生年月日を聞いただけで、その日が何曜日だったか即座に言い当てる。教科書は1回読めばほとんど理解できる――。
人並み外れてIQ(知能指数)が高い人や、突出した才能や能力に恵まれている人を指す「ギフテッド」。
映画やテレビドラマの題材にもなり、世間では「天才」に近いイメージでとらえられることも多いが、ギフテッドの中には学校や社会になじめず、なんらかの「生きづらさ」を抱えている人も少なくないという。
そんなギフテッドの人たちの実像と実情に、当事者の生の声や、国内外の「才能教育」の現状なども取材して迫ったノンフィクションが、朝日新聞記者の阿部朋美さんと伊藤和行さんの共著『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』(朝日新聞出版)だ。
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――おふたりがギフテッドに興味を持たれたきっかけは?
伊藤 僕の場合は2021年に文部科学省が「ギフテッド」という言葉を使い、そうした子供たちに対する支援のあり方を検討するための有識者会議を立ち上げたことでした。
それ以前はあまり興味がなく、自分とは別次元の関係のない世界だと思っていたのですが、文科省担当記者としてこの有識者会議を取材し記事にしたところ、大きな反響があり、当事者のことを知りたくなったんです。
阿部 私はそれ以前に不登校の子供たちの取材をしていて、「その困難性はどこから来るのか?」という点に興味を持っていたのですが、その過程で、起立性調節障害(自律神経系の異常で循環器系の調節がうまくいかなくなる疾患)など、本人の意思とは関係ない不登校の原因のひとつとしてギフテッドというのがあることを知ったんです。
ただ、私も当初はギフテッド=IQが高い天才みたいなイメージを抱いていたので、「それがなぜ学校に行けない理由になるんだろう?」という素朴な疑問が取材の出発点になりました。
――取材してみて、そのイメージはどう変わりましたか?
阿部 まず驚いたのは、ギフテッドと呼ばれる人たちの多様さです。ギフテッドと聞くと、「小学生ぐらいの年齢の子供が飛び級で大学入学」みたいな、「超天才」のイメージを抱いている人が多いかもしれません。
しかし、ギフテッドに定量的な定義はないのですが、その約9割はIQ120~130前後で、必ずしも超人的な天才というわけではない。そうした人は、海外の研究によると3~10%、つまり35人学級なら、1クラスに1~3人程度いるという計算になります。
――クラスに1~3人って、意外と身近にいるんですね。
阿部 ギフテッドの中には視覚や聴覚などが飛び抜けて敏感な人もいて、教室や電車など人混みの中ですぐ疲れてしまうなど、日々の生活が困難な人がいます。また、突出した才能とともに、繊細さや強いこだわりを併せ持つことが多く、これも「生きづらさ」につながっている。
例えば、中学のときから数学だけなら東大、京大の入試問題も楽々と解けるのに、人間関係が苦手で学校になじめず、ほかの科目にも興味がない。そのため、数学の研究に没頭したいのに大学にも行けず、駅の清掃をしているという人もいます。
また、音を聴けばなんでも頭に入っちゃうし、何ヵ国語も覚えられるのに、手先が不器用でリボン結びができないとか、スポーツが苦手なせいで「勉強しかできないダメなやつ」というレッテルを貼られてイジメの対象になり、3回も転校を繰り返した人もいました。
ギフテッドの中にはなんらかの「発達障害」を併せ持っている「2E(トゥーイー)」と呼ばれる人たちも少なくなくて、そうした能力の極端なアンバランスに悩まされるケースも多いようです。
――日本の画一的な社会や教育制度の中で、好奇心や興味に任せて自分の才能を思う存分伸ばせないこともツラいと思いますが、その一方で、そうした制約を取っ払って才能をどんどん伸ばすことが、本人にとって本当に「幸せ」なのかという、別の疑問も浮かんできます。
伊藤 それは非常に難しい問いで、おそらく答えはないんだと思います。例えば小中学校で日本の学校教育になじめず、その後、親の仕事の都合でアメリカに行って「ギフテッド教育」を受けたら自分の才能を伸ばすことができたのに、再び日本に戻ってきたらまた大学で心を病んでしまった。日本でもきちんと才能を伸ばすような教育をしてほしいと言う人もいます。
日本にもギフテッド教育に取り組む教育機関はあります。発達障害などを持つ子供への特別支援教育を行なう「翔和学園」(東京都)は、高IQの子供を選抜した特別クラスを設けていました。
しかしその結果、子供や保護者の間に優劣の意識が芽生えてしまったことで、特別クラスは廃止に。「一定の社会性や協調性が身につかないと、社会に出たときに居場所を見いだしにくい」といった反省から、今はギフテッドも含めて障害の有無にかかわらず、同じ場で共に学ぶ「インクルーシブ教育」へと転換しました。
日本ではこうした教育支援の歴史が浅く、今はまだ過渡期にあるんだと思います。
――ギフテッドの才能が企業や国など社会にとっての「資産」としてとらえられている面はありませんか?
伊藤 確かに、「才能のある子に税金や民間の資金をつぎ込んで、社会のために生かそう」という視点でギフテッド教育をとらえている人がいるのも事実で、そこは注意が必要です。しかし、私が取材した政府の有識者会議のメンバーは、むしろギフテッドの人たちの抱える生きづらさへの支援を中心に考えている人がほとんどでした。
特定の部分で並外れた才能を持ち、それゆえに問題を抱えている人がいる。まずは「そういう人たちもいる」ということを理解して、「うまくできないところはフォローして、いいところを生かす」という社会になってほしいと思います。
阿部 学生時代を思い出せば、クラスの中に「ちょっと変わった人」っていたはずで、その人たちは当時、なんらかの疎外感を感じていたかもしれない。普通の人は天才に憧れがちですが、そういう人たちの「光」だけじゃなく「影」にも気づいてほしい。
その結果、ギフテッドのみならず、自分とはちょっと違う人たちを理解したり、お互いを思いやったりするきっかけに、この本がなればうれしいです。
●阿部朋美(あべ・ともみ)
1984年生まれ、埼玉県出身。2007年朝日新聞社入社。事件や教育などを取材し、同紙連載「子どもへの性暴力」や、不登校の子供たちを取材した「学校に行けないコロナ休校の爪痕」などを担当
●伊藤和行(いとう・かずゆき)
1982年生まれ、名古屋市出身。2006年朝日新聞社入社。事件や教育、沖縄の基地問題などを取材し、同紙デジタル連載「『男性を生きづらい』を考える」「基地はなぜ動かないのか 沖縄復帰50年」などを担当
■『ギフテッドの光と影 知能が高すぎて生きづらい人たち』
朝日新聞出版 1540円(税込)
IQが高すぎるがゆえに学校の授業が苦痛で、周囲になじめない。視覚や聴覚が過敏で普通の社会生活が送れない。繊細で、こだわりが強すぎるために上司と衝突し休職を繰り返す。発達障害を併せ持つ人も――。羨望の対象になりがちな「ギフテッド」の人たちの「生きづらさ」について当事者に取材するとともに、支援の現場や、才能を伸ばす「ギフテッド教育」の国内外事情を紹介し、その課題を考察するノンフィクション