今から30年以上前、"レディース"と呼ばれた不良少女たちの世界を取り上げ、社会現象にまでなった伝説の雑誌『ティーンズロード』。その初代編集長である比嘉健二氏が今年7月、第29回小学館ノンフィクション大賞を受賞した『特攻服少女と1825日』(小学館)を上梓した。
インタビュー後編では、同書に綴られた不良少女たちとの思い出のほか、「ずっとメインストリームではない場所で本を作ってきた」という比嘉氏の編集者としてのポリシーについても話を伺った。
■全国の暴走族に影響を与えた挨拶
――比嘉さんにとって『ティーンズロード』という雑誌は、編集者として最後の仕事になるかもしれないという覚悟で立ち上げた企画だったそうですね。
比嘉 当たるという確信があったわけではなく、それまであまりにも失敗が続いていたから、もうこれにすがるしかないというほど追い込まれていたんです。なかには"記録的惨敗"なんて笑いものにされたアダルト雑誌もありましたから。幸いにも『ティーンズロード』がヒットしたことで、この業界から足を洗わずにすみました(笑)。
比嘉 ピーク時で18万部でした。ただ、コンビニでの販売なしでこの部数ですから、かなり健闘したと思います。人気の号は完売になることも珍しくなかったですし、増刊やビデオ版も常に完売に近い売れ行きを記録していました。
――『特攻服少女と1825日』を読むと、とにかく読者の熱量に圧倒されます。
比嘉 『ティーンズロード』からヤンキーたちの流行が生まれることもよくありました。例えば、「三河遠州女番(スケバン)連合」(通称"スケ連")という日本一のレディースチームは、その100人を超える規模だけでなく、独特な挨拶が特徴的でした。「三河遠州女番連合第◯代目特攻隊長◯◯よろしく!」と名乗ると、ほかの全員が「よろしく!」と声を合わせるんです。
この挨拶は後に発売された『ティーンズロードビデオ』にも映像として収録され、あっという間に全国のレディースで真似されました。男性の暴走族にも影響を与えたと思います。
この"スケ連"はほかにも印象的な儀式をいくつも作っていて、浜松支部のお祭り取材なんて、何十人もの女のコたちが輪になって一升瓶をラッパ飲みしていたんですよ。ひとりが飲むと次に渡す。そうやって連帯感を強めるんです。これも僕らが紹介してから各地で見かけるようになりました。
高松の「胡蝶蘭」も人気がありました。総長の「ひろみちゃん」が他の総長の中でも人気が頭ひとつ抜けていて、彼女の代名詞だった赤い特攻服と金髪が大流行したのを覚えています。
■不良じゃない読者のほうが多かった
――不良少女とはいえ一般人に過ぎない女のコたちを、若者のカリスマにしたわけですね。
比嘉 ただ、『ティーンズロード』の読者はヤンキーだけではありませんでした。読者からの投稿を見ても、むしろ自由に生きる"レディース"に憧れているけど、自分はあんなふうにできないと悶々(もんもん)としていた若者のほうが多かったと思います。
――たしかに誌面では、そういった若者からの悩みに現役の総長たちが応えるコーナーまでありました。
比嘉 編集部に「HOT-TEL」という24時間留守録できるメッセージ電話を設置していたので、「学校でうまくいかない」「生きているのがしんどい」といった声が毎日のように寄せられていました。『ティーンズロード』が支持されたのは、"レディース"という特殊な世界を取り上げたからだけではなく、雑誌が行き場のない不安を抱えた若者たちの居場所になっていたことも大きかったと思います。
――比嘉さんが特に気に入っていた企画は?
比嘉 『ティーンズロード』といえば、ヤンキーたちのグラビアがウリになっていましたが、個人的に雑誌のキモだと思っていたのは1色の読み物ページでした。というのも、こういう雑誌を作っていると、いろんなタイプの少年少女に出会うんですよ。その中で面白いと思った子たちは、暴走族でなくとも密着取材して記事にしていました。「10代ひとつの生き方」というドキュメント企画です。自分で原稿を書いていたこともあり、すごく思い入れがありましたね。
『特攻服少女と1825日』でも何人かのエピソードを紹介していますが、その中でも印象的だったのは「一家全員刺青を入れたSさん家」です。
■「誰がこれを非難できるのか」
比嘉 東海地方で運送業を営んでいたSさんは、4人の息子や娘たち以外にも、親から捨てられた子供を引き取り、育てている人でした。ただ、その子供たちは全然学校に行っていない。特に男子は学校よりも働いてカネを稼げって教育方針でした。しかも「刺青は男の勲章」とばかりに、みんな刺青が入っていました。今なら完全にアウトですよね。ちなみに、僕たちは刺青が入ってなかったので、「なんだ情けない」と言われてしまいました(笑)
でも、この家は空気がとにかく明るいんです。血縁がない子もすっかり溶け込んでいました。Sさん一家のように、学校に行かない子供たちの受け皿になっている家庭や職場は、ほかにもたくさん取材しました。そういう取材を重ねるうちに、誰がこれを非難できるんだろうかと思うようになったんです。
たしかに学校に行かないことは問題かもしれません。でも、当時の不良は学校からも他の生徒に悪影響だから来るなと言われていたし、そもそも家庭に問題があることが多い。少なくとも彼らは真っ当に働いているわけで、どこにも居場所がなくて犯罪に手を染めるよりはずっといいと思って、積極的に取り上げていました。
――まさに世の中のグレーな部分で生きる若者たちを紹介していたわけですね。
比嘉 "スケ連"に取材に行ったときも、無断で遅刻したからって理由で、下っ端の女のコがめちゃくちゃ怒られていたんです。ただ驚いたのは、彼女が怒られた内容を必死にノートにとっていたことでした。それまで家庭でも学校でもまともな教育を受けてこなかった彼女にとって、レディースチームが教育の場だったんです。そのコは"スケ連"に入って漢字を覚えたと言っていました。
暴走族やレディースは世の中にとって悪いことかもしれないけど、それを排除するだけで本当にいいのか。何もかも善悪の二元論で片付けてしまっていいのか。グレーな部分をなくしてしまうと、どんどん追い込まれる人が出てくるようになるんじゃないか。結局、僕が『ティーンズロード』で伝えたかったのは、そういうことだったのだと思います。
■唯一誇れる仕事が『ティーンズロード』
――比嘉さんは1993年に編集長の座を退くと、次に『GON!』というサブカルの中でも、エロ・グロ・ナンセンスといった、よりディープなカルチャーを取り上げる雑誌を創刊されました。ヤンキー文化とはまったく違うジャンルでの挑戦でしたね。
比嘉 すごく濃い5年間を過ごしたためか、もう『ティーンズロード』で自分はやり切ったと感じていました。あそこでまったく違う方向に振り切れたことで、編集者としての寿命が伸びたと思います。でも、僕の編集者としての基礎は、すべて『ティーンズロード』にあります。すぐに編集からは離れてしまいましたが、アウトロー雑誌である『実話ナックルズ』の創刊(2001年)も、その延長線上です。
この"ナックルズ"という誌名は、かつて存在していた愚連隊文化に注目する中で生まれました。僕は以前から愚連隊に興味があって、個人的に研究していたんです。というのも、1990年代にはアウトローの世界も経済ヤクザが支配するようになり、任侠道は絶滅寸前になっていました。ビジネスマンでなないと、ヤクザもしのげなくなったのです。
でも、かつてはそうではない、男らしいアウトローがたくさんいました。花形敬(※)のように、「ステゴロ(素手のケンカ)だけで渋谷を制した」と言われた男がいたんです。まあ、実際に評伝とかを読むと、ステゴロだけでやっていけたわけではないとわかるんですけど(笑)。ただ、ロマンとしてかっこいいじゃないですか。そういう「男は拳」っていう信念を持つ人々を取り上げる雑誌という意味を込めて、"ナックルズ"と名付けました。
(※編注:渋谷区を拠点に活動していた安藤組の元幹部。伝説のヤクザとも言われている)
――『ティーンズロード』を礎に自身の方向性が定まったということですか。
比嘉 僕は暴走族でもサブカルでもアウトローでも、世の中の主流ではないほうが好きなんです。そして、そういう雑誌にたくさんの読者がついてくれたということに自分自身も救われてきました。その原点は間違いなく『ティーンズロード』での経験です。
そもそもミリオン出版という会社自体が業界のアウトローなんですよ。僕は最終的に社長までやらされましたが、雑誌で原価計算をしたことがない人間ですよ? 原価率98%という号まであったくらいです(笑)。
――どれだけ売れても儲からないじゃないですか(笑)。
比嘉 そういう人間に社長をなんでやらせるんだって(笑)。案の定、すぐにクビになりました。ただ、そんな僕が唯一、胸を張って誇れる仕事が『ティーンズロード』なんです。理由は売れたからじゃありません。これは自分のための雑誌だと思って、毎号楽しみにしてくれる読者がいたからです。
僕が編集長をしているとき、埼玉のある暴走族から編集部に電話がかかってきました。仲間が事故で死んでしまったんだけど、その棺桶にあいつが大好きだった『ティーンズロード』を入れていいかって。そこまで言ってくれる読者を裏切れないですよね。だから毎号真剣に作っていたし、『特攻服少女と1825日』という本も書けたんです。
●比嘉健二(ひが・けんじ)
1956年、東京都足立区出身。編集プロダクション『V1パブリッシング』代表。経済系の出版社を経て、1982年にミリオン出版に入社。『SMスピリッツ』などの編集を経験し、『ティーンズロード』『GON!』などを立ち上げる。『特攻服少女と1825日』は第29回小学館ノンフィクション大賞を受賞した
●『特攻服少女と1825日』(小学館・1650円[税込])
『ティーンズロード』創刊編集長の比嘉健二氏が、「ヤンキー少女」や「非行少女」と呼ばれてきた1980年代のレディースたちを振り返った、唯一無二のノンフィクション作品。『ティーンズロード』がなぜ一世風靡し、レディースたちの希望となったのか紐解く一冊。ありのままに捉えた当時の彼女たちの姿や、その後が描かれる