朝三暮四とはこのことか。春闘の結果が出始めたが、満額回答の企業も多いようだ。しかし、こうして華々しく賃上げを誇る企業のうち、実際はその裏であの手この手で手当をカットしているワル~い企業も増えているという。そのアコギな実態を追った!
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■社宅制度廃止で家賃負担が突如発生
「30年ぶりの賃上げ水準となっており、力強いうねりが生まれている」
4月29日、代々木公園で行なわれた連合のメーデー中央大会に現役の首相として9年ぶりに出席した岸田文雄首相は、そう強調した。
連合(日本労働組合総連合会)が4月13日に公表した「2023春季生活闘争 第4回回答集計結果」によれば、23年の平均賃上げ率は3.69%と、1994年以来の高さとなった。前年(2.20%)からの改善幅を見ても1%を上回っており、1980年以降では最大となっている。
企業によっては、さらに大規模な賃上げも見られた。ファーストリテイリングは、新入社員の初任給を月25万5000円から30万円に引き上げ、国内の人件費を約15%増加させると発表。入社1、2年目の社員が就く新人店長は月収29万円から39万円となり、年収としては36%の上昇となるという。
任天堂も今年度、全社員の基本給を10%引き上げ、大和ハウス工業でも初任給を9%引き上げると発表している。
とはいえ、日本の全サラリーマンが賃上げの恩恵にあずかっているわけではない。物価上昇率を上回る給料アップを決断しているのは大企業がほとんどで、中小企業の多くはまだまだ消極的だ。
東京商工リサーチが2月に公表した、全国1920の中小企業を対象にしたアンケートでは、5%以上の賃上げを予定している企業は3割以下にとどまっている。
それどころか、驚くことに賃上げを発表した企業でも、社員によっては手取り額が減少する〝実質賃下げ〟が横行しているようだ。
「確かに基本給だけを見ると賃上げは嘘ではないんですが、手取りだと年収が40万円くらい減ってしまいそうです」
そう漏らすのは、今年3月に「平均年収約2割、初任給約3割引き上げ」を華々しく発表した某水産企業で働く内田浩介さん(仮名・28歳)だ。
「一番の要因は、社宅制度が廃止されたこと。これまで私は会社が借り上げた家賃8万円の部屋に住み、毎月5000円が社宅使用料として天引きされていたのですが、これが全額自己負担となった。
代わりに月3万円の単身手当が導入されましたが、私は妻と同居なので対象外。昨年100万円ちょっとだったボーナスが倍増でもしない限り、会社がうたっている年収2割増は実現しません」
さらに信じられないことが起こる。福利厚生が縮小される裏で、なんとシニア社員の待遇が改善されたというのだ。
「定年が60歳から65歳になったのと同時に、55歳以降の年収の逓減率がぐんと下がりました。特にバブル入社組は社員数も多いので、この待遇改善が平均年収の上昇に大きく寄与しているに過ぎない。
彼らは社宅制度を失ったわれわれに『早く家を買って落ち着け』などと講釈を垂れてきますが、住宅相場も上がる中、若手社員の反応は冷ややか。賃上げという名の待遇格差拡大が社内不和を生んでいます」
■テレワーク導入の裏で交通費支給カット
社宅の廃止以外にも、実質賃下げの手口はさまざまだ。「テレワーク制度の導入」と称して、交通費をカットするというのもその一例である。2%の賃上げが行なわれた都内の中堅IT企業に勤める河谷莉緒さん(仮名・31歳)は怒りを隠さない。
「21年に導入されたテレワーク制度と引き換えに交通費が支給されなくなりました。今でも週に1、2回は会社に出向く必要がありますが、千葉県内の自宅からの交通費は自費となります。これにより月に5000円以上は交通費の負担が増えました」
河谷さんは一日300円のテレワーク手当が支給されているというが、それも十分とはいえないようだ。
「家に一日中いると電気代などの光熱費がそれ以上にかかる。この冬は電気代が高騰していたこともあり、テレワークが本格実施される以前の20年と比べ、電気代は2倍以上。それだけで手当は吹き飛びます。
それに、ケチな話ですが、家で業務中に飲むコーヒーやお茶代も月数千円になりますが、以前は会社で飲み放題だった。そう考えると、毎月1万円くらいは銀行口座に残る金額が減っています」
賃上げをうたうものの、実際には「過去数年間の待遇改悪を少し緩めただけ」という例もある。今年の春季労使交渉で、基本給が5%以上増の満額回答だった某化学メーカーに勤める谷内恭平さん(仮名・34歳)が明かす。
「コロナ禍で業績が悪化したことから、昨年には家賃補助が廃止された上にボーナスが年2回から1回支給に減らされていて、私の手取り額は年520万円から450万円にダウンしました。妻と子供を抱える私としてはかなりの痛手で、5%ちょっとの賃上げでははっきり言って焼け石に水です。
また、ホテルの宿泊割引などの福利厚生なども徐々にカットされている。それなのに、今年の満額回答はニュースで報じられており、私を含め社員の多くは苦々しい気持ちでした。
会社は賃上げの動機を『社員のモチベーションアップ』なんて吹聴していますが、しょせん就活生に対するアピールでしかない。今後も毎年手取りをジリジリ下げながら数年に一度ベースアップを行なって、会社のイメージを良くしようという魂胆ではないでしょうか」
ITシステム関係の大手企業に勤務する藤本瑛美さん(仮名・26歳)も、待遇面に惹(ひ)かれて入社する人に懸念を示す。
「基本給自体は毎年微増しており、今年度も5%強の賃上げとなりました。おそらく業績や規模が似ている同業他社と比べても、待遇については良いイメージを持たれていると思います。ただ、月4万~7万円ほど支給されていた住宅手当の新規取得ができなくなりました。
すでに手当を受けている人に対しては当面は支払われるとのことですが、今年度の新入社員はもらえず、初任給は以前より上がってきているとはいえ、手取り額は下がることになる。公開されている待遇面に惹かれて入社した新入社員はちょっとかわいそうです」
■実質賃下げが横行する背景
ここまで、実質賃下げを行なう企業のさまざまな手口を見てきたが、企業側はどういった思惑があるのか? 千葉商科大学国際教養学部准教授で労働社会学者の常見陽平氏に聞いた。
「もちろん、その動機にはコストカットがあるのですが、人手不足の中、人材を確保すべく賃上げに踏み切る企業は多いんです。
その結果、目先の給与はできるだけ高く提示する一方で、実際に働いてみなければわからないような賞与や昇給カーブの改善は後回しにしたり、時には改悪されていたりするのでしょう。社員にとっては『働いてみたら思ったほど待遇が良くなかった』ということが起きるわけです」
近年導入が広がっている新たな人事制度も、実質賃下げが外から見えにくい一因となっているという。
「成果型や業績連動型の給与制度の下では、同じ会社の同じ部署でも給与が人によって違います。例えば『平均給与5%賃上げ』といっても、実際、自分の手取りがいくら増えるのか、実際に働いてみなければなかなかわからないし、場合によっては手取りが下がるケースもあるわけです」
一方で、証言が多かった手当や福利厚生の縮小や廃止については、「時代の流れ」という側面も否めないそうだ。
「同じ会社で働く人の間でもライフスタイルが多様化している今、手当や福利厚生の公平性が再考され始めています。例えば家族手当や家賃補助も、対象になる人にとってはいいが、それ以外の人からは不公平感があるわけです。
同じ出張でも役職や年次で出張手当の額が違うことに不満が出たある企業では、そうした出張手当を廃止して、宿泊費や食費など出張時の経費の上限をアップさせました。これで納得感は高まりましたが、出張に頻繁に行く人からすると、手取り額が減ることになったそうです」
手当カットの背景に「働き方改革の影響がある」と指摘するのは、これまで4000社以上の人事制度改革を支援してきた、株式会社あしたのチームの代表取締役兼CEO、赤羽博行氏だ。
「同改革の柱のひとつに、『正規・非正規雇用間の格差解消』があります。その格差の最たるものが、住宅手当や家族手当など正社員にのみ認められてきた手当の数々ですが、さすがに非正規社員全員を支給対象とするのは雇用側に負担が大きすぎる。そこで、正社員の各種手当を見直して格差を是正しようという動きになっているんです」
こうした複合的な理由から、企業にとっても今は実質賃下げをシレッと行ないやすい時期だということでもある。特に転職を考えている人は、どうかご注意を!