インド、中国、フィリピン、タイ、etc.......アジアのドキュメンタリー映画がツイッター(現X)でバズっている様子を見たことがある人は多いだろう。
その仕掛け人は「アジアンドキュメンタリーズ」。優れたアジアのドキュメンタリーを世界へ配信する映画配信プラットフォームだ。設立から5年、サービス立ち上げの経緯や作品の選定基準、今後の展望などを代表の伴野智氏に聞いた。
■日本の映像業界への危機感
――「アジアンドキュメンタリーズ」を立ち上げる前は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
「映像制作会社にディレクター・プロデューサーとして20年以上勤めていました。ドラマやCM、映画までひと通り経験したので、映像の『なんでも屋』でしたね」
――会社を辞めてまでアジアンドキュメンタリーズを立ち上げたのは、なぜでしょうか。
「仕事をする中で、今の日本のドキュメンタリーが置かれている現状がよくないと思ったんです。中国や韓国や台湾などアジア各地からは素晴らしい作品が世界に送り出されているのに、日本のドキュメンタリーは海外のマーケットにはほとんど存在しない。
世界に向けて発信する力が足りないし、作品そのものが日本国内向けにしか作られていない。世界において、日本の存在感が薄くなっている危機感がありました。
また、アジアンドキュメンタリーズを立ち上げた理由には『考える社会を取り戻したい』というものがあります。私が携わってきたテレビの仕事では、『考えさせないように作る』ところがあるんですよ。
例えば、すごいアスリートのドキュメンタリーでは、越えなければいけない壁があって、それに果敢にチャレンジして......などと、対象をカッコよく撮る作品がたくさんあります。それももちろん面白いし魅力を感じるのですが、深く考えさせられるのではなく、自分も一緒に乗り越えたような気分になって終わる気がします。
当時、『それだけでいいのか』『ドキュメンタリーってそういうものなのか』と自問自答していたんです。社会に対して問題提起をしたりする、深く考えさせるドキュメンタリーが日本ではあまり作られないし、テレビではほとんど見かけなくなっています。
メディアの本来の役割は、権力の監視や、議論を促すことでもあるはずなのですが、今の日本のメディアが担っているのは情報提供と娯楽と広告なんですよね。メディアの質自体が大きく変わってきていて、『自分たちにできることはないのか』と考えていたんです」
■ライバルはNHK! 異色の配信サービス
――日本のメディアに対する問題意識が、どのようにサブスクリプションの映画配信サービス立ち上げにつながったのでしょうか?
「まずはドキュメンタリーのお客さんをつくらないといけないと思ったんです。ドキュメンタリー映画を一本作るのには、ものすごい時間とお金がかかります。しかも、大変な思いをして作っても、見てもらえなかったりする。
それは、ドキュメンタリーの魅力や面白さを知らない、それに気づいてない人が日本にたくさんいるから。だから、アジアの優れた映画を知ってもらうことで、ドキュメンタリー映画の視聴者層を広げようと思ったんです。
また、ドキュメンタリーというと、NHKの印象が強いところがあるかもしれませんが、もっと全然違う軸があってもいい。ある意味では巨大なサブスクでもあるNHKに対抗するというか、ゲリラ的に仕掛けている感じですね」
――「ドキュメンタリーの面白さに気づいてくれる」ユーザーは、どのようにして見つけるのでしょうか?
「SNSの力はとても大きかったです。最初はどこに宣伝していいかわからなかったんですよ。なにしろ『ドキュメンタリーが好きな人』というざっくりしたターゲットは存在しませんし、社会問題の中でも、貧困、福祉、戦争など、それぞれはまったく違う世界ですから。
だからこそ、作品ごとに届くターゲットにリーチできるSNSが役に立ったんです。事実、流入の経路はツイッター(現X)が一番多かったです。もちろんメディアに取り上げていただいたときや、TBSラジオの『アフター6ジャンクション』でライムスター宇多丸さんが紹介してくださったときに知ってくれた方も多かったです。
ほかにもいろいろな試行錯誤をしましたが、最初の1年は会員が100人しかいませんでした。100人の方が月々990円を払って作品を見ていただいても、自分のお金がどんどん出ていく一方なので大変でしたね。
今では、作品を単品購入で見ていただいている方、月々払ってくれる方、まめに入ったり退会する方もいて、全体で3万9000人ほどのユーザーがいます。
それでも、失敗もしています。2018年8月にオープンしたときに、配信作品を授業で使ってほしいと思って、全国の高校や中学校の校長先生に向けて、100万円以上かけてダイレクトメールを郵送したんです。結果、一件たりとも反応はありませんでした。あまりに無知でしたね。そういう経験をずっと積み重ねながら、今に至っています」
■「厳選」「編成」、そして「予告編」
――ほかのサブスクリプションサービスと比べて、アジアンドキュメンタリーズの強みはどこにあるでしょうか?
「ひとつは作品の厳選です。ほかのサブスクの何万という作品数に比べて、アジアンドキュメンタリーズの配信数は現在約300本。少なく聞こえるかもしれないですが、厳選しているので『どれを見ても面白い』自信があります。
もうひとつは編成です。ある意味で、テレビ的な要素ですね。毎月『外国人が見た日本』『結婚を考える』『現代の魔法使い』などといったテーマを決めて、『この3本を見比べることによって新たに気づきがあるかも』といった提案をしています」
――作品を厳選するに当たって、基準のようなものはあるでしょうか。
「選定のキーワードは『衝撃』『感動』『覚醒』です。
まず、テーマや映像がシンプルに日本人にとって衝撃的かどうか。次に、登場人物やエピソードに深く共感して感動できるかどうか。最後に『こんなに頑張ってる人やこんなに大変な思いをしている人がいるなら、自分ももうちょっと頑張ろう、自分にも何かできることがあるんじゃないか』など思って、覚醒してもらえるか。
見る人に影響を与えて、動き出させる力がある。そういうドキュメンタリーを厳選しているつもりです」
――ツイッターでの宣伝が印象的ですが、作品を広めるためにどんな工夫をされているのでしょうか?
「作品の本質がちゃんとわかるよう、ストレートに伝えることですね。伝え方を工夫するというよりも、内容をそのまま伝えるだけで強く惹(ひ)かれるような作品を選ぶことを最も重視しています。
工夫があるとすれば、日本人向けに予告編は作り替えています。ドキュメンタリーって、その国の文化や常識がわかっていないと、理解できないところがけっこうあったりするんです。
それが予告編で前面に出ていたりすると、なんのことだかわかりません。人間として深く共感できたり、『日本人でもここは面白そうだね』って思うところをうまく拾って予告編を作ることで、見え方が全然変わってきます。
例えば、『秘境をぶっ飛ばせ!』は秘境を走る運送屋たちのドキュメンタリーなのですが、予告編ではバスが山道でカーチェイスするシーンを切り取りました。『こんなことありえない』って見る人に思ってもらいたかったんです。
日本のバスは安全運転をしていますが、インドでは山道の中で速度を出して抜き合ったりするのが当たり前。日本の常識では考えられないから、衝撃を受けますよね。
その文化的なギャップ、日本人が見てこその気づきをピックアップすることで、作品に対しての興味はぐんと高まりますし、作品自体もより面白く見られると思うのです」
■ドキュメンタリーの配信から制作へ
――今年で設立5周年、おめでとうございます。今後の展望を教えてください。
「今は第1段階で、ドキュメンタリーの面白さに気づいてくれたお客さんからお金をいただいて、配信サービスを提供しています。今後は第2段階として、いただいたお金でドキュメンタリー映画を作っていきたいと考えています。
これは設立当初からの構想です。有料配信でお金を集めることで、自由度を持ってドキュメンタリーを作ることができると考えています。例えば、広告費用やスポンサーを募ると、その企業に対してネガティブなことは何もできなくなりますし、テレビ局だと視聴率を取ることも目指さないといけません。
そして、作品が成功したとしても、結局は出資者が儲かるだけで、現場は儲からない。だからこそ、視聴者からのいわば『信任』を得て、自由に製作できる仕組みが必要なんです。
われわれはアジアのドキュメンタリーのプラットフォームなので、アジアの中での相互理解や問題解決を意識しつつ、アジアだけでなく誰もが世界にまなざしを向けられるような作品を発信していきたいですね。
それでも、今は具体的に何かをテーマにして製作する段階ではありません。ドキュメンタリーの製作者を支援するのが、われわれの役割です。あくまでドキュメンタリーを作りたい人の"発掘"をしていきたいと考えています」
【伴野代表が厳選! 週プレ読者へのオススメ作品10本!
すべて「アジアンドキュメンタリーズ」で配信中!】
■『サラリーマン』日本(2021年)
自らを「奴隷」「社畜」と卑下しながらも、常に会社という集団のルールを優先する"サラリーマン"。写真家でもあるコスタリカ人の監督が、日本独特の社会制度と倫理観から生まれた企業戦士たちの苦悩や悲哀に迫った!
■『ニュートピア (ノーカット完全版)』インドネシア(2020年)
インドネシアのムンタワイ諸島。密林に暮らす先住民がノルウェーの青年によって文明と出会った。貨幣という価値が入ることで、先住民たちが変わっていく。近代化は何をもたらすのか? 進歩? 悲劇? その真実を、私たちは目撃する
■『結婚しない、できない私』中国(2019年)
中国で27歳になっても結婚しない、できない女性を「剰女(シェンニュイ、余った女)」と呼ぶ。結婚は誰のためにするのか? 彼女たちと家族の深刻な悩みと本音を赤裸々につづる
■『アスワン―餌食にされた死者―』フィリピン(2019年)
殺戮(さつりく)の街と化したマニラ。怪物アスワンの餌食にされた人間が毎夜路上に冷たく横たわる――。ドゥテルテ大統領は、麻薬患者や売人をその場で射殺する権利を警察に与え、超法規的殺人の急増で路上には死体があふれた
■『馬ならし、タイガを駆ける』モンゴル(2019年)
モンゴル・ダルハト渓谷で"馬ならし"を生業とする男、シュフルトの日々。荒れ馬を飼いならすのが馬ならしの仕事。そんな彼の馬が何者かに盗まれた。愛馬を取り返すため雪の平原で孤独な闘いが始まった―
■『秘境をぶっ飛ばせ!』インド(2018年)
"ヒマラヤの綱渡り師"の存在は、世界最高峰に腰を据える山村にとって唯一のライフライン。山奥の高速バス、ヒマラヤのトラック野郎、そして断崖タクシー!? 今日も標高3600mの集落を結ぶ"酷道"をドライバーたちが疾走する!
■『デジタル人民共和国』中国(2018年)
中国最大のライブストリーミングメディアで大金を稼ぐ"オンラインセレブ"たち。年一度の大会で最優秀ホストは数百万ドルを得る。人々は熱狂する。勝者の歓喜の先に、敗者の絶望の淵に、いったい 何が見えるのか...!?
■『爆弾処理兵 極限の記録 (ノーカット完全版)』イラク (2017年)
イラク北部。鋭い嗅覚を頼りにナイフとペンチだけを手に武装勢力が仕掛けた地雷や爆弾を年間600個以上処理した伝説の男。彼の仕事を撮影した50時間のビデオから、使命感に人生をささげた彼の一生をひもとく
■『街角の盗電師』インド(2013年)
インドのカーンプルでは人口280万人が電気を求めているはずなのに契約者は50万人。しかも滞納だらけ。実は勝手に電気を使う違法配線が横行しているのだ!「世のため人のため」仕事をする"盗電師"と電力会社との攻防を描く
■『鉄の男たち チッタゴン船の墓場』バングラデシュ(2009年)
世界中から引退した船が集まる船の墓場、チッタゴン。ここで働く約2万人が巨大な廃船を手作業で解体する。大型船を座礁させ、重機もろくに使わず人海戦術。過酷すぎる労働ながら、家族を養う唯一の稼ぎを生む船は神からの贈り物だ
●伴野 智(ばんの・さとる)
1973年2月20日生まれ、大阪府出身。株式会社アジアンドキュメンタリーズ代表取締役社長兼編集責任者。大学在学中より映画制作を始め、卒業後はケーブルテレビ局、映像制作会社に勤務した。2018年8月に映画配信サービス「アジアンドキュメンタリーズ」を立ち上げて以来、ドキュメンタリー映画のキュレーターとして、独自の視点でアジアの社会問題に鋭く斬り込む作品を日本に配信