10月31日、埼玉県戸田市の総合病院で発砲して医師と患者に怪我を負わせたのち、蕨市の郵便局に立て籠もって逮捕された86歳の鈴木常雄容疑者は、警察の取り調べにそう供述した。さらに鈴木容疑者は、病院での発砲の直前に自宅に放火しており、退路を断ったうえでの凶行は、自爆テロをも彷彿とさせた。
「鈴木容疑者は拳銃のほかに刃物、そして可燃性と見られる液体の入った容器計4つ、そしてライターも複数所持しており、病院や郵便局にも火をつけるつもりだった可能性もある」(大手紙記者)
あわや大惨事という事件が、誰の命を奪うこともなく解決したことには胸を撫で下ろさざるを得ない。しかし気になるのは、平均寿命をゆうに超えた老人が、なぜ拳銃を持っていたのかという点だ。
「入手先については明らかになってないが、鈴木容疑者は『長年拳銃を持っていた』と供述している。また、警察の調べでは、彼が指定暴力団の元組員だったことも明らかになっている。現役時代に所持していた拳銃と弾薬を、組を抜けた後もずっと隠し持っていたことも考えられる」(同)
■暴走老人化する条件は揃っている
一方、「暴走老人が、たまたま拳銃を持っていただけの話。同様の事件は今後も起きる」と予見するのは、約20年前に指定暴力団2次団体を離脱した、元ヤクザの70代男性、N氏だ。確かに容疑者は有名な暴走老人だったそうだが、さすがにかなり一足飛びの主張に聞こえるのだが‥‥。N氏が続ける。
「日本には、数万人の元ヤクザがいますが、現役時代の拳銃を持ち続けている人は少なくない。ヤクザの拳銃は基本的に自己管理が原則ですが、組抜けする際もその処分は自己責任で、海に捨てたり他の組員に譲ったり売ったりすることもありますが、『また裏社会に戻ってくるかもしれない』との思いもあって自分で持ち続ける者も一定数はいる。そして元ヤクザの高齢化も急激に進んでいる。さらにその多くは社会からの隔絶や貧困といった状況を抱えており、暴走老人になる条件は揃っています」
全国の地方自治体で、暴排条例の施行が相次いだ2000年代以降、裏社会は「組員激減時代」に突入した。警察庁が公表している統計によれば、2003年に44400人いた暴力団構成員は、その後2022年に11000人にまで減少している。新規に構成員となった者や死亡者などによる誤差を無視すると、この20年で少なくとも3万人程度の離脱者が発生したことになる。
■組抜けしても社会復帰は困難
そんな、大離脱時代の元ヤクザの境遇について、前出のN氏が解説する。
「1980年代くらいまでであれば、3次団体の幹部クラスでも、幹部クラスは相応の資産を築いたのちに組抜けする者が多かった。しかも、引退してからもある程度のシノギには関わりつづけ、収入を得ることもできた。
ところが1990年代入ると、バブル崩壊や暴力団対策法の施行もあり、組抜けの1番の動機は『ヤクザでは食えないから』になっていた。私が辞めた理由もそうですが、50歳前後になって先が見えてくると、普通の人に戻りたくなるし、体力も気力も衰えてくると組にも居場所がなくなる。
しかし、2000年代に全国で暴排条例の施行が相次ぐと、民間企業では『元暴5年条項』を設けられ、就職はおろか借家やスマホの契約も難しくなり、元ヤクザの社会復帰へのハードルは格段に高くなった。鈴木容疑者のように生活保護で食い繋いでいるものも少なくない」(N氏)
振り返れば過去にも、高齢元ヤクザによる捨て鉢的な拳銃事件は起きている。2016年5月には東京都江戸川区のアパートで、元暴力団組員の73歳の男が、生活音トラブルの果てに上階の住民を射殺。その後、自身の頭部を撃って自殺する事件が発生。また、2019年には、松山市にある愛媛県庁本館の玄関前で、70代の元暴力団組員が拳銃自殺を図っている。
日本中に点在すると見られる不発弾の暴発を防ぐためには、拳銃の不法所持の撲滅もさることながら、暴力団離脱者の社会的孤立を防ぐ取り組みも必要なのではないだろうか。