全国的におなじみの大衆魚や高級魚、各地のブランド魚や特産魚介類の分布海域が、温暖化による海水温の上昇で激変している。まだ調査や統計には出始めたばかりの現象も多いが、長年、海に出続けている漁業関係者の最新証言も含め、各地で起きている現在進行形の"異変"を一気にまとめてみた!
■サンマ漁解禁でも「燃料代がかかるだけ」
今夏は過去最高ともいわれる猛暑だが、近年の温暖化の影響は海にも及ぶ。本記事では日本全国の漁場の漁獲状況について、国や都道府県のデータ、漁協職員や漁師の証言、各海域に詳しい有識者の知見を基に徹底調査した。
その結果、顕著に見えてきたのは暖かい水を好む南方の魚が生息域を北へと移し、冷たい水を好む北方の魚がさらに北上していることだ。
気象庁によれば今年3~5月、日本近海の平均海面水温は平年より0.6℃高く、統計開始(1982年)以来第3位の記録的な高温に。また、今夏は特に三陸沖(青森~宮城県沖)の海が暖まり、7月22~25日に平年より約10℃も高い水温を観測している。
こうした"海の温暖化"により、各漁場では今まで獲れていた魚が獲れない、まったく獲れなかった魚が獲れるといった大転換が起きていた。
「ここ数年はサケとサンマがちっとも獲れん。その網にはブリが大量にかかる......」
そう話すのは北海道の東端、根室(ねむろ)沖の太平洋近海で漁を営むベテラン漁師だ。今年は8月10日に根室でサンマ漁の主力、棒受け網漁が解禁されたが、歯舞港(はぼまいこう・根室市)から出漁したのはわずか1隻。
「出漁しても燃油代がかかるだけ。ほとんどの漁師が漁を見合わせている」
この傾向はデータでも顕著だ。道庁が公表している2010年と21年の漁獲量を比べると、冷水系のサンマは14分の1、サケは半減以下に落ち込む一方、暖水系のブリは6倍以上に激増し、サンマの水揚げ量を超えた。
北海道恵庭(えにわ)市のさけます・内水面水産試験場で資源調査を行なう研究員がこう話す。
「北海道は西に日本海、北にオホーツク海、東に太平洋と3つの海に囲まれていますが、この10年で海洋環境が大きく変わったのは太平洋側。
南から北上してくる暖流(黒潮)と、北から南下してくる寒流(親潮)は従来、岩手県沖でぶつかり合うのですが、近年は親潮の流れが弱まり、黒潮の暖かい水が北海道沖まで流入する状況が続いています。これにより、サンマが沿岸部に寄りつかなくなったことが不漁のひとつの要因です」
サケは、稚魚が春に道内の川から海に下り、沿岸域で1、2ヵ月成長してから北米のアラスカ湾に移動。数年後、産卵のため北海道に帰ってくるのが通例だが......。
「太平洋側ではサケの稚魚が降海直後に大量に死んだり、十分に成長できないまま外洋に旅立たざるをえなくなったりして生存率が低下しています。原因は初夏(5~7月)の急激な水温上昇。
ここ数年、サケの稚魚にとって適水温の上限である13℃に達する日が平年より10~20日ほど早まっており、"生きづらい海"になってしまっています」
■日本海はブリの「一方通行路」に?
一方、北海道の"新名物"になりつつある道産ブリの一大漁場は、津軽海峡にせり出す渡島(おしま)半島の東端・恵山(えさん)岬(函館市)の沖に「数年前に突如現れた」という。直近5年では、道内全体のブリの漁獲量の51~72%を占める。
北海道余市(よいち)町の中央水産試験場(中央水試)でブリの資源状況に関する調査研究を行なう研究員はこう言う。
「ブリは本来、九州の南に広がる東シナ海で生まれ、対馬(つしま)暖流に乗って日本海を北上し、青森県沖まで来ます。しかし冷たい水が苦手なので、水温低下とともに11~12月頃に南下を始め、同じルートをたどって東シナ海へ戻ります」
ところが近年、この回遊ルートが大きく変わった。
「11月以降も海が冷めず、北海道沿岸までブリがたどり着くようになっています。
ブリの北上を助ける対馬暖流は北海道沖で分岐し、その一方は津軽海峡を通って太平洋へ注ぎ込む津軽暖流に変わりますが、北海道沖まで到達したブリの多くはこの暖流に乗り、津軽海峡を渡って、その先にせり出す渡島半島にぶつかる。こうして漁場が形成されるようになりました」(中央水試研究員)
北海道が好漁に沸く一方、富山のブランド魚「ひみ寒ぶり」は不漁にあえぐ。
「ひみ寒ぶり」とは、11月から翌年2月までの漁期に富山湾の定置網で捕獲され、氷見(ひみ)漁港に水揚げされた6㎏以上のブリのこと。
「富山湾の数㎞沖に定置網をしかけ、青森県沖から南下してくるブリの群れを待つのですが、回遊ルートがズレたのか、なかなか網に入らなくなっています」(地元漁師)
13年に約6万2000本だった水揚げは、21年には約1万1000本と、ほぼ6分の1に減少。昨年は2年ぶりに2万本を超えたが、漁協関係者は「不漁であることは変わらない」と肩を落とす。
前出の中央水試研究員はこう見る。
「国の研究機関が魚体に発信器を取りつけて回遊ルートを追跡調査したところ、日本海側から津軽暖流に乗って恵山岬(渡島半島)にぶつかったブリの多くはその後、そのまま太平洋沖に流れていくことがわかりました。
潮流が激しい津軽海峡をさかのぼって日本海に戻るのは相当な労力でしょうから......。富山湾での漁獲が落ちるのも必然的な流れだと考えられます」
一方、富山湾では南方に生息する暖水系の2魚種の水揚げが急増したという。
「富山湾の水温も上昇しており、昨年8月は平年より2.5℃以上も高かった。その影響か、以前は200~300tだったシイラの水揚げが21年には約1400tを超え、従来はまったく取れなかったサワラも近年は数百t規模で水揚げされています」(漁協関係者)
しかし、1㎏数千円で取引される高単価な寒ブリに対し、サワラは1㎏1000円程度で、シイラは現地では「食べる文化がない」。地元漁師にとっては寒ブリの収入減が大きな痛手となっている。
■黒潮の大蛇行でブランドサバ消滅危機
本州の南に広がる太平洋側の漁場は、「黒潮大蛇行」と呼ばれる異変に翻弄(ほんろう)されている。
暖流の黒潮は本来、九州から日本列島の南岸を沿うように北上するが、近年、紀伊(きい)半島の潮岬(しおのみさき)沖付近で「冷水渦(れいすいうず)」と呼ばれる反時計回りの巨大な渦潮が発生。黒潮はこれを避けるように、四国・紀伊半島沖で南側(沖側)へ大きく迂回(うかい)しながら流れている。
気象庁によると1965年以降、黒潮大蛇行は6回発生しているが、今回は今年8月で過去最長となる7年目に突入。その影響を強く受けているのがサバだ。
高知県土佐清水(とさしみず)市のブランド魚「清水さば」は、黒潮大蛇行の発生を境に漁獲量が急減。市によると、それ以前は年5万尾以上だった出荷量が20年には半減。21年の漁獲高はピーク時の2割にまで落ち込んだ。
「黒潮と一緒にサバも離れたのだろう。大蛇行が今後も続くなら、出漁しても採算が取れないので漁師が減少し、清水サバのブランドは存続できなくなる」(市内の水産卸業者)
大分県佐賀関(さがのせき)漁港の「関さば」も危うい状況で、水揚げはピーク時(92年)の264tから17年は52t、22年は22tに激減。地元のサバ漁師がこう話す。
「今年は200艘(そう)の船を出しても20匹しか釣れない日もあるし、同じく不漁だった昨年も、サバの顔を見ない日が何ヵ月も続いた。50年以上この漁をしているけど、これほどの大不漁は初めてです」
逆に、北海道の道南エリアでは「ブリとともにサバの漁場が形成されつつある」(前出・中央水試研究員)という。
「これまで群れがあまり来なかった恵山、根室、羅臼(らうす)の沖で、数年前からまとまった漁獲が続き、サイズも大きいのでけっこういい値段で売れている。因果関係については現在調査中ですが、サバの漁場も南から北へ移ってきているということかもしれません」
■秘密の漁場出現で"ノドグロ御殿"?
イセエビの産地、和歌山県那智勝浦(なちかつうら)町では、5年間で水揚げが3分の1近くに減少。不漁の影響で今年は中止となった毎年4月開催の「いせえび祭り」は「漁獲が改善される見込みがなく、来年以降も開催は難しい」(町役場の担当者)という。
「通常なら黒潮が稚エビを紀伊半島の沿岸部や伊勢湾に運んでくるのですが、大蛇行が続いて稚エビの流入がほとんどありません。
さらに、黒潮が離岸したせいで沿岸域の潮の流れが弱く、夏場に温められた海水が滞留するようになった結果、イセエビのエサであり、すみかでもある海底の海藻が枯れる"磯焼け"が発生してしまっています」
では、イセエビはどこへ?
「東北に上がってきている」と話すのは、宮城県石巻(いしのまき)市の水産会社社長だ。
「10年ほど前からイセエビの漁場は徐々に北上し、最近は福島県沖でも獲れるようになったと聞いていました。石巻沖では数年前からまれに刺し網に入る状況でしたが、今年の夏は20尾、30尾とまとまった量がひとつの刺し網にかかっている。
稚エビが黒潮に乗って紀伊半島沖を迂回し、ついに東北まで流れ着くようになったのか......。因果関係はよくわかりませんが、イセエビは浜値で1尾5000円は見込める高級食材。港は沸いています」
この社長の話では、宮城県沖では北海道と同じく寒流が弱まった影響でサケ、サンマ、タラといった北方の魚が急減する一方、暖水を好む魚が急増。特に「タチウオ、サワラの水揚げは3年ほど前に爆発的に増えた」といい、15年以前は1t程度で推移していたタチウオの漁獲量は昨年、なんと398tを記録している。
さらに、漁場の激変ぶりを象徴するのが高級魚ノドグロ(アカムツ)だ。従来の主要な漁場は長崎県対馬沖や島根県山陰沖で、海底付近に居つきブリのように長距離を回遊しない魚だが、数年前に突如、宮城県沖に漁場が出現した。宮城県水産技術総合センターの担当官が明かす。
「宮城県沖での漁獲は例年1t以下で、漁獲対象ではありませんでしたが、15年4.4t、16年11tと急増し、22年は20tで過去最高に。今年は現時点でそれを上回る勢いです」
なぜそうなった?
「11年の東日本震災の後、宮城県沖では2年間漁業ができませんでしたが、12年にあるポイントでノドグロの稚魚が大量発生しています。
近年の高水温化に伴ってノドグロがすみやすい環境が形成された上、漁業ができなかったことで親魚が卵を産みつけやすい環境になったのではと考えています。福島の被災地の海域でも、やはりノドグロの漁場が形成されていますから」
地元の漁師がこう続ける。
「宮城沖が特徴的なのは漁場が狭く、4、5隻の船でノドグロの漁獲を分け合う寡占状態となっている点。
詳しい場所は一部の人しか知らない"秘密の漁場"と化しています。水揚げ金額はひとり頭で年に数千万円はあると聞くから、このままいけば"ノドグロ御殿"が立ち並ぶでしょう」
ほかにも、瀬戸内海ではミズクラゲが越冬するようになり漁業が阻害され、長崎県壱岐(いき)島では沖縄の県魚・グルクン(タカサゴ)が水揚げされ、その沖縄では名物のスク(アイゴ類の幼魚)の漁獲が激減し......と、もはや従来の"魚の常識"が通用しなくなっている。日本の水産業と魚食文化は混迷の時代を迎えている。