感情とは「こころ」にあるものなのか、「からだ」に属するものなのか? そもそも感情とは何か? そしてAIの時代に感情はどう変わっていくのか?
そんな疑問を解き明かすのが『感情の民俗学 泣くことと笑うことの正体を求めて』(イースト・プレス)だ。著者の畑中章宏氏に話を聞いた。
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――なぜ感情に興味を持ったのですか?
畑中 私は最新流行の風俗について考える一方で、2011年の東日本大震災以降、「災害の民俗学」に取り組んできました。災害に遭った人は喜怒哀楽だけでは説明しきれない、複雑な感情を抱えています。
深い悲しみはもちろん、自分が助かった後ろめたさ、安堵(あんど)感、同情など、いろいろな思いを持った人たちがひとつの共同体の中で暮らしていかないといけないんですね。感情の集積体としての集落や共同体について考えるうちに、人間の感情に関心を持たざるをえなくなったんです。
――民俗学では、どのように感情にアプローチするのですか?
畑中 私は、共同体の感情を継承していくために、「災害伝承」というものが生み出されたのではないかと考えています。例えば、津波が何mの高さまで来て、何軒の民家が流されたという記録は、昔も今も文字で残すことができます。しかし、複雑な感情の集積体としての災害は、文字記録では残すことができません。
そこで、怪異現象とか妖怪に置き換えて伝承するということが全国津々浦々で起きています。複雑な感情は、怪異現象や妖怪の出現によって記憶するしかないんですね。そういうところに着目するのが、歴史学や社会学にはない、民俗学ならではのアプローチだと思います。
――民俗学では今までも感情が研究されてきたのでしょうか?
畑中 感情はその時々の心とか体の反応ではなくて、「感情というもの自体に歴史がある」ということが、ここ数年、歴史学で盛んに語られるようになりました。
しかし、柳田(やなぎた)國男が始めた日本の民俗学では、感情は昔から重要な研究領域でした。柳田がいかに感情というものに取り組んできたかを改めて強調したいという思いもあって、この本を書くことにしたんです。
――執筆で苦労したことはありますか?
畑中 幅広い読者の方に読んでもらいたくて、です・ます調で、僕の思考の軌跡をわかりやすく書いていきました。感情の正体に近づこうとしたんですが、やってみると意外に難しくて、本の中では言い訳もしています。最後は「投げっぱなしジャーマン」になりました。
――投げっぱなしジャーマンといいますと?
畑中 ジャーマン・スープレックスというプロレス技のバリエーションのひとつで、相手を背後から抱え上げて後ろに放り投げるんです。柳田はこれを著作で行ないます。柳田の著作では、ひとつのテーマについて、考えるきっかけになる素材が次々に提供されます。
それによって思考が連鎖するので、読んでいて非常に面白いんですね。しかし、最終的な結論はなくて、「これだけ面白い素材を提供したので、あとは皆さん自分で考えてください」と投げっぱなしにされる。
せっかく読んできたんだから、柳田の結論が知りたいと思うんだけど、そこは読者に委ねるというやり口です。
――その技をご自分も使ってみようと?
畑中 はい。わざと投げっぱなしにする手法は、民俗学だから許されるみたいなところがあるんです。私はそんなにうまくは使えませんが、この本では感情を民俗学的に考え、論じることができる、ということは伝えられたと思います。
――この本にもたびたび登場する柳田國男は、畑中さんにとってどんな存在ですか?
畑中 柳田は習慣、行事、信仰など、かなり広範な事象を民俗学の対象領域として扱いました。その後の民俗学の研究対象はアカデミズムの中でどんどん細分化されていきましたが、柳田の研究からは、まだまだ汲(く)み取れるものがいっぱいあります。
没後60年以上になるのに、現代の問題のヒントになることをやっていたんですね。その最大のもののひとつが感情です。
――柳田以降、感情があまり研究されてこなかったのは、取り上げ方が難しいからですか?
畑中 そうでしょうね。例えば、今の若い人が映画『君たちはどう生きるか』を見ると、悲しみとか懐かしさとか、いろいろな感情が湧いてくると思います。
それは昔の人が感じていた感情と同じものなのか、違うのか。そこには何か昔から継承してきたものがあるのではないか。新しいテクノロジーに関心を持ったり、ワクワクしたりする感情は、個人の中だけのものではなく、もっと歴史をさかのぼれるのではないか。こういったことは民俗学が研究するべきテーマだと思います。
――SNSの発達で感情の表れ方も変わってきたそうですね。
畑中 SNSではリベラルな人は常に何かに怒っていて、右寄りの人や無関心層は常に冷笑している傾向があります。どちらも本当の感情ではなく、怒りしぐさ、冷笑しぐさだと思うんですね。ひとつの出来事に対して、自分の立場としては怒らざるをえない人と、とにかく冷笑しておこうとする人がいる。
アイコンとハンドルネームが怒ったり冷笑したりしているだけで、感情は揺さぶられていないんです。ここに両者が対話する回路はありません。同じ土俵に上がって話をするには、ちゃんと感情を持つ必要があります。この意味でも、感情を持つというのはすごく重要なことなんですよ。
――VTuberや文楽の人形のように、リアルではない、ぎこちないもののほうが感情を喚起するという話も刺激的です。
畑中 僕は文楽が好きなんですけど、文楽の人形が泣くと、人間が泣いたときよりも悲しくなることがあるんです。
文楽が大衆芸能として発展したのは、人間が起こした心中事件のようなものを人形に演じさせることによって、複雑な気持ちや愛憎がより強く伝わってきたからだと思います。同じようにVTuberも人の心に訴えかけることがあるんですね。
今後はAIやロボットと付き合っていくことになるわけですが、ロボットが感情をあらわにしたとき、人間の感情が揺さぶられるのかどうか。ロボットによって人間が感情を再発見する事態が起こるかもしれません。
●畑中章宏(はたなか・あきひろ)
1962年生まれ、大阪府出身。作家、民俗学者。『柳田国男と今和次郎』『「日本残酷物語」を読む』(共に平凡社新書)、『災害と妖怪』『津波と観音』(共に亜紀書房)、『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか』『蚕』(共に晶文社)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『天災と日本人』『廃仏毀釈』(共にちくま新書)、『五輪と万博』『医療民俗学序説』(共に春秋社)、『宮本常一』(講談社現代新書)、『関東大震災』(幻冬舎新書)など著書多数
■『感情の民俗学 泣くことと笑うことの正体を求めて』
イースト・プレス 2200円(税込)
自然と私たちの内側からこみあげてくるように感じられる「感情」。「感情に左右されている」「感情にもてあそばれている」「感情をコントロールすることが難しい」など、感情に悩まされることもしばしば。しかし、喜怒哀楽は、時代や慣習によって変わるものだということがわかってきているという。柳田國男を筆頭に、感情というつかみどころのないものを扱ってきた民俗学の実践をひもとき、感情の正体に迫る