120頭以上のヒグマを仕留めた赤石氏と相棒の猟犬 120頭以上のヒグマを仕留めた赤石氏と相棒の猟犬

北海道の「ヒグマ危機」が深刻だ。札幌の市街地で連日、目撃情報が寄せられ、道北の幌加内町では釣り人が襲われ死亡する悲劇も。ヒグマ急増の原因のひとつは、駆除するハンターの減少、高齢化にあるという。後進を育てる70歳にして現役の"最強ハンター"を知床に訪ねた。

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■人間を餌にする「アーバン・ベア」

北海道の市街地でヒグマの出没が相次いでいる。

今年1~5月に北海道警に通報されたヒグマの目撃件数は723件と過去最多ペース。特に5月は484件で、例年(約200件)の2倍以上だ。

札幌市が公開するヒグマ出没情報を見ると、市内でヒグマの個体や糞(ふん)、足跡が確認された地点は山林と市街地の境界部に集中している。

2021年6月、JR札幌駅からわずか3㎞先の市街地でヒグマが住民を襲い、重傷者1人を含む4人の負傷者を出した事例は記憶に新しいが、今年6月にも札幌駅から3㎞先の住宅地で「ヒグマらしき動物」が目撃されている。

ヒグマの生態を長年研究している北海道立総合研究機構の間野勉氏がこう語る。

「札幌市内で採取したヒグマの毛や糞などを遺伝子レベルで解析した結果、現在、市街地に隣接する山林に30頭以上のヒグマが生息していることがわかりました。

そのうち20頭ほどはメス。オスは数十㎞から100㎞以上を移動する習性を持ちますが、メスは子グマと一緒に5㎞四方程度の狭いエリアにとどまる習性を持つ。つまり、札幌市内の住宅街からすぐ近くの場所に多数のメスグマが〝定住〟しているということです」

都市近郊に生息するヒグマは「アーバン・ベア」と呼ばれ、〝人慣れ〟が進んでいる点が懸念されている。

「子グマの頃から車の音などに慣れて育った個体は、ヒトを恐れる機会がないまま市街地に下りてくる恐れがあります。住宅地にある生ゴミを食べたヒグマはその場所を餌場だと学習して頻繁に出没するようになる。さらに、ヒトを襲って食べたヒグマが積極的にヒトを襲うようになることもあります」

標津町の民家の門前に並ぶダストボックス。ゴミ袋をそのまま置くと餌づけ=クマの定着につながるので備えつけている家が多いのだという 標津町の民家の門前に並ぶダストボックス。ゴミ袋をそのまま置くと餌づけ=クマの定着につながるので備えつけている家が多いのだという

「人間は餌」と学習したクマが街中で次々と住民を襲う。アーバン・ベアがもたらす最悪のシナリオだ。

人的被害の拡大を未然に防ぐためには、「銃を持ったヒトがクマを追い回すことで、クマが人間を恐れる状態にすることが必要」(間野氏)だが、道内全域でハンター不足が深刻化しているという。

道内71支部から成る北海道猟友会に登録するハンターの数は現在、5361人とピーク時の約4分の1に減少。それも「多くのハンターはシカやイノシシ狙いで、クマを撃てるハンターは各支部で数えるほどしかいない」(道猟友会関係者)というのが実情だ。

クマ猟を担うハンターがここまで激減した背景には、「『春グマ駆除』の廃止がある」と間野氏は言う。

「通常、道内のクマ猟の猟期は10月から翌年1月までですが、ヒグマの人的被害が相次いでいた1966年、道庁は3~5月の残雪期に行なう『春グマ駆除』を解禁した。その利点は冬眠中や、冬眠明けのヒグマを一網打尽にできたこと。

当時、生薬の原料となるヒグマの胆のうのほか、剥製や毛皮なども高値で売れ、『5頭獲(と)れば1年遊んで暮らせる』と言われたほどクマ猟が商売になったことがハンターの増加に拍車をかけました。

しかし、春グマ駆除を続けた結果、地域によってはヒグマの絶滅が危惧されるレベルまで生息数が激減。駆除一辺倒の政策に批判の声が高まり、道庁は90年に春グマ駆除の廃止に踏み切ったのです」

間野氏が続ける。

「春グマ駆除の廃止は、ヒグマの絶滅回避という点では正しかったと思います。しかし、同時にクマ猟の初心者が経験を積むいい機会であったものが30年間失われ続けたことで、新たな人材供給が絶たれることになった。その間、高齢化も進み、多くの熟練者は技術や知識を次世代に伝えないまま引退していきました」

そしてハンターが不足し、クマ猟が廃れた結果......。

「道内のヒグマの個体数はこの30年で倍増し(90年度・5200頭→20年度・1万1700頭 ※推計値)、生息域も山奥から人里近くまで拡大。さらにヒトに対して警戒心を持たないアーバン・ベアを生み出す状況をつくってしまった。

高齢化し、数も減る狩猟者に代わってヒグマを管理する体制と仕組みをつくらないと、道民は今後ますます〝クマにおびえる暮らし〟を強いられることになるでしょう」

だが、光明はある。

世界有数のヒグマの生息地、知床半島の根元にある標津(しべつ)町に拠点を置くハンター集団「NPO法人 南知床・ヒグマ情報センター」の存在だ。

その中でも群を抜く実力を持つハンターが、赤石正男、70歳。これまで単独で仕留めたヒグマの数は120頭以上、地元猟師の間では〝野生のクマが恐れる男〟と称されている。

〝最強のハンター〟に会うべく、記者は6月中旬に空路、標津町へと飛んだ――。

■野生のクマが恐れる〝赤ちゃん〟

標津町は、北海道の最東端にある人口5300人程度の小さな町。町の面積の7割を占める森林に、多数のヒグマやエゾシカが生息している。

内陸にある中標津空港から車で東へ30分ほど走ると眼前にオホーツク海が開け、北方領土の国後島の姿がくっきりと見えた。その海岸近くに、赤石氏が待つヒグマ情報センターの事務所はある。

出迎えてくれたのは、同センターの創設者で、現在は主任分析官としてヒグマ探索などを担う藤本靖氏(61歳)。

「春グマ駆除が廃止になって以降、もう20年も前から都会でクマの出没が増えることは目に見えていました。じゃあどうすんだ?と思案したとき、クマ猟のノウハウを集約し、次代に継承する組織の必要性を感じて08年にNPOを立ち上げた。〝赤ちゃん〟の技術は絶対に残さないといけないと思っていたから」

事務所に入ると、ほかの仲間からは〝赤さん〟と呼ばれている赤石氏が待っていた。

背丈は180㎝程度あるが、体格はひょろりと痩せている。失礼ながら、見た目はクマ撃ちの達人というより、熟練の農家の人といった印象だ。だが、時折放つ鋭い眼光の奥に、どこか〝不気味さ〟が漂っているようにも感じられた。

「何? インタビュー? 別に話すことなんて、なんにもねぇんだけどなぁ」

無駄なことはしゃべらない、〝取材者泣かせ〟なハンターでもある。そんな赤石氏にとって、藤本氏は猟場で絶対的な信頼を置く参謀役だ。

「赤ちゃんがクマを仕留める狙撃手なら、自分は背後から全体を見渡し、獲物の正確な位置を見定める観測手。その関係性で彼とクマを追い続けて30年以上になります」

赤石氏のハンターとしてのスゴみについてはこう語る。

「赤ちゃんは冬眠穴から突然襲いかかってきたヒグマにもひるまず30㎝の至近距離で撃ち殺したこともあるし、スコープを通して800m先で歩いているクマを一撃で仕留めたこともある。

クマの猟期になれば国内各地から名のあるハンターがここにやって来ますが、狙撃力という点において、赤ちゃんにかなう人を私は見たことがありません」

標津町の大自然に囲まれて育った赤石氏にとって、山、川、そこに生息する生き物のすべてが「子供の頃から遊び相手だった」。父親も猟師でライフル銃は「常に身近にあった」と言う。

20歳で狩猟免許を取得し、散弾銃を持ってすぐのこと。「自宅の畑に子連れのクマが現れて、のそのそとこっちに向かってくるもんだから撃ってやった。初めてだったけど、恐怖感はなかったね」。

以来50年間、「クマを獲らなかった年はない」。撃退したヒグマの数はおおよそ120頭とされているが、「それ以降はよぉ覚えとらんの。もっと獲ってる」と不敵に笑う。

赤石正男氏と、赤石氏が仕留めた430㎏のヒグマ(2013年) 赤石正男氏と、赤石氏が仕留めた430㎏のヒグマ(2013年)

猟場では、次の〝鉄則〟を固く守り続けているという。

「対峙(たいじ)したクマは必ず一撃で仕留めることと、自分の立ち位置より上方にいるクマは絶対に狙わないこと」

これには教訓となる話がある。赤石氏が30代だった85年、隣町の羅臼町の山中で、60代男性が狩りに出たまま行方不明になった。地元ではクマ撃ち名人として知られたハンターで、赤石氏にとっては「大先輩だった」という。

行方不明の一報を聞きつけた翌日、ライフル銃を抱えて、赤石氏は地元猟友会の捜索隊に加わる形で山に入った。

〝現場〟はすぐに見つかった。

残雪の上にライフル銃が放置され、たばこの吸い殻があり、周囲には大量の血が飛び散っていた。そして、その地点から60mほど離れた沢の残雪の下に、頭部や顔面に深い爪痕が刻まれた遺体を発見することになった。

赤石氏らの現場検証の結果、ヒグマとの格闘の詳細が浮かび上がってきたという。

「彼は山の斜面に現れたクマを下から撃ち上げる形で弾を放った。後で判明したことだけど、その弾はクマの横隔膜を破り、背骨の横を通って背中でとどまっていた。ダメージを食ったクマは笹藪(ささやぶ)の中へと転げ落ちた。

彼はクマを仕留めたとホッとしてたばこに火をつけたのだろう。だがクマは生き残り、山をグルッと小回りして、一服中の彼に上から襲いかかった。そのままクマに頭や顔を前足で引っかかれた挙句に振り回され、数十m先までぶん投げられていた」

弾が命中しても死ななかった獣の状態を「半矢」と呼ぶ。

「半矢の状態で取り逃がしたクマは〝アドレナリン200パーセント〟の怒り狂った状態で必ず反撃してくる。そうなればハンター自身が命を落とすリスクが高まるばかりか、そのクマが街に下りようものなら大変な事態となる。それだけ、ライフルで放つ弾には重たい責任が伴うということ。

だからこそ致命傷を与えにくい下方からの射撃は避け、撃つなら首か頭を狙って一発で仕留める必要がある。先輩の〝命〟は、その教訓を後進のわれわれに残してくれた」

だが、話はここで終わらない。現場検証をしていた最中も、半矢のクマがどこかに潜んでいる恐れがあった。隊員の多くは川の上流へと捜索に行った。赤石氏もそれについていったが、クマの気配はなく、「何かが違う」と感じて遺体発見現場へ引き返した。

すると、笹藪の中へ進んでいった猟犬に驚いた手負いのクマが突如、赤石氏の目の前に現れた。

赤石氏はこのクマにトドメを刺し、見事に先輩のあだ討ちを果たした。なぜ、ヒグマが遺体発見現場近くにとどまっていることがわかったのか?

「直感だよ」

■子グマを撃ったら怒った母グマが......

毎年10月から翌年1月の猟期には、ヒグマが冬眠のために巣穴に帰っていくところを狙い撃ちすることが多いという。「雪が5㎝降り積もれば、クマ猟の始まり」と藤本氏は言う。

「このエリアで何十年と猟をやっているからクマの移動経路はほとんど頭の中に入っている。ここは毎年必ず通るというポイントが標津町内に10ヵ所以上あり、その多くに監視カメラを設置しています。あとはいつ、クマが出没するかというタイミングの問題」

南知床・ヒグマ情報センターは標津町内のヒグマ出没多発スポットにカメラを設置しヒグマの行動を常時監視。3頭のヒグマがこの獣道を頻繁に通るという 南知床・ヒグマ情報センターは標津町内のヒグマ出没多発スポットにカメラを設置しヒグマの行動を常時監視。3頭のヒグマがこの獣道を頻繁に通るという

その際に重要な手がかりとなるのがクマの足跡だという。

「足跡にはいろんな情報が詰め込まれている。雪に残された足跡を見れば、その歩幅や爪痕からクマがどんな心理状態でここを通ったのかがわかるし、前足を蹴り上げた際の雪の飛び具合や、飛び散った雪の新鮮さ、柔らかさから、そのクマがいつ、その場所を通ったのかも判別できる」

出没多発スポットで見つけたヒグマの前足の足跡。ヒグマ情報センターの主任分析官、藤本靖氏によると、「足の大きさ(横幅)は14㎝程度。推定160~170㎏の小~中サイズのヒグマで、1週間以上前の足跡だからビビらなくても大丈夫」 出没多発スポットで見つけたヒグマの前足の足跡。ヒグマ情報センターの主任分析官、藤本靖氏によると、「足の大きさ(横幅)は14㎝程度。推定160~170㎏の小~中サイズのヒグマで、1週間以上前の足跡だからビビらなくても大丈夫」

ある場所をクマが通ったタイミングがわかれば、「その後の移動経路は把握しているので先回りしてクマを待ち構える」(藤本氏)という。

クマが現れたら、100~300mの間隔を空けて追跡する。その際、風上に立つと「においでバレる」ため、風向きには注意しなければならない。ある程度距離を詰め、頭か首を狙えるチャンスが来れば引き金を引く。

「一般的なハンターの射程距離は150~200m。それでも頭を狙って尻に当たる、なんてことはザラです。だけど、赤ちゃんの射程距離は300~400mで、〝遠射〟の命中率はずぬけている。この距離でも、クマより的が小さいエゾシカの頭を確実に撃ち抜くこともできるからね」

道路側から見た出没多発スポット。ヒグマが頻繁に通るため林の中に獣道ができている。ヒグマだけでなくエゾシカもよく利用するという 道路側から見た出没多発スポット。ヒグマが頻繁に通るため林の中に獣道ができている。ヒグマだけでなくエゾシカもよく利用するという

その射撃力の高さは「天性のもの」(藤本氏)と言うが、赤石氏は「いまだに3ヵ月に2回ペースで、90㎞離れた網走の射撃訓練場に通ってる。命中率を維持するのは簡単じゃねぇよ」と謙遜する。

「数百m先の獲物を正確に撃つために銃身の角度を何度に保てばいいか?は、その日の気温によってもブレが出る。

何より年を取ってくると指の力が衰え、引き金の引き方も微妙に変わってくる。若い頃の感覚のままで撃つと命中率は確実に落ちるから、今の老化した体に合った撃ち方にチューニングしていくことが不可欠なんだよ」

赤石氏は狩猟歴50年の中で、「クマに傷つけられたこともないし、クマを怖いと思ったこともない」と言う。その理由は、「全部百発百中で仕留めてきてるし、クマがいつ現れても一発で撃ち殺す自信があるから」だ。

だが、藤本氏が横やりを入れる。

「強いて言えばあれは危なかったんじゃない? 6㎜の鉄砲でコッコ(子グマ)を撃ったとき......」

赤石氏は「あぁ、あれか」と言って当時の状況を淡々と語り出した。

「木の上にいたコッコをシカ撃ち用の鉄砲で撃ったらドスンと地面に落っこちて動かなくなった。そしたら、5、6m先の笹藪の中からカチカチカチカチと小刻みな音が聞こえてきたんだ。クマは怒ると威嚇のために歯を鳴らす。藪に隠れて姿は見えなかったけど、おそらく母グマの怒りを買ってしまったんだろう」

だが、通常なら口径6㎜の銃ではヒグマは仕留められない。崖っぷちだ。その状況下で、赤石氏はどうしたか?

「向こうからはオレの姿が見えていたはずだから、出てくるなら出てこい!って感じで、音が聞こえてくる方向をキッとにらみつけてやった。そのまま藪越しに対峙してしばらくすると、カチカチという音の中に、ブクブクという泡を吹く音が混ざるようになった。

20分くらいにらみ合いが続いたかな。最後にはクマのほうがおじけづいて逃げていった。オレは6㎜の鉄砲でも急所を狙えばクマを仕留められる自信があったから、そのときも怖いとは思わなかったよ。

クマは対峙する相手が強いか弱いかを瞬時に見抜く力があると聞く。藪から出たら撃ち殺されると察知したから身動きが取れず、最後には逃げ出していったんじゃないか」

クマと目が合ってしまえば襲いかかってくる、というのはよく聞く話だが、赤石氏の場合は目が合ってもクマのほうが逃げ出す、あるいは「クマが目をそらして素通りしていく」といったことが過去に何度もあったという。彼が〝野生のクマが恐れる男〟と呼ばれるゆえんがここにある。

■牛を襲う巨大グマ「OSO18」を追う

今、赤石氏らヒグマ情報センターのハンターが、道庁の要請を受けて追っているのは19年以降、道東で65頭もの放牧牛を襲い続けている獰猛(どうもう)なヒグマ「OSO18」だ。人目につかない場所で次々と牛を襲うこのヒグマは、「巨大な忍者グマ」と恐れられている。赤石氏が言う。

「OSOを追いかけ始めてから1年ちょっと。すでに酪農家の方々の被害は3000万円を超えているけど、ある程度、生息場所や行動経路はつかめてきた。今は複数の地点にカメラを仕掛け、包囲網をつくってOSOが出てくるのを待っている最中。時間の問題だよ」

そんな最強ハンターも今年で71歳。NPO内のハンターの平均年齢も60歳を超えており、やはり高齢化の波にさらされている。

だが、この1、2年で20~40代の会社員ら、数名の若手人材がNPOのメンバーに加わり、今、赤石氏の下でクマ猟のイロハを学んでいる。

そのうちのひとりで、赤石氏が「見込みがある」と評する20代男性がこう話す。

「赤石さんはヒグマとの駆け引きや〝命のやりとり〟を心に刻んでいる稀有(けう)なハンター。今はまだ経験が浅く、シカ猟から学ばせてもらっている段階ですが、いずれは自分もクマ撃ちのハンターになりたい。猟場では赤石さんの一挙手一投足が勉強になります」

北海道を襲うヒグマ危機。被害拡大を防ぐために、赤石氏が培ってきた技術、知識の継承が必要なのは間違いない。

●赤石正男(あかいし・まさお) 
1952年生まれ、北海道標津町出身、標津町在住。ハンター歴は約50年で、"野生のクマが恐れる男"と呼ばれる。ヒグマの生態を知り尽くし、単独狩猟歴は120頭を超える。ライフル遠射、罠や捕獲檻を使用しての動物捕獲のエキスパートである。