お釣りを手渡しせずにコイントレーに置いたというだけで、店員を怒鳴りつけるカスハラ客 お釣りを手渡しせずにコイントレーに置いたというだけで、店員を怒鳴りつけるカスハラ客

近年、客による従業員への悪質なクレームや物理的・精神的な嫌がらせ、いわゆるカスタマーハラスメント(カスハラ)が増加している。2022年2月には、厚生労働省から「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」が発表され、社会問題として注目されている。

では、カスハラはなぜ起こるのか? 解決策はあるのか? 長年カスハラを研究してきた犯罪心理学者・桐生正幸(きりゅう・まさゆき)氏に話を聞いた。

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■想像を絶するカスハラ客たち

今年6月、ある店舗での会計時のトラブルを巡るツイートが大きく拡散、炎上した。

ツイート主は「トレーの真上に手を出しているのに真下のトレーに置かれてブチ切れた。泣いて誤魔化(ごまか)すレジ係。名前を呼んでも返事しない」と怒りをあらわにし、さらに「売場の責任者出てきたのでトレーでやり取りする意味を聞いたが答えられない。恥ずかしいと思え。コロナがーって言えば何でもまかり通るとまだ思っとんのかアホが」と続け、うつむくレジ担当者の写真もアップロードしたのだ。

店員への言動を非難するコメントが相次ぎ、ツイート主はツイッターアカウントを削除した。

「これは典型的なカスタマーハラスメント(カスハラ)ですね」

そう答えるのは、『カスハラの犯罪心理学』の著者で、東洋大学社会学部社会心理学科教授の桐生正幸氏だ。

東洋大学社会学部社会心理学科教授の桐生正幸氏 東洋大学社会学部社会心理学科教授の桐生正幸氏

「カスハラというのは、簡単に言うと店員と客のコミュニケーションの不一致をきっかけに起こる客の加害行動です。今回の件では、ツイート主は差し出した手のひらにお釣りを手渡ししてくれることが〝レジ担当者が取るべき当たり前の行動〟だと期待していたわけです。

ところがレジ担当者はマニュアルに従ってコイントレーにお釣りを置いた。ここになんの悪意もありません。ところがツイート主にとってはそれが〝バカにした行為〟に思えてしまい、怒りに火がついたのです」

さらにツイート主は、売り場の責任者をも詰問してしまう。

「レジ担当者はマニュアルどおりに手順をこなしているだけなので、責任者も客が怒っている理由がわからない。問い詰められても答えることができず、ツイート主の怒りに油を注ぐことになってしまったのでしょう」

桐生氏によると、こうしたカスハラ事件は近年、増加の傾向を示しているという。

交通系ICカードの正しい使い方を教えてもらったのに、激高して駅員に殴りかかる客 交通系ICカードの正しい使い方を教えてもらったのに、激高して駅員に殴りかかる客

「わかりやすい例では、2020年に駅の改札口で起きたトラブルがあります。ICカードをキップの投入口に入れようとした乗客に対し、駅係員がICカード読み取り部にタッチするよう促したところ、乗客は突然激高し、駅係員に殴りかかったのです。

また、今年の6月には、携帯電話販売店で来店客が契約を巡ってトラブルになり、店長が対応。いったん店を出た客がまた戻ってきて、ガソリンのようなものを店長にかけるという騒ぎを起こしました」

携帯電話ショップでトラブルになり、殺意を持ってガソリンのようなものを持ち込む客 携帯電話ショップでトラブルになり、殺意を持ってガソリンのようなものを持ち込む客

この2件については、「駅係員を殴る」「店長にガソリンのようなものをかける」という、明らかな犯罪行為。実際に警察が出動して対処する事態になっている。では、カスハラは犯罪なのだろうか。

「自分の思っていることを相手に伝えるため、人はさまざまな手段を使います。対話がごく普通の手段ですが、一部の人は威圧行為や暴力に訴えて、自分の主張を押し通そうとする。カスハラもそのひとつです。

さらにエスカレートすると、駅員を殴る、店長にガソリンのようなものをかけるという犯罪となってしまうのです。つまりカスハラは〝犯罪の出発点〟といえるでしょう」

■カスハラも犯罪も〝普通の人〟がやる?

また、驚くべきことに、カスハラを起こす人は〝普通の人〟だと、桐生氏は分析する。

「私は大学で教鞭(きょうべん)を執る前は、山形県警の科学捜査研究所で主任研究官として、ストーカーの心理分析にも携わってきました。

その経験から、カスハラ加害者に『常習性』『攻撃性』などストーカーに共通する特徴があると考え、新たな犯罪心理学の研究テーマとしたのです。実は犯罪心理学によると、犯罪者の多くは異常者ではなく、〝普通の人〟であることがわかっているのです」

桐生氏によると「合理的選択理論」と「ルーティン・アクティビティ理論」で、犯罪者が〝普通の人〟であると説明できるという。

「合理的選択理論とは『犯罪者は、犯罪者自身の利益を最大化するように行動する』という考え方に基づく理論です。つまり犯罪者は犯罪行為で得られる利益と不利益を比べ、逮捕されるリスクや捕まった後に被る不利益のほうが少ないと判断すれば、犯罪行為を行なうというものです。

また、ルーティン・アクティビティ理論は、犯罪が発生する可能性を決める4つの要素を『動機づけられた犯行者(加害者)』『格好の標的(被害者、被害対象物)』『監視者(監視カメラなども含む)の不在』『空間的要因(いつ、どこで)』と規定します。つまり犯罪は無規則に発生するのではなく、条件と環境が整うことで起きるのです」

そしてこれは、カスハラについても共通するというのだ。

「カスハラを起こす悪質なクレーマーも、クレームによって得られる心理的な利益(不満の発散や自己承認)と、リスクや不利益(失敗や通報など)をてんびんにかけ、かつ条件が整ったところで問題行動に及ぶのです。

さらにここには『コロナ禍』という特殊な事情も絡んでいると思います。3年にわたるコロナ禍で、私たちは心の中にさまざまな不満や不安を抱いて生活してきました。

そしてコロナが5類に移行された今、世の中にはこれまでのコロナ禍での対応が過剰であると思っていた人と、いまだにコロナに不安感を持っている人が共存しています。つまりコミュニケーションを取る双方の立ち位置に、そもそものギャップがあるのです」

確かに、前述の会計トラブルの例でも、客が店側のコロナ対応に不満を見せている。

一方で、駅改札と携帯ショップの例では、実際に警察が出動する事態となっている。つまりこれらは合理的な判断ができなかったということなのか?

「特に高齢の男性については、〝ブレーキが利かない〟傾向があります。基本的には合理的選択理論に基づいて行動しているはずなのですが、『まだまだ現役なのに年寄り扱いされた』といった思い込みや、脳前頭葉の衰えなどによって怒りがコントロールできず、言動がエスカレートしてしまうんです」

このふたつの例はれっきとした犯罪だが、〝犯罪の出発点〟であるカスハラの多くは犯罪ではないことになる。

「私は、ここが問題だと考えています。これまでのカスハラの事例では、暴力行為に及んだ、土下座を強要したといったことで、傷害罪や強要罪で立件されたことがあります。しかし執拗(しつよう)なクレームでは不退去罪に問うことくらいしかできず、ある意味クレーマーの〝やり得〟になってしまうのです。

そして実際にカスハラも、この〝犯罪行為の前段階〟がボリュームゾーンになっています。つまり合理的選択理論で言えば『刑法典に書いていないから、逮捕されるリスクはない。自分の不満の発散、言いたいことを言う利益だけがある』ことになるわけです」

■日本の企業文化がカスハラを生んだ

さらに桐生氏は「犯罪として立件されていない」という理由で、カスハラをそのままスルーしていいわけではないと、問題視する。

「こういったクレーマーに対応する現場は必ず疲弊します。矢面に立たされる従業員は心を病むことも少なくありません。そうした従業員へのケアは必要ですが、必ずしも十分ではありません。クレーマー対応に疲れ切り、職場を辞めるという選択をする従業員も少なくないのです。

ひとり辞めたから、ひとり採用すればいいという頭数の問題ではありません。長い経験を持つベテランの業務を新人がそのまま担うことはできません。従業員を失うことは、企業においても大きな損失になってしまうのです」

ではなぜ企業は、こうしたクレーマーの横暴をそのままにしてきたのか。

「多くの企業はこれまで『お客さまは神様』という姿勢で客に接してきました。それが『理不尽な要求であっても、その場でお客さまの怒りをなんとか収めてもらえるよう、低姿勢でおわびする』という対応につながってしまっていたのです。

また、購入客からの製品への苦情の電話に対し、単に返品や交換に応じるのではなく、〝おまけ〟をつけて返すことも慣例として行なわれていました。

これらがクレーマーにとって、苦情を言うとなんらかの利益を得られるという成功体験につながったのです。端的に言えば、『企業がモンスタークレーマーを育てた』ということでしょう」

加えて桐生氏は、そうした問い合わせ窓口が、多くの企業内で〝傍流〟であることも、負の連鎖を生んでいると分析する。

「『クレームは宝の山』という言葉があります。つまりクレームはお客さまの不平不満であるから、それに耳を傾け、意見を取り入れることが、さらなるお客さまの満足につながるという考え方です。

でも企業のトップがそう言っていても、現場はそうはいかない。日々押し寄せる理不尽なクレームに対処するのが精いっぱいで、お客さまの本音を聞き出す余裕はありません。

そうした状況が明らかになると、社内の他部門から『スタッフのフォローもできていないし、お客さまのクレームにきちんと対応できていない』と見なされる可能性がある。

であれば、お客さま対応の窓口を外注化する、さらにはチャットボットなどを用いて無人化するなど、被害を目立たなくしてしまおうという方向に走りがちなのです。

でもそれは理不尽なクレームへの正しい対処ではありません。クレーマーはそうした無人化された問い合わせ窓口を避け、次の標的を探すだけですから。

また多くの企業が小手先のクレーマー対策に走ると、迷惑を被るのは善良な消費者です。口頭で人に尋ねることができればすぐに解決する問い合わせでも、チャットボットに質問を入力し、答えを引き出さなくてはならなくなるのです」

■カスハラ規制法が必要な理由

では今後、企業のカスハラ対策はどうあるべきなのだろうか。

「繰り返しになりますが、カスハラは犯罪行為の出発点であり、それ自体も犯罪に近い行為です。ただ、刑法典に犯罪だと明記されていないため、カスハラだけではなかなか立件されにくいのです」

これは、ストーカー規制法が成立、施行される前の状況に非常に似ているという。

「ストーカーについても、待ち伏せやつきまといそのものが犯罪とされていなかったため、立件が難しく、それが大きな事件につながってしまったという反省から、ストーカー規制法が生まれました。

カスハラもこのまま放置していると、社会全体に大きな損失を生むことになります。私はカスハラ規制法の成立を真剣に検討すべきだと思っています」

カスハラ規制法があれば、従業員への謝罪の強要、店舗への居座りなども、そのまま立件してなんらかの処罰を行なえるようになるという。

「カスハラ行為をすると逮捕、立件される可能性があるとわかれば、クレーマーも合理的選択理論に基づき、一歩踏みとどまることになるでしょう。

さらに法律によってカスハラが犯罪であると認定されれば、従業員も企業に対し『法律により犯罪として認定された行為にきちんと対策すること』を求めるようになるはずです。

企業がカスハラを黙認すれば、今度は従業員から企業に対し訴訟を起こされる可能性がありますから、企業も本気で対応を迫られることになるのです。

今、日本の企業では『SDGs』や『ウェルビーイング』といった理念が導入され始めていますが、従業員の心身の健康を考えることも、これらにつながる重要なキーです。耳に心地のいいキャッチフレーズを掲げて終わるのではなくて、現場の人員に注意を払って、きちんとやってほしいと思います」

カスハラを起こすのが〝普通の人〟であれば、私たちの誰もが〝カスハラ予備軍〟であるともいえる。では、カスハラをしないためには、どうすればいいのだろうか。

「まず誰もがクレーマーになる可能性があることを自覚し、カチンときたとき、ムッとしたときには一度深呼吸して冷静になることです」

桐生氏の調査によると、カスハラ行為に及んだクレーマーも、気分がすっきりするわけではなく、逆にモヤモヤした思いが残るケースが少なくないという。つまりカスハラは〝誰も幸せにならない行為〟なのだ。肝に銘じておきたい。

●桐生正幸(きりゅう・まさゆき) 
犯罪心理学者。東洋大学社会学部長、社会心理学科教授。日本カスタマーハラスメント対応協会理事。山形県警察の科学捜査研究所(科捜研)で主任研究官として犯罪者プロファイリングに携わる。その後、関西国際大学教授、同大防犯・防災研究所長を経て、現職。