このご時世にまだやっていたのか――。その一報に接した時、少なくない人たちはそんな感想を抱いたことだろう。
去る7月5日夜、沖縄随一の歓楽街である「那覇市松山」が騒然とした雰囲気に包まれた。同所に点在する飲食店を対象に、沖縄県警が暴力団排除条例違反の疑いによる強制捜査に踏み切ったのだ。店側が、暴力団側に対して不当な「利益供与」を行なっていたとする容疑での家宅捜索、いわゆる「みかじめ料」を介した暴力団への資金提供の動きを絶つための一斉捜索だった。
「大規模なガサ入れには、暴力団がらみの事件を担当する県警組織犯罪対策課や機動隊など150人が参加しました。松山にあるバーやキャバクラなど約20店舗が捜査対象になりました。松山でこれほど大規模な捜査が行なわれるのは珍しく、過去にも例がほとんどないようです」(地元メディア記者)
そもそも、「みかじめ料」とは、「用心棒代、場所代」などの意味で、古くから暴力団の主要な資金獲得活動のひとつとされてきた。
1992年、暴力団対策法の施行によって、企業恐喝など暴力団による民事介入の排除が進んでからも、「みかじめ料」を介する「民」と「暴」の付き合いの慣習は全国的に続いてきたが、2011年の「暴力団排除条例」の全国一斉施行で情勢は一変した。
全国の警察当局が、みかじめ料を通じた暴力団側への資金流入を阻止する動きを活発化させ、暴力団側も摘発のリスクを避けるため、店舗に支払いを強要するような露骨な圧力を掛けることもなくなっていった。
■伝統的タテ社会がみかじめの温床に?
沖縄で、いまこの時期にこれほど大規模な捜査が行なわれた背景には何があるのか。
「沖縄のヤクザ事情は内地とは少々違う面もあるから」と内幕を明かすのは、地元組織に所属歴のある元ヤクザである。
「沖縄社会には、『しーじゃ』と『うっとぅ』という絶対的な上下関係がある。先輩が『しーじゃ』、後輩が『うっとぅ』。その関係性がずっと続く。だから、昔やんちゃしていて、しーじゃがヤクザになっちゃった人なんかは、狭い島社会の中で関係を絶つことは難しい。
『模合(もあい:親族や友人などのグループで共同拠出して積み立てた資金を、必要となったメンバーに融資する、沖縄では一般的な金融互助制度)』なんかで顔を合わせて『やー、なんで払わんば(おまえ、なんで払わない)』なんて圧を掛けられたら断るに断れないでしょ」(元ヤクザ)
地元のしがらみのみならず、「無用のトラブルを避けたい」という店側の思惑も完全排除に至らなかった背景にありそうだ。
「まあ、長年の慣習ですからね。キャバクラなど飲み系なら3万、デリヘルなどの派遣系風俗は5万、ソープランドなどの店舗系風俗は10万が相場。払うもの払っておけば無用なトラブルは避けられるから、とりあえず払っていたという店も少なくないと思うよ」(前出の元ヤクザ)
取り締まる側の県警の方も、こうした地元のしがらみを理解した上で、「夜の街」の秩序の均衡を無理に崩そうとはしてこなかったという事情もある。そんな中、前例のない一斉捜査に踏み切ったのは、ある「キーマン」の存在が挙げられそうだ。
■沖縄裏社会に現れていた構造変化
「キャバクラ、クラブが集中する『松山』は、地元の2つの組織がシマを分け合う形で均衡を保っていた」と明かすのは、暴力団捜査に関わった経験のある県警OBだ。
この県警OBによると、沖縄一の歓楽街に入り込んでいる勢力は、件の地元組織以外にもあったのだとし、ある「見立て」を示した。
「松山には、日本最大の指定暴力団である山口組の有力団体も進出してきていたのです。事務所を構えたり、表だっての活動はありませんでしたが、『みかじめ』も取っていた。といっても堂々とアガリを取っていたわけではない。
利用したのは、松山に点在する無料案内所。そこに息がかかったキャバクラなどに広告を出稿させ、その広告料の名目で実質的な『みかじめ料』を徴収していたのです。そのスキームで重要な役割を果たしていた実業家がいたのですが、先日、その実業家が亡くなったのです。県警内で、『この機会に本土の反社会勢力を一気に排除しよう』という声が高まったことも今回の一斉摘発の動きにつながったのではないでしょうか」
昨年に日本復帰から50年目の節目を迎えた沖縄。裏社会も変革の時を迎えているようだ。
●安藤海南男(あんどう・かなお)
ジャーナリスト。大手新聞社に入社後、地方支局での勤務を経て、在京社会部記者として活躍。退社後は警察組織の裏側を精力的に取材している。沖縄復帰前後の「コザ」の売春地帯で生きた5人の女性の生き様を描いた電子書籍「パラダイス」(ミリオン出版/大洋図書)も発売中