国内最大の暴力団・山口組の分裂を主導した大物幹部がこのほど、抗争相手だった高山清司若頭に面会して一連の経緯を謝罪し、組を解散して堅気となる運びとなった。ミソギをつけたことで生命の安全は担保されるとみられるが、財産まで保証されるかは不透明との見方もある。一筋縄ではいかないヤクザの引き際とは。
■袂を分かった親分に謝罪
昨年12月20日、JR新横浜駅に神戸山口組で若頭を務めた寺岡修氏(73)が降り立った。その後、横浜市内の稲川会の施設に向かい、待ち構えた六代目山口組のナンバー2・高山清司若頭に面会。2015年8月に山口組を脱退して神戸山口組を立ち上げ、抗争に発展した顛末を謝罪した。
「寺岡氏は分裂の首謀者として、六代目側から最も重い処分である絶縁を言い渡されました。神戸側では組織内での長男にあたる若頭に就任し、井上邦雄組長を支えました。
しかし、六代目側からの攻勢を受けて組織が弱体化すると、九州の組織を頼って井上組長の引退と組の解散を画策しましたが、不調に終わりました。挙句の果てに井上組長からも絶縁処分を受けて八方ふさがりとなり、稲川会の仲立ちで今回の謝罪に至りました。
その場では、引退して堅気になることも明言し、翌日に兵庫府警に対し、自ら率いた侠友会の解散届を提出しました」(大阪社会部記者)
寺岡氏は六代目体制では若頭補佐の要職に就いたこともあったが、神戸山口組の立ち上げに際しては、兵庫県の淡路島にある侠友会の事務所を神戸側の本部とするなど、積極的に組織を切り盛りした。
このため、六代目側からはこの事務所や愛人とされる人物が経営する飲食店を襲撃されるなど、攻撃の矢面に立たされた。神戸側においては、マシンガンによって蜂の巣状態で銃殺された幹部もいるだけに、今回の謝罪で身体に危害が加えられなかっただけでも御の字と言える。
だが、これまでのヤクザの引退のケースを紐解けば、築き上げた財産を守れるかは別問題だ。
■引退後もヒットマンに狙われる日々
今回の分裂抗争における"敗軍の将"を語るうえで参考になるのが、80年代に繰り広げられた、山口組と分裂した一和会との「山一抗争」だ。マル暴刑事が語る。
「一和会は開戦当初、四代目山口組の竹中正久組長や中山勝正若頭を射殺する戦功を挙げた。しかし、山口組の猛反撃を受けて組織は壊滅状態となり、一和会の山本広会長が本家に謝罪して引退。組織は解散した。
ただ、山本会長は引退後も竹中組長の仇討ちを目指す勢力に命を狙われ続け、住居を転々とする暮らしが続いた。他の幹部も、財産を没収されて団地で生活保護を受けたり、チンピラに街中で殴られたり、将来を悲観してチャカ(拳銃)で愛人と無理心中したりと悲惨なものだった。
今回の分裂でも、出ていった方はジリ貧だが、それでもヤクザをなかなかやめられないのは、こういう没落を知っているからだよ」
「この業界では、『かまどの灰まで親分の物』という言い伝えがある。稼業で築いた財産は、組の看板があってこそのものだから、本来は親分に帰属するという考えだね。
だから、引退したら財産や若い衆をすべて親分に返さなければならないということ。追い込みをかけられたくない者は、引退する際に自分で指を叩いて(断指)許しを請う。神戸山口組を脱退した幹部の中にはそういう者もいたようだ。
もちろん、引退したヤツに毎度無理やり返納を迫ったら警察にかけこまれるから厳密にはやらないけれど、組織への裏切り行為があった者に対してはトコトンまでやるよ。あとは、かつての子分たちから『おいおっさん、昔は世話してやったな。いくらか金を貸してくれよ』とたかられるケースもある。そんな感じで財産をガジられていく」(前出刑事)
■伯爵授与のケースも
一方で、一握りの大物ヤクザの中には、悠々自適の余生を過ごしている人間もいる。
「08年に山口組を除籍処分となった後藤忠政氏は、引退後にカンボジアに移住し、国籍を取得して伯爵を授与されています。後藤氏は全盛時、日本のヤクザ界で一、二を争う資産力を誇り、人脈も豊富なので、カンボジア政府から重宝されているのでしょう。
また、邦画撮影に巨額を投じて話題を集めたりと、余裕のある余生を送っています。ただ、こんな芸当は大富豪の後藤氏だからなせる業で、他のヤクザには不可能でしょう」(週刊誌記者)
老後の生活設計は、一般人だけでなくヤクザにとっても頭が痛い問題であるようだ。
●大木健一
全国紙記者、ネットメディア編集者を経て独立。「事件は1課より2課」が口癖で、経済事件や金融ネタに強い。