射殺された山口組の組長が乗っていたベンツ。指さした所に狙撃したヒットマンをはねた傷がある射殺された山口組の組長が乗っていたベンツ。指さした所に狙撃したヒットマンをはねた傷がある
2015年から続く山口組の分裂抗争が最終局面を迎えている。

六代目山口組の離脱者で結成された神戸山口組は、分裂を主導した主だった幹部が離反もしくは引退した。かつての仲間に去られて孤塁を守る井上邦雄組長は、ついには自宅を脅かされる状況に追い込まれる。業界関係者からは「30年前に山口組との分裂抗争に敗れた一和会の末路と重なる」との声も出ている。

■籠城長引く中で起きた自宅襲撃

6月29日、神戸市北区鈴蘭台東町の井上組長宅に液体を撒く男を、張り付け警戒中の警察官が発見して放火予備容疑で現行犯逮捕した。事件について、全国紙大阪社会部デスクが振り返る。

「逮捕されたのは、六代目側の竹中組系列の篠原会幹部・竹内一元容疑者(49)です。竹内容疑者は、井上組長の自宅に原付で乗り付け、玄関脇の植え込み付近にペットボトルに入った液体を撒いたところを監視・警戒中の警察官に取り押さえられました。竹内容疑者は、着火具も所持していたので、発見が遅れていれば大惨事になった可能性があります」(社会部デスク)

井上組長の自宅では昨年6月にも、六代目側の組員が回転式拳銃で17発を発射し、金属製の門扉を損壊させる事件が起きている。この事件で逮捕された組員は、犯行車両の屋根から井上組長宅に侵入しようと試みていたことが、後の公判で明らかになっている。井上組長の自宅が相次いで襲撃される背景について、在阪の暴力団関係者のA氏は次のように解説する。

「『外に出てこないから、ヤサごと燃やしてでも仕留めたるぞ』という六代目側からの不穏なメッセージのように感じるわね。井上組長の出身母体の山健組の大部分は、3年前に六代目側に出戻ってしまって側近と言える子分は少なくなった。そもそも、特定抗争指定で5人以上で集まれないから、外にはよう出られない。だから、自宅を襲うしかないのよ。

抗争が最終盤に入ったということよね。山一抗争でも、最後は一和会の会長の自宅が山口組傘下の竹中組に襲撃されたことで降参したからね。今回の事件も竹中組のシゴトやろ。因縁を感じる」(暴力団関係者A氏)

■組長のロケットランチャー発射に警官銃撃

A氏が挙げた事件について詳述する。1984年、山口組四代目を竹中正久組長が襲名し、これに反発する面々によって一和会が結成され「山一抗争」へと突入する。

翌85年1月に竹中組長が一和会のヒットマンに射殺されたことで、特に出身母体の竹中組による報復が激化。一和会の主要幹部は軒並み引退する。そして、88年5月に竹中組の襲撃部隊が一和会の会長宅にロケットランチャーを発射し、警戒中の警察官をマシンガンで銃撃する事件を起こす。

ロケット弾は、邸宅に張られた防護ネットに阻まれ、ヒットマンがけがを負うことになったが、竹中組の旺盛な戦闘意欲をみせつける結果となった。一和会の会長はほどなくして、山口組幹部に組織の解散と引退を申し出て、89年3月に山口組本家で謝罪し、抗争は終結した。

警察や行政による暴追運動は一定の成果を挙げてはいるが、銃火器を用いての抗争は散発しており、市民の巻き添えも懸念される警察や行政による暴追運動は一定の成果を挙げてはいるが、銃火器を用いての抗争は散発しており、市民の巻き添えも懸念される
「あの事件は、自宅での籠城生活を続ける会長を狙って、パトカーに乗っていた警官をマシンガンで撃つわ、ロケットランチャーや消火器爆弾をぶっ放すわで、山口組内部でも『やりすぎだ』と問題になった。その実行犯のリーダーが、いまの六代目山口組の若頭補佐で竹中組の安東美樹組長。

安東組長はあの事件で肩を負傷し、指名手配をかけられて逮捕。事件についての直筆手記を一部メディアが掲載したこともあった。20年近い懲役を務め、その"勲章"が現在の地位を築いていると言っても過言ではない。

竹中組は紆余曲折があって地続きではないんだけど、抗争においてはどんな手段を使ってでも自宅ごと襲うという伝統が今回もあらわれている。ヤクザって見栄えを気にするから、ただ襲撃するのではなく"様式美"にもこだわるしな」(A氏)

竹中組篠原会を巡っては今回の抗争でも、元組員が19年11月に兵庫県尼崎市内で、神戸側の幹部をマシンガンで銃撃し、蜂の巣状態にして殺害する事件を起こしており、安東組長の事例を踏襲するかのような"火器信仰"の根強さをうかがわせる。警官すらも狙い撃ちする、過去をオマージュした事件の続発が危惧される。

●大木健一 
全国紙記者、ネットメディア編集者を経て独立。「事件は1課より2課」が口癖で、経済事件や金融ネタに強い