「自然災害が起きても、多くの人は『自分だけは大丈夫』というバイアスがかかり、避難しない。こうした人々にアプローチするのが防災心理学です」と語る矢守克也氏 「自然災害が起きても、多くの人は『自分だけは大丈夫』というバイアスがかかり、避難しない。こうした人々にアプローチするのが防災心理学です」と語る矢守克也氏

7月中旬、秋田県で大雨が降り、河川の氾濫や浸水被害が発生した。

豪雨や地震などの自然災害は近年増加している。堤防や地震予測で災害を回避することも大切だが、想定外のことが起きたときの避難も欠かせない。だが、避難指示が出ても「どうせ大事にはならない」「自分は大丈夫」と避難しない人も後を絶たないという。

そんな人たちに向けて「防災心理学」を掲げ、心理学的なアプローチでの防災を訴えるのが、京都大学の矢守克也教授だ。豪雨・地震・津波に備える心構えを聞いた。

* * *

――防災心理学というと、耳慣れない分野です。

矢守 防災や災害についての研究は理系中心です。ただ、土木工事をしたり、建築物を改良したりといった理系的なアプローチだけでは、災害を完全には防ぎ切ることはできません。

ですから、人間の心理や社会制度にアプローチして、人々の動きを変え、人間や社会へのダメージを減らす「減災」も大事だと考えられるようになりました。

文系的に災害を考える分野として、私が学生だった70年代後半から80年代にかけてアメリカから日本に導入されたのが、防災心理学や防災人間科学といった分野なのです。

――先生は当時、この分野に惹(ひ)きつけられたのでしょうか?

矢守 私の先生は社会心理学が専門でしたが、当時入ってきたばかりのこの分野を勉強しなさいとおっしゃって。学生だったので、言われたことをするしかないですよね(笑)。

でも、個人的にこの分野に興味を持つきっかけとなった印象深い出来事がふたつありました。ひとつは82年に起きた日航機羽田沖墜落事故です。精神的な病気を患っていた機長が着陸直前にエンジンを逆噴射し、飛行機を滑走路手前の浅瀬に墜落させてしまいました。

しかし、キャビンアテンダントが的確な判断とアナウンスをしたことで多くの乗客の命が救われました。

もうひとつは同じ年の長崎大水害です。1時間あたりの降水量で史上最高が記録された大災害でした。この記録はいまだに更新されていません。当時、長崎海洋気象台から厳重な警戒が呼びかけられたものの、連日の警戒警報に慣れていた住民はほとんど対策を取らずに、結果として299名の方が亡くなりました。

このふたつの災害によって、情報提供の仕方で緊急時に人々が避難できるかどうかが決まってしまう、という素朴な問題意識と強烈な印象を持ちました。

――墜落事故では適切な指示に従って乗客が救命された一方で、水害では警戒警報が届かなかったということですね。

矢守 長崎大水害では、冠水した店でパチンコを打ち続ける客の姿が報じられたりもしました。大災害の中、あまりにも危機感がない。でも仕方がないんです。危険な状況であっても、人間はそれを「日常のこと」として処理してしまう心の働きがあるからです。

これを「正常性バイアス」と呼ぶのですが、このバイアスのせいで避難指示が出ていても普段どおりに行動してしまったりする。

――となると、逃げない人をどうやって避難させるかが課題となるわけですね。

矢守 そうです。もし地域コミュニティが日頃から機能していれば、地区のリーダーさんが避難を促す、などが効果的です。

ですが、コミュニティがあまり機能していないところ、例えば都会のマンション住まいの方々はどうするのか。これまでは避難情報をスマートフォンに送り込んで避難を促す方式が採用されてきました。でも、実はこれには欠点がある。

避難すべき人が行政の判断を待つことで、手遅れになってしまいかねないんですね。ですから、最も良い方法は個人個人が避難のタイミングを自分で判断できるようになるということなんです。

――情報社会のメリットは享受しながらも、結局は自分自身で適切に判断できるようにしなければならないと。

矢守 ええ。そのための仕組みを作っていくことも大切です。

国交省が民間と連携して作った「逃げなきゃコール」というサービスがあります。自分のパートナーや近親者の居住地域を登録しておくと、災害時に通知が届く。通知が来れば自分で大切な人に避難を促すことができます。

人間は正常性バイアスによって自分自身のリスクを小さく評価してしまう一方で、大切な人のリスクは反対に大きく評価してしまうんです。私はこれを「心配性バイアス」と呼んでいます。このバイアスを逆手にとって、早めの避難を個人個人が判断しやすくしたわけです。

――なるほど。人間心理を突いた災害対策というわけですね。先生は現地での調査を重視されていると伺っていますが、これも新しい仕組み作りに関係しているのでしょうか?

矢守 ええ。現地のリアルな状況を理解し、対策を講じることが重要なのです。例えば、地域の避難訓練について考えてみましょう。独力での避難が難しい高齢者や障害者を避難行動要支援者と呼ぶのですが、こういった方々は訓練に出ていません。

そもそも日常的に移動が困難だからです。ですが、現場から遠い会議では「訓練の参加率が低いのは防災意識が乏しいからだ」と思い込み、的外れの対策として「訓練に参加して」と呼びかけたりする。

でもこの場合の有効な対策は、要支援者が参加できるように、訓練のあり方を考え直すことですよね。現場に行ってみて、住民の方々と交流してみてわかることも多い。現場の声を政府の検討会などでもしっかりと伝えることが必要だと思っています。

――確かに理系的なアプローチでは見落とされがちな視点かもしれません。この分野の知名度が上がるといいですね。

矢守 50年前には防災を専門とした大学の学部は存在しませんでした。ですが、日本大学危機管理学部や関西大学社会安全学部が設置されたようにトレンドとしての関心は高まっています。防災士という民間資格も創設され、社会的な認知も高まっている。

――人材の層が厚くなっているということですね。最後に、災害時の心構えを教えてください。

矢守 普段無駄に思えることでも、災害時には思わぬ力を発揮することがあります。例えば、携帯と固定電話の両方を契約することはお金の無駄かもしれない。でも、災害時に固定電話だけ通じていることもある。平時から万が一に備えた余裕を持つことが大切でしょう。

●矢守克也(やもり・かつや)
1963年生まれ。大阪大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(人間科学)。ヨハネス・ケプラー大学客員教授、ウィーン環境大学客員研究員などを経て、京都大学防災研究所教授。京都大学大学院情報学研究科教授、人と防災未来センター震災資料研究主幹、特定非営利活動法人日本災害救援ボランティアネットワーク理事、特定非営利活動法人大規模災害対策研究機構理事などを兼務。著書に『アクションリサーチ』(新曜社)など多数

■『防災心理学入門』
ナカニシヤ出版 2090円(税込)
防災というと堤防や地震予測といった、自然科学的なアプローチが主流だが、「人々に避難を促すには?」といった、文系的なアプローチの研究も存在する。それが防災心理学だ。著者は防災・減災研究の第一人者で、防災心理学がカジュアルに学べる一冊となっている。中身は「豪雨災害」「地震災害」「津波災害」「災害心理」の4章からなり、それぞれ4ページ、2ページ、1ページの短いエッセイが16本ずつ収められている

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