かつては世界一の漁業・養殖業の生産量を誇った日本の水産業。しかし、1984年の1282万tをピークにずるずると転落。近年では温暖化などによる漁場環境の変化もあり、世界各地では魚が取れているにもかかわらず、日本は全力で取ろうとしても取れない状況が続いている。
そんな危機的状況を救う可能性を秘めた取り組みが始まっている。海産物の陸上養殖だ。
■世界で需要が高まる一方、激減する日本の海産物
「世界では増加する人口とともに魚の需要も高まっています。一方で漁業資源は供給限界に達しているともいわれています。そうした状況で、中国やインドネシアを中心にアジア各国、そして南米で養殖業が急増しています」
こう話すのは、月刊『養殖ビジネス』の副編集長・根本淳矢さん。アジアはもともと魚食文化があり、生活水準の向上とともに魚の消費量が増加。欧米でも日本食ブームや健康志向の高まりに伴って、魚を食べる人が増えているからだという。
そこで日本でも水産庁が2020年に「養殖業成長産業化総合戦略」を策定。養殖に力を入れていく方針になった。中でも現在、注目が高まっているのが「閉鎖循環式陸上養殖」。聞き慣れない言葉だが、どんなものなのか?
「養殖には海や河川などを利用した『海面養殖』『内水面養殖』、そして陸地に人工的に創設した環境下で行なう『陸上養殖』の3種類があります。
その陸上養殖の多くは海水や川の水を取水・排水して利用する『かけ流し式』が主流ですが、『閉鎖循環式』は水槽内に入れた水を濾過(ろか)・殺菌して使い続けます。
閉鎖循環式のメリットは、外部から隔離された環境なので魚の疾病リスクが少なく災害の影響も受けにくいこと。また、水温などもコントロールできるため通年出荷も可能。そして何より場所を選びません」
かけ流し式では海水や川の水が必要なため、沿岸部など水辺に近い場所であることが必須だった。そこから離れるほど設備にコストがかかってしまうからだ。だが、水を再利用する閉鎖循環式なら場所を選ばず養殖が可能になる。
「もちろん海面養殖やかけ流し式に比べ、初期コストやランニングコストは高くなります。水質や水温など環境条件を人工的につくって管理できるといっても、一筋縄ではいきません。それでも土地やエネルギーなど資源の有効活用につながりますし、漁業権は必要ないため水産業とは無縁の企業が続々と参入しているのです」
極端に言えば、閉鎖循環式陸上養殖なら山奥や砂漠、それこそ都会のど真ん中でも可能。そこで、実際に意外な場所で行なわれている陸上養殖の最前線を紹介していこう。
■海のない埼玉県で海産物が特産品に!?
まずは"海なし県"の代表、埼玉県から。入浴施設「おふろcafe白寿の湯」(神川町)で行なわれているのはサバの養殖だ。
「実は温泉などの入浴施設は養殖に向いているんです。温泉の水質が海水に近いこともそうですし、水を循環濾過してきれいな水を使うという点では、入浴施設も養殖も同じ。
施設によっては温泉の熱で水温を調整したり、エネルギーの有効活用もできたりします。そうした点で養殖事業との親和性が高く、参入しやすいのではと考えました」
こう話すのは、養殖を管理する鎌田奈津実さん。同施設では魚食文化を発信しているが、養殖する魚種がサバに決まったのには埼玉という土地柄があったという。
「ウナギやトラフグなどはすでにほかの温泉地で養殖されていますが、サバは珍しいかなと思って。それにサバは特に足が早い上に、食中毒を引き起こすアニサキスの問題もあり、一部の地域でしか生食できないのが現状です。ましてや海から遠い埼玉では生食はほとんど無理。
なので、魚食文化を伝えるには生サバの提供がうってつけだったんです。個人的にサバの刺し身のおいしさに感動したのもありますけど(笑)」
アニサキスの主な原因はエサとなるオキアミ。海中で行なう海面養殖や海水を利用するかけ流し式では、オキアミを取り除くことは不可能だ。
だが、人工海水を使用し、エサを選べる閉鎖循環式陸上養殖なら、水中にオキアミが入ることはなく、アニサキスのいないサバを育てられる。
同施設でサバの養殖プロジェクトが始まったのは20年6月。〝サバ博士〟右田孝宣さんがCEOを務める「フィッシュ・バイオテック」の協力の下、21年10月には稚魚3000匹から養殖がスタート。
「始めて2ヵ月後のある朝、水槽にいた1000匹のサバが全部浮かんでいたんですよ。あれは地獄でした。アンモニアを分解するバクテリアがうまく働かず、水質が悪化して、一夜にして全滅してしまったんです......」
一度は壊滅に至ったサバ養殖だが、2ヵ月の水づくりの後、22年4月に再チャレンジ。約20tの水槽ふたつのうち、ひとつは機械の故障で水が抜けて全滅するトラブルもあったものの、もうひとつの水槽では多くのサバが出荷基準である300gにまで成長。今年6月から同施設のレストランやイベントなどで生のサバを提供する予定だ。
「当館の温泉は国内でも鉄分の含有量がトップクラス。人体にはいいんですけど、魚にとっては毒。それもあって温泉の水を使えていないんです。今後は鉄分を取り除く装置を導入して、温泉ならではのサバを養殖していきたいと思っています」
埼玉では今年、別の入浴施設でも陸上養殖が始まる。「天然温泉 森のせせらぎ なごみ」(久喜市)のウニ養殖だ。
「20年に発令された緊急事態宣言で営業ができず、別の事業を考えることになったんです。そこで挙がったのが養殖でした。7年くらい前から閉鎖循環式陸上養殖は知っていて、興味もあったんですよ」
こう話すのは、店長の五十嵐和生さん。実は会社が事業として始める前から個人的に温泉の水を持ち帰り、自宅でフグやウナギを飼育していた。
「会社としては当初、農業を考えていましたが、いろいろな植物を試しても温泉の水では育たなかった。その間、個人的に養殖の実験をしていました。
うちの温泉の水が海水の6分の1の塩分濃度なので、淡水と海水とが混ざった汽水に近い。だから魚も生きられるんじゃないかと思って」
試行錯誤の末、農業から陸上養殖にかじを切ることになったが、ウニの養殖に決まったのは上司からの提案だった。
「初めはスーパーで購入したホタテやカニを育ててみたんですが、2日くらいしか生きられなかったんです。そんな中、専務がテレビで廃棄キャベツを使った〝キャベツウニ〟を見たらしく、ウニはどうかと。
ただ、ウニの陸上養殖を研究しているところがなく、ようやく見つかったのが共同研究をしている一関工業高等専門学校(岩手)でした」
一関高専との共同研究では温泉の有害物質の除去や、管理しやすい水槽の開発などを行なった。今年9月に養殖施設を完成させ、11月から事業化する予定だ。
「熱源の効率化など検証している部分はまだまだあるんですが、4tの水槽をふたつ造る予定です。
ウニの育成には水深があまり必要ないので、植物工場で取り入れられている『多段式水耕栽培』と同じように、水槽の中に棚を重ねるようにすれば2000匹は育てられると思います。それらを施設のレストランや地域のお店で提供したいですね」