説かれていますね。
東 ずっとそういう時代だからね。この5年間で何を感じてきたか、ひと言で言えば無力感なんです。「人ってこんなに話を聞かないものだったんだ」と。とにかく敵と認定したら何を言ってもダメ。聞いてくれない。
僕は最近SNSやめたんです。やめると、いいですよ~。強くオススメする! 3年近く前にも一度やめてるんだけど、そのときよりもいっそう解放感が大きい。つまりそれだけ、SNS上で"なんとか警察"みたいな人が増えて、日々もめ事があり、それなりに名のあるいい年した人たちがののしり合う、という状況が加速したんだろうと思います。
――SNSに対する懐疑的な見解は本書でも繰り返し見られます。また、新型コロナウイルスが流行し、"コロナ禍"が始まってからの章の中で、一度としてDX(デジタルシフト)を評価していないのが印象的でした。
東 そうそう。「ゼロコロナが達成できる」なんて、僕は一度も言ってません。ちなみにメタバースやNFTについても書いていませんよ。IT系のビジネスやってる人は「全部DXでいけるんだ!」と思うかもしれないけど、世界はそれだけで動いてはいないと思うんだよね。
で、ああだこうだ言ってるうちに、今度は戦争(ロシアによるウクライナ侵攻)まで始めちゃった。もう、この数年間は人類のバカさが光ってると僕は思う。滑稽でさえあるよね。
結局のところ、人間はリアル空間を大切にしてて、だからいまだに戦争しちゃう。そうした欲望は変わらないわけだから、それを直視して、どう対処するか考えなくちゃいけない。デジタルにすればいいって話じゃ問題解決しないですよね。
――リアル空間を大事にするのは、例えば、旅行といったカタチでこそ実現されるべきものですよね。東さんはここ10年近く、「観光客の哲学」を育ててこられました。本書でも、ロシア、ウクライナ、中国、韓国と旅先での見聞が書かれ、どれも刺激的です。
東 でも後半は全然ないでしょ? 行けてないからね......。一般市民が特に政治的な使命を帯びることなく、国境を越えて自由に行き来できる状態は国際平和に資すると思うし、逆に言うと、今のこの殺伐とした国際情勢はコロナ禍で人々の交流が絶たれたことがかなり影響してると思う。だからこれからも観光は大事だと思います。単にビジネスの観点からだけじゃなくてね。
――本書を通じて、東さんはご自身の考え方が少しでも広まってほしいといった思いはお持ちですか?
東 というか、僕としては自分は常識的なことしか言っていないつもりなんですよ。まえがきにも書いたけど"ふつう"なんですね。むしろ出版界やネット上に、右も左も極端な意見が増えすぎているんじゃないかな。そりゃあみんな物を読まなくなるだろうと思いますよ。
――本書を読んでいると、「それでも東浩紀は人文系の価値を信じているんだ」と伝わってきます。「政治は友と敵を分割する。文学はそれをつなぎなおす」など、希望を捨ててはいらっしゃらない。
東 まあね、それしかないからねえ。今さら僕が理工系に進んでも仕方ないから(笑)。
僕が文章のスタイルを変えたり会社やったりいろいろしてるのは、人をつなぐ媒介としての言葉をどうやったら機能させられるのか、みたいなことを常に考えてるからでもあります。
評論っていうのは、論破ゲームとかYouTubeと親和性が高いんです。でも、人を批判したり、バカにしたり、敵とみなして潰したりといった快楽は、結局はポルノ的な快楽なんですよね。"オレのほうが頭いいぜゲーム"みたいな。
僕もある時期まではそういうものをやっていたんだけど、今はそれより、自分が哲学用語を使って考えていることを、どういうふうに表現すれば哲学に関心がない人にも伝わるかとか、そういう技術のほうを磨いてますね。そこにやりがいを見いだしてます。
――なるほど。つなぐ言葉。そちらに快感を得られる人が増えれば、世にはびこるののしり合いは減るのではないでしょうか。
東 そう思いますよ、僕は。ちょっと話は飛ぶけど、先日ある島へ行ってきたんです。そこには生活があり、SNSと関係ない産業とか歴史がある。
島に限ったことではないけど、哲学とか思想っていうのは、本当はそういう人たちにも届くようなことをやるものだと思う。都市住民に特化して消費されてゆくものではなくね。旅行するとそんなことも考えます。
●東 浩紀(あずま・ひろき)
1971年生まれ、東京都出身。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会社ゲンロン創業者。博士(学術)。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。『存在論的、郵便的』(1998年)でサントリー学芸賞、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年)で三島由紀夫賞、『弱いつながり』(2014年)で紀伊國屋じんぶん大賞、『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年)で毎日出版文化賞を受賞
■『忘却にあらがう 平成から令和へ』
朝日新聞出版 1980円(税込)
若くして批評界にデビューして以来、30年近くにわたってさまざまな領域で活躍し続けてきた批評家・作家の東浩紀氏にとって、初の時評集。本書には『AERA』(朝日新聞出版)で連載中の巻頭コラム5年分、計131本が収められている。また、付録として「平成という病」という論考も収録。天災、疫病、祭典、犯罪、戦争など、さまざまな出来事があった平成から令和への転換期に、ジャーナルな事象の意味を、語り継ぐべき記憶へと書き換える