4月5日、畑正憲先生が87年の生涯を終えた。その2週間前までいつもどおり原稿は編集部にFAXで届けられていた。それだけに突然の訃報に驚きを隠せない。
誰からも愛され、多くの知識を与えてくれたムツゴロウさん。7年にわたる『週刊プレイボーイ』の連載『ムツゴロウさんの最後のどうぶつ回顧録』の軌跡を担当編集が振り返る。
■自身の研究、体験をすべて伝えたい
コラム執筆の依頼をしたのは2015年の年末のことだった。快諾いただき、打ち合わせを兼ねてのインタビューをさせてもらった。その際、ムツゴロウさんはこう語っていた。
「今まで数々のテレビ番組に出演してきましたが、本当に危険なことは伏せてきました。今回のコラムのタイトルは『最後のどうぶつ回顧録』。表に出さなくてもいいやって考えていたことをすべて書こうと思っているんです」
その言葉どおり、さまざまな動物をテーマに、昔のエピソードとは思えないほどみずみずしく原稿に落とし込んでいった。
また、こうも話していた。
「人間として動物に深入りした場面をぜひ見てもらいたい。テレビだと動物の交接シーンを撮っても放送できませんでしたし、奇抜なことに焦点を当てられがちになる。つまり、すべてを伝えきれていないんですよ。
僕が体験してきたこと、研究してきたことは人生の宝。それをちゃんと残さないといけないと思いましたし、『週刊プレイボーイ』を通して最後に伝えたいと思ったんです」
それから約7年。ムツゴロウさんはほぼ休むことなく、毎週メッセージを届けてくれた。
■人柄がにじむ4枚の手書きの原稿
ムツゴロウさんの原稿は、400字詰めの原稿用紙4枚に書き綴(つづ)られ、FAXで届けられた。1枚目の原稿用紙の右半分の出だしにタイトル、その左横には律義にも「畑正憲」と毎回名前が記されていた。
文字は丁寧で、非常に読みやすい。なんでも消しゴムは使わないとのことで、修正があれば二重線で消され、追記されたりしていた。
ムツゴロウさんは記憶力がずぬけていて、昔から一度見たものは映像として頭の中に記録されていったという。それでも間違いがないよう、執筆時には世界地図や資料を見ながら補整していったそうだ。
原稿に添えられるイラストもムツゴロウさんの手描き。5㎝四方のケント紙に独特の風合いを持つ動物が毎回描かれていた。30分ほどでおおかた描き終えるというから驚きである。
このコラムはムツゴロウさんにとって、最後の連載だった。時にシリアスに、時にユーモアたっぷりに書かれた原稿は、行間からも人柄がにじみ出ていた。ムツゴロウさん、本当にありがとうございました。