2020年に世界はパンデミックに陥り、2021年に各社が開発したワクチンが世界中に届き、2022年にはその感染の拡大と抑制が繰り返され、2023年にやっとなんとなく落ち着いてきた。その裏で起きていたのは熾烈な治療薬開発レース。常に激しい争いを繰り広げる製薬業界は新型コロナウイルスでどのように変化したのか。
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■製薬企業初の1000億ドル超え
新型コロナウイルスが世界経済に与えた打撃は計り知れない。しかし、各国で経済活動が停滞した中、動き続けていた業界がある。製薬業界だ。特に、地球上のほとんどの人間が欲したワクチン。その開発に成功した企業は、今回の〝コロナバブル〟でどれだけ大きな富を築いたのだろうか?
「まず、ファイザーですが、2022年の売上高が1003億ドル(約14兆円)と、大台と呼ばれる1000億ドルを超えました。製薬企業として1000億ドルを超えるのは歴史上初めてのこと。製薬会社の世界ランキングでは21年に続き、2年連続で1位に輝いています」
そう話すのは医療ジャーナリストの村上和巳氏。やはりコロナワクチンの売り上げが大きいの?
「ワクチンももちろんですが、経口治療薬のパキロビッドが売れたのが大きく、売上高の半分以上(約567億ドル)をコロナワクチンと治療薬が占めています。ランキング2位のロシュ(スイス)の売上高が663億ドルなので、その金額の大きさがわかると思います」
ファイザーは1990年代半ばまでは世界ランキングで10位程度だったが、そこから合併や買収を繰り返し、世界1位にまで上り詰めた。
「ファイザーは昨年以降、すでに3件の買収をしているほど手が早い企業。ファイザーに限らず、上位十数社の間では、めぼしい新技術を見つけたらいったん買収する、という流れができています。
ただ、その中でもファイザーは買収や提携をする相手企業を選ぶ嗅覚の鋭さがスゴい。今回のメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンも、自社製品ではなく、ドイツのバイオベンチャー企業、ビオンテックの製品ですから」
では、コロナワクチンの分野においてファイザーと対をなすモデルナは?
「そもそも、横並びに語られがちなファイザーとモデルナですが、企業の規模は全然違います。それこそ、モデルナはビオンテックと同じベンチャー企業でしたから」
ベンチャー企業なのにワクチンの開発に成功したの!?
「モデルナは創業当初からmRNAの技術を研究・開発していたのですが、業界的にはこれが実用化されるのはまだ当分先だと考えられていました。
薬は、とある化合物を見つけて、動物実験し、人間での治験を経て、安全性や効果を見極めてやっと市場に出せるようになるのですが、最初に見つけた化合物が市場に出てくる確率は約0.0007%だといわれています。臨床試験の段階まで来たら10%弱に上がるのですが、それでも9割は失敗に終わる。
しかも、化合物を見つけてから、動物実験で安全性を確認するのに3年、臨床試験は10年ちょっとかかるので、開発にはだいたい15年くらいの時間が必要なんです。しかも、モデルナは市場に出している薬がなかったので、その間の営業利益は赤字でした」
それが、パンデミックで異例の措置が取られた。
「臨床試験は3段階で行なわれますが、最初の臨床試験で少数でも安全性が確認できたら、とりあえず同時進行で2段階目を始めたんです。
そこでも安全性が確認できたら3段階目を始めてと進めた結果、臨床試験はすべて行なわれたにもかかわらず時間がかなり短縮されたため、業界の予想をはるかに上回るスピードで実用化されたのです。
そのため、どこかが買収を仕掛ける前に時価総額がかなり上がってしまった。むしろ、現在のモデルナは、逆に他社を買収する方向にシフトしています。ちなみに、最初に買収したのは日本のバイオベンチャーなんですよ」
これまで売上高ランキングにかすりもしなかったベンチャー企業がコロナで一気に浮上し、2022年には18位にランクイン。モデルナはまさしくコロナバブルを体現している製薬企業なのだ。
■コロナで失敗した製薬会社
治療薬開発レースに勝者がいれば敗者もいる。アストラゼネカが後者の好例だ。
「アストラゼネカはかなり早い段階でコロナワクチンの臨床試験に入っていました。イギリスのオックスフォード大学と開発を進めていたのですが、臨床試験で容量設定を誤り、一時中断した。その間に、ファイザーとモデルナが追い上げたのです」
しかも相手は有効性が高いmRNAワクチン。一方、アストラゼネカが研究していたウイルスベクターワクチンは、人に対して病原性を発揮しないウイルスの殻の中にコロナの遺伝子情報を入れて投与するもので、これを繰り返すと、どうしてもウイルスの殻に免疫が反応して抗体を作ってしまうため、複数回投与に向いていないという。
「臨床試験に入ったときに、日本を含む多くの国と契約をしていたため最初は売れたのですが、繰り返し打つ必要が出てくると、やはりmRNAワクチンが主流になり、アストラゼネカのワクチンの多くが購入をキャンセルされてしまったのです」
しかし、ワクチンレースでは負けてしまったものの、売上高ランキングでは9位にランクインしている。
「もちろんワクチンが思うように売れなかったのは大打撃でしょうが、アストラゼネカが開発したSGLT2阻害薬『フォシーガ』の適応が拡大したことで売り上げはむしろ伸びています。
この薬は尿に糖を出すことで血糖値を下げる糖尿病の治療薬で、発売当初は鳴かず飛ばずだったのですが、心不全にも効果があることがわかってから一気に売り上げが伸びたんです」
製薬企業において、ぱっとしない薬が急に売れっ子になることはよくあるという。一方で、日本の製薬会社はコロナ禍でどうなった?
「あまり振るわなかったのが正直な印象です。日本でいえば、塩野義製薬が経口抗ウイルス薬『ゾコーバ』を開発し、発売までこぎ着けたのはスゴいと思いますが、実はゾコーバを承認しているのは日本だけ。審査が厳しいといわれるアメリカでは現在審査中で、ここで承認されなければ、塩野義にとって大きなダメージとなると思います」
国産ワクチンは、もう諦めちゃったんでしょうか?
「まだ開発は続いていますが、今でも国産ワクチンを求めているのは『国産』にこだわる人くらいで、よほど高い効果が認められない限り、承認されてもあまり使われないでしょう。
ただ、国産ワクチンに意味があるとすれば、安定供給が可能になること。ワクチンは温度変化や揺れに弱く、管理が難しいため、国内で作られたほうが品質が保たれ、輸送コストも格段に下がるのです」
では日本の製薬会社は世界での存在感も薄い?
「いえ、日本で1位の武田薬品は世界11位と健闘しています。イギリスのグラクソ・スミスクライン社からスカウトされてきたフランス人社長のクリストフ・ウェバー氏がもともとワクチンのスペシャリストで、最近ではデング熱のワクチンの開発に成功。世界でも競合品がほとんどないため、このフィールドでは武田薬品が今後存在感を示すと思われています」
しかし、村上氏は、このままでは日本の製薬企業は世界に後れを取ると警笛を鳴らす。
「ファイザーなどのトップ製薬企業はさまざまなルーツを持つ優秀な人材を役員にヘッドハントするなどボーダーレスに補強しています。一方、日本の企業はいまだにドメスティックで外国人を役員にするだけで、社内外から変な目で見られることも少なくありません。
武田薬品も日本人ではない社長はウェバー氏が初。日本人の社員は全体の1割程度なのに、ですよ。コロナ禍で明確になったのは、医療はグローバルな課題だということ。日本のほかの企業もこの流れに乗り遅れないように、もっと国際的な成長を目指すべきです」
■コロナの売り上げは難病やがん治療に
現在は落ち着きつつあるコロナだが、コロナバブルが終了したら、ファイザーやモデルナはどうするの?
「ファイザーは、今年の売上高が30%下がるだろうと予想しています。ただ、それでもランキングの1位か2位には入れるくらいの資本力はあるので、引き続き有望な企業の買収をしまくるでしょう。
モデルナも、売り上げこそ落ちると思われますが、ここ数年で蓄えた豊富な資金で、mRNAの技術を増強する企業を買収するでしょう」
では、僕らにその恩恵はあるのでしょうか?
「各社がmRNAインフルコロナ混合ワクチンに着手していますし、ワクチン開発はよりいっそう進むと思われます。それ以外でいえば、がんや難病の治療薬の研究が進むと思います」
がんと難病?
「昔は多くの製薬企業が糖尿病や高血圧など患者数が多い病気を狙ってきましたが、もう開発し尽くされて新しいアプローチがなかなか見つからないんです。
そんな中、がんはいまだにブルーオーシャンの領域。しかも、先進国は高齢化社会が喫緊の問題ですが、がんは高齢者に多い病気。今は、その枠を争って研究開発が行なわれている状況です。
逆に、難病の多くは若年疾患。患者数が少ないと数は売れませんが、患者数が少ない薬は各国で高薬価が認められがちです。そうしないと製薬企業が開発しないので。コロナで得た資金をこういった領域に投資するのは十分に考えられるでしょう」
そしたら、十数年後とかに、ファイザーやモデルナから画期的な新薬が出るかも?
「まあ、まずはファイザーとモデルナという社名が残っているかどうか(笑)。お互い食い潰している可能性だってありますよ」
コロナで激化した製薬企業の争い。コロナバブル後の開発に注目したい。