「(ウクライナからの避難民に対して)助けたというほどのことはしてませんが、友達にはなれたかもしれません」と語る前川仁之氏 「(ウクライナからの避難民に対して)助けたというほどのことはしてませんが、友達にはなれたかもしれません」と語る前川仁之氏

ロシアがウクライナに侵攻を開始して間もなく1年。国内では「力による現状変更」をかたくなに拒否する岸田文雄首相が防衛増税を打ち出し、議論と苦情を呼んでいる。今年も結局、世界は"力"に振り回されるのか。

いいかげんうんざりだ! という方にうってつけの本が刊行された。『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』は古今東西の難民や亡命者らの足跡を追い、時には実際に交流を持った著者がその体験と思索を総動員して"逃げること"にポジティブな光を当てた、渾身(こんしん)のルポルタージュだ。同時に、「力こそが現実」という風潮に異議を投げかける、国産の平和本でもある。

だが著者の前川仁之(さねゆき)氏が考える「逃げる技法」には、単純に戦争や災害から逃げることにとどまらない意味があるようだ。

* * *

――著書の前半では主にイエメン難民との交流がつづられています。中東イエメンの内戦から逃れてきた人々が大勢、韓国で暮らしていると。知らないことばかりで新鮮でした。

前川 舞台は韓国本土ではなく、独特の風土がある済州(チェジュ)島です。この絶妙の距離感が日本の読者にとってもちょうどいいあんばいになったんじゃないかと思います。

――かつては流刑に使われる島だったとのことで、その歴史に現在の難民たちが重なるような書き方をされていますね。

前川 昔は中央から遠く、さげすまれていたがゆえに流刑地に適していたのが、現代になって価値観が変わると、観光地として最適になるわけです。で、観光促進のために各国からのノービザ渡航を認めていたら、それにすがってイエメン難民がやって来たと。私はこういうところに、長い目で見た地球の使い方の、愛すべき一例を見いだすのです。

――済州島で見つけた昔の人の漢詩がありましたね(第三章)。島流しにされた者の嘆きと矜持(きょうじ)を歌っているようなあの詩と、難民の方たちの境遇が呼応する感じには心を打たれました。

前川 ああいうものを用意してくれているところが、土地の歴史の面白みであり、強さなんだと思います。あとこれは大事なことですが、もし私がイエメンの人々と付き合っていなかったら、同じ詩を読んでもその価値に気づけなかったかもしれない。間接的に、教えてくれたのは彼らなんです。

そういうことはちょくちょくあります。後半で書いたウクライナ避難民との付き合いも含めて。もっと言えば難民に限らず、人付き合いの醍醐味(だいごみ)でしょう。

――インタビュー取材に近いものから、一緒に野球をするような仲まで、難民や関係者との付き合い方が多彩ですね。

前川 楽しみたい気持ちがメインで、あとはそこから派生しているだけだと思いますよ(笑)。

――お気に障ったら申し訳ないのですが、その「楽しみたい」というモチベーションを隠し、もっと対象から引いて書かれたら、よりノンフィクションらしい仕上がりになったのでは?

前川 私よりずっと年上の方々に読者をしぼるのなら、それもありかもしれませんね。だけど私は若い人々にも読んでもらいたいんです。つまり、これからさまざまなことを体験してゆく人たちです。

その人たちに、人生やこの世界はこんなに楽しめるものなんだ、と少しでも感じてもらえればと願っています。でも、メッセージをそのまま書くとうっとうしいでしょ?(笑)。

そうすると、取材で得た情報だけではなく、体験している「僕」の内面まできちんと描くのが、少なくとも今作の場合は不可欠だったと思います。

――最後の章の前に置かれた「間奏曲」はまさにご自身のことを中心に書かれた、コロナ禍のエッセイです。一見、難民問題と関係なさそうで、感染予防と移民排斥心理との関連を突く、気づきの多い内容でした。

前川 ありがとうございます。あれを本書に入れたのは、コロナ禍での個人の物語を堂々と示したかったからです。

黒田三郎の詩に「死のなかにいると 僕等は数でしかなかった」という有名な文句があります。彼の場合は戦争ですが、コロナ禍と呼ばれる状況にも、まさに当てはまる。私たちは数にされてしまいました。あるいは陽性か陰性かのビットデータに。

そういう状況で、人文的な想像力は不謹慎だの自粛要請だのといった言葉の暴力で扼殺(やくさつ)寸前というありさま。ふざけるんじゃないよ、という思いがずっとずっと続いていました。出口のない感染症対策に疑義をぶつけるのに、陰謀論にすがる必要はありません。

ただ人間存在の複雑さに向き合えばいいのです。私の場合はたまたまコロナ禍中での身内の死もあり、言い方は悪いが書くネタになった。それがあの章の縦糸になりました。書くのも発表するのも少々しんどいところでしたが、私なりの文芸復興に向けたのろしみたいなものです。皆さん、がんばっていきましょう(笑)。

――コロナ禍に続いて、最後の章のハイライトはウクライナ避難民との交流ですね。あの戦争に対する態度表明に前川さんの意地と良心を感じました。ロシアをひとまとめにくさしはしない、ウクライナをひとまとめにたたえもしない。それでもウクライナ語を独学し、避難民を助け、友達になられたのですね。

前川 助けたというほどのことはしてませんが、友達にはなれたかもしれません。

――懐事情まで書かれていたのが笑えました。避難民にたくさんごちそうしていたら、ご自身の家計が苦しくなったと(笑)。

前川 貧乏=排外主義になるわけじゃないんだよ、と、それはやはり示しておきたく(笑)。寂しいのは、現時点でこの本をウクライナ人やその支援者の方々が読んだら、私を責める人も相当いるんじゃないかなということです。裏切り者とか、親ロシアのスパイだとか。

そうした判断こそが戦争の価値観にのまれた危険な兆候だということを、私たちは沖縄戦の悲劇などで重々承知しているはずですが。今まさにロシア軍に苦しめられている人々は仕方ないにしても、その手の拙速な言語化やレッテル貼りから逃げることもこの本の重要なテーマなのです。

――言語の話題もさることながら、音楽への言及が全編通じて散見されますね。避難民の友人のためにウクライナの曲を編曲されたそうですが。

前川 お聴きになりたければ、動画サイトで「逃亡の書」と検索すれば楽譜付きで聴けますよ(笑)。言葉から逃げたいときには特に、音楽はありがたいです。

●前川仁之(まえかわ・さねゆき)
1982年生まれ、県立浦和高校卒業、東京大学理科Ⅰ類中退。人形劇団、施設警備など職を転々とした後、立教大学異文化コミュニケーション学部入学。在学中の2009年、スペインに留学。翌年夏、スペイン横断自転車旅行。大学卒業後、福島県郡山市で働いていたときに書いた作品が第12回開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。以降、文筆業に専念。2015年春、韓国一周自転車旅行。本書は3冊目の著書となる(非売品含む)

■『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』
小学館 1980円(税込)
韓国に流れ着いたイエメン難民に会うために済州島に渡り、スペイン、フランスではカタルーニャの音楽家パブロ・カザルスとドイツのユダヤ系作家ヴァルター・ベンヤミンの亡命行をたどる。牛久入管収容所で難民申請者の絶望を目の当たりにし、祖国を追われたウクライナ人とは東京ディズニーシーでビールを飲み交わす。時代も場所も異なる人びとの「逃げる技法」。それは、彼らの生きる知恵であると同時に国を守るすべでもあった!?

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