岸田文雄首相が掲げる「異次元の少子化対策」。長らく出生率の低下に悩む日本にとって生半可な施策では焼け石に水だろう。しかし、この国には今も高い出生率を誇る町がある! そこを歩き、住民たちに話を聞けば少子化問題を打破するヒントが見つかるかも!? そんな「子だくさん町」をぶらりとルポする短期集中連載、始まります!【ルポ・子だくさん町 第1回】
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■「くわどぅたから」精神
〝子宝日本一〟の町として全国から脚光を浴びているのが、鹿児島県・奄美群島のひとつ、徳之島にある伊仙町だ。
人口は約6300人と小規模な町だが、14歳以下の子供の数が約1000人(2020年時点)と年少人口の割合が高く、町には小学校が8校もある。
厚生労働省が5年ごとに公表する市区町村別の合計特殊出生率(※女性ひとりが一生の間に生む子供の数)では、2003~07年は2.42、08~12年は2.81で2期連続日本一となり、最新の統計(13~17年)では、沖縄県金武町に0.01差で首位を譲ったものの、依然、全国平均(1.43)を大幅に上回る2.46という高い出生率をキープしている。
なぜ、離島の僻地(へきち)で高い出生率を維持できるのか? その秘密を探るべく、2月上旬に徳之島へと向かった。
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徳之島は3町から構成され、島の周囲は約80㎞、車で2時間も走れば1周できる。まずは空港のある天城町から30分、島一番の繁華街がある徳之島町へ。その夜、古びたスナックに入った。
店内には老齢のママと、常連客がひとり。お酒も進み、伊仙町について話を聞くと、きなくさい話が飛び出した。
ママ「伊仙の人たちは気性が荒くてね......」
客「首長選挙のときなんて鹿児島県警から機動隊が何百人と出動するんだけど......とにかく血の気が多いのよ。何年も前の話だけど、選挙中、そこらで札束が飛び交っているのか、街中で万札を拾ったこともあるし、牛に猛タックルされて営業車をへコまされたこともある。気をつけなよ」
翌朝、少しの不安を胸に伊仙町に向かう。徳之島町の中心部からは車で30分ほどだ。
伊仙町に入ると、窓越しに見える風景は一変。2階建て以上の建物やチェーン店、信号などはほぼなくなり、なだらかな丘に広大なサトウキビ畑が見え、その周囲には牛舎や平屋の家屋が点在している。
のどかな景色に癒やされながら車を走らせていると、前方に白い物体が。減速しながら近づくと、県道の中央にヤギが鎮座していた。
伊仙町の中心部に入ると、今度は前方の軽自動車が信号もないのに急停車した。何かと思ったら、運転席のおばさんが「おーい!」と叫びながら手を振り、これに反応して対向車線の車が急停止。2台の車が県道の真ん中で横づけになり、そのまま井戸端会議が始まってしまった。
伊仙町には〝出生率日本一〟の秘訣(ひけつ)を探ろうと、全国から議員や自治体職員たちが視察にやって来る。だが、伊仙町役場・町誌編纂室室長の松岡由紀氏がこう話す。
「『何か特別な予算や施策があるに違いない』と思って視察にいらっしゃいますが、背景を説明すると、多くの方が『これはまねできない』とうなだれて帰っていかれます」
ただ、伊仙町の子育て支援策は充実している。
出産祝い金は潤沢(第1子5万円、第2子10万円、第3子以降15万円)で、0歳~中学卒業までの医療費は自己負担ゼロ。今年度からは月3500円程度だった小・中学校の給食費が無償になり、町営住宅では子供ひとりにつき5000円の家賃補助が出る。
だが、子宝の秘訣は「金銭的な支援にあるわけじゃない」と松岡氏は強調する。
「国や自治体からお金がもらえるからといって、『じゃあ3人目を産もう』とはなりませんよね? 少なくともそんな理由で産む産まないを判断している人は、この町にはほとんどいないと思います。
伊仙町には、古くから『くわどぅたから(子は宝)』という精神文化があり、『生まれた子は地域のみんなで見守り、育てていく』という考え方が根づいています。その地域力が、伊仙町の高い出生率を支えているのです」
それを象徴する話がある。
伊仙町では85歳以上の高齢者に敬老祝い金が支給されている。その財源としてかつては600万~700万円程度の予算が計上されていたというが、十数年前、大久保明町長も出席していたある集落の座談会の席で、地元の高齢者からこんな要望が上がった。
「敬老祝い金はもういらんから、その分のお金を孫の世代に回してくれんか」
町の高齢者からの反対の声は「ほぼ皆無だった」(松岡氏)という。これを機に、12年度から敬老祝い金の支給年齢が引き上げられ、浮いた財源が子育て支援金に充てられることとなった。
■「この町にいたらなんとかなる」
町内の犬田布集落に住む高岡ゆうこさん(40代・仮名)には4人の子供がいるが、「伊仙で3、4人は普通」という。島内に大学はなく、高校を卒業すると多くの若者が島を離れる。高岡さんもそのひとりだった。
「大阪の福祉系の専門学校に行き、介護職に就いた後、主人と出会い、ふたりの子供を産んだんです」
だが、次男を産んでほどなく、育児ノイローゼに陥る。
「主人が出張の多い仕事だったので、大阪にいた頃の育児はほぼワンオペ。当時2歳の長男には、言いつけを守らないと怒鳴りつけ、手が出ることもありました。そのときはもう、長男をかわいいとは思えなくなっていて......母親として本当に壊れていたと思います」
その後、「主人が『島で子供を育てよう』と言ってくれた」のがきっかけで島へUターン、伊仙町でさらにふたりの子供を出産した。
「島に帰ってすぐ、母から『3人目をつくりなさい』って言われたんです」
親から「3人目を」と言われるのは〝伊仙町あるある〟のひとつらしい。
高岡さんは4人目を産んだ理由をこう話す。
「3人の子供が男の子続きで、女の子を諦めきれなかったから。経済的にはつらくなるけど、『この町にいたらなんとかなる』って思えるんです」
都会と伊仙町では、当然、子育て環境が違う。
「大阪にいる頃は、電車では『静かにしなさい!』、お店の中では『走っちゃダメ!』って、暗黙のルールだらけで気が休まらなかった。この町では、子供は子供らしくして当然ってみんなが思ってるから、そんなルールは気にならないし、子供をほったらかしにしていても大丈夫と思える。
集落の全員が知り合いだし、小さな子供ひとりで外を出歩いてもみんなで見守ってくれる。近所の人が保育園の送り迎えをやってくれることだってあります。都会に比べて子育てが楽だし、楽しみながら子育てができる。気がついたら育児ノイローゼはなくなっていました」
■「闘牛」の絆
伊仙町では男性も、就職や進学で島を出た後、町に戻ってくるケースが多い。
「全世代を調査したわけではありませんが、現在の30代前半の世代ではUターン率は6割で、その前後の世代も5割ほど。Uターン率5、6割という数字は、全国的に見てもかなり高いほうです」(松岡氏)
松岡氏によれば、以前、伊仙町が成人式の会場で「徳之島に生まれたことを誇りに思いますか」という設問があるアンケートを実施したところ、「そう思う」と答えた人は「100%」だったという。
「20~30代の若者が子連れでUターンしたり、帰郷後に町で結婚・出産する流れがあることが、高い出生率を維持できている理由のひとつです」
だが、伊仙町の仕事といえば肉牛がメインの畜産と、サトウキビや馬鈴薯(ばれいしょ)を生産する農業、あとは建設業くらいが主だったもの。町民の所得レベルは低く、鹿児島県内でも最低水準だ。それでも、「Uターンしよう」と思わせる求心力になっているのが、闘牛である。
300年ほど前から徳之島で受け継がれている闘牛は、1tを超す牛同士が激しくぶつかり合い、先に相手に背を向けるか、逃げたほうが負けとなる。年3回〝全島一〟を決める大会が開かれるが、その会場となる『なくさみ館』が伊仙町にあり、「島内の3町の中では伊仙町の闘牛熱が最も熱い」(地元住民)という。
2月はオフシーズンだが、夕刻になると海岸通りや農道で飼い主が闘牛を散歩させている光景を見ることができる。
記者が「なくさみ館」の周辺に行くと、牛を引いて散歩する男性(30代)がいた。取材のために近づくと、「危ない! 止まって!」と大声で制止された。「この子は繊細で気性が荒いから知らない人を見ると角で突いちゃうの」
この男性もUターン組のひとり。高校卒業後に大阪へ行き、いったんは就職するも、30歳を前にして帰郷したという。理由を聞くと、「やっぱり牛がかわいいから」と即答した。
闘牛大会で優勝し、「横綱」になればファイトマネーが100万円に跳ね上がるが、それ以外は「10万~20万円程度」。試合数が少ないから大した稼ぎにはならず、飼育代ばかりがかさむ。闘牛は「趣味であり、生きがい」だと、この男性は教えてくれた。
「闘牛を飼ってる家の子の多くは牛のために島へ戻ってくる。戻ってこないと高齢になった親だけでは牛は育てられないし、闘牛文化も廃れてしまう。それは絶対に嫌だしね」
伊仙町にある保育園「おもなわこども園」の園長は、「全園児のうち、5割が闘牛家庭の子供」と話す。闘牛を飼う家庭では、幼少時から子供にお産を手伝わせたり、練習後にマッサージをさせたりと、牛の飼育に参加させる。こうして家族同然に築かれる子供と闘牛の絆が、Uターンを促す強い動機となるのだ。
■ギリシャに匹敵するほど......
とはいえ、どれだけ若者のUターン率が高く、子育てしやすい環境であっても、夫婦間の性関係がなければ子供は生まれない。13年に内閣府が行なった調査では、第1子を生んだ後、夫婦間でセックスレスになることが、第2子の出産行動に悪影響を与えることがわかっている。
伊仙町の場合はどうか。町内の40代男性がこう話す。
「自分の子孫を残したい、だからそういう行為をしたいという本能的に素直な人が多いと思います。夫婦間の頻度ではギリシャが世界的にも高水準だったと思うけど、調査をしたら、この町はギリシャ並みという結果が出るのでは?(笑)」
一方で、ある集落の主婦はこう打ち明ける。
「実は、伊仙町では離婚率も高いんです。うちの息子の同級生は20人近くいるのですが、そのうちの半分がシングル家庭。離婚の原因は不倫とか闘牛の賭けで大負けした旦那が借金を抱えたとか、いろいろ(苦笑)。町内の同じ集落内で離婚した男女が再婚するケースもあります。
あと、年子も多いですね。知人同士で競うように5人、6人と産む家庭もあるし、セックスレスなんて問題はこの町にはないと思いますよ」
■コロナ禍の苦悩
順風満帆に見える伊仙町だが、課題はある。
例えば町はUターン者を低家賃で受け入れる町営住宅の整備を進めているが、これが間に合っていないことだ。「入居希望者はかなり多く、現時点で待機者は約100名いる」(伊仙町建設課)という。早く町にUターンしたいけど、住む家がない。逆に言えば、住宅さえ整備できればUターン者はさらに増えるだろう。
この点について前出の大久保町長は「住宅政策と、Uターン者を含む若者の雇用を守る企業誘致、ここは徹底してやる」と語気を強める。
もうひとつの課題は、コロナ禍で浮き彫りになった。
伊仙町には子供の生誕や成長の節目を盛大に祝う風習がある。松岡氏がこう話す。
「うちの長女が生まれたときには100人近くがご祝儀を持ってわが家に駆けつけ、三味線や太鼓に合わせて歌ったり踊ったり......午前3時まで宴が続きました」
同様の祝宴は、小学校入学や成人の節目にも開かれる。
「こうして子供をみんなで見守り、育てていく地域文化が受け継がれていくのです」(松岡氏)
だが、コロナ禍の3年間で大勢が集い、密になる祝宴を控える動きが加速。子を祝う風習は途絶えつつある。
「コロナの影響が収まれば、また復活するとは思う。ただ、若い世代の中には、100人規模の来客に出すお膳の支度や、お返しをすること自体が負担で、これを機に『もうやめよう』と考えている人はいると思います。
今後、子の成長をみんなで祝う文化が縮小していくのだとしたら、地域のつながりは薄れ、都会のように核家族化の方向へと進むのではないか、という心配はあります」
コロナ禍では出生数も低下したという。町内の保育園の園長がその理由を説明する。
「この島には産科がひとつしかない。そこは総合病院でコロナ患者が集まり、病床が逼迫(ひっぱく)する状況もありました。妊婦さんにとっては通院がリスクになるので、『子をつくるのは待とう』と考えるご夫婦が増えたのだと思います」
■小学校を死守せよ
大久保町長が、少子化対策としてこだわるのは、小学校の存続だ。全国で統廃合を盛んに進める国の方針とは逆張りの考え方を貫く。
だが、町内8つの小学校の中で、生徒数が10~20人程度の小規模校は4校あり、文部科学省の基準に照らせば、伊仙町の小学校の適正数は3校になるという。
小学校の統廃合の促進をと、国から圧がかかることもあるようだが、「大久保町長は、地域の活力は集落、そして小学校区からと、そこは一貫して強調している」(松岡氏)。
なぜか。統廃合で小学校がなくなった校区では通学距離が長くなり、徒歩通学が困難になる。結果、その校区から子育て世帯が離れてしまう流れが生まれるためだ。
大久保町長がこう話す。
「子供の泣き声がなくなると、その地域は衰退します。だからこそ、地域の活力の最小単位は小学校区にあると考えるべき。経済合理性だけで校区を切り捨てれば、集落で子供を育てる地域文化そのものが破壊されてしまいます」
少子化対策の必要性を叫ぶ一方で、小学校の統廃合を進める国は、「そのことに対して感覚が鈍いと言わざるをえません」(大久保町長)。
小学校の存続を貫く町長の方針とシンクロするように、闘牛を連れていた前出の男性はこんな思いを口にした。
「自分には子供が3人いるけど、もっと欲しい。それは生徒数が21人まで減っている母校の小学校を廃校にさせたくないから。周りの親も、子供をたくさんつくって地元を守ろうという意識を持っていますよ」
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「伊仙町の人は気性が荒い」とはなんだったのか。少なくとも本誌記者が取材した限りでは、伊仙町の町民はみんな記者の問いかけに真摯(しんし)に応じてくれた。
それどころか、役場のおばちゃんが宿をとってくれたり、旅館の女将(おかみ)が「ここは絶対に見ておいてほしい」と、地元でしか知られていない絶景スポットに案内してくれたり......取材したある女性は「晩ごはんはウチで」と自宅で島料理を振る舞ってくれた。
そして、ここには確かに高い出生率を維持するだけの子育て環境があった。子供をたくさん産み育てたい人は、移住先として検討してもいいかも。