川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
中国・武漢での最初の感染から約4年が経過し、10月の訪日外国人観光客はコロナ禍前を超え、仕事もプライベートも以前の生活に戻りつつある。でも、これって5類移行によって報道が減り、僕らが気づいてないふりをしているだけで、実は医療の現場はヤバかったりする?
というか、この夏の第9波は来ていたの?この「コロナが終わったような感じ」は本当に信じていいんですか......?
2019年末、中国の武漢からコロナ禍が始まってから約4年。繰り返されるパンデミックの波を乗り越え、今年の5月8日に、新型コロナの感染症法上の分類は季節性インフルエンザなどと同じ5類へと移行した。
それに伴い、それまでの感染対策が大きく緩和されたわけだが、その後も流行の再拡大による医療崩壊のような問題が起きたという話はあまり耳にしないし、街中でマスクを外している人も増えた。「日本にもようやく日常が戻った」と実感している人も多いだろう。
しかし、政府が5類移行を決めたときには、多くの専門家たちが「『第9波』は必ず来る」「ウイルスの変異は続いており今後も油断は禁物」などと警戒を呼びかけていたはずで、業界屈指の"まともなコロナ記事"を手がけてきたと自負する『週刊プレイボーイ』でもたびたびそのように訴えてきた。
今のこの「コロナが終わった感じ」はなんなのか? 専門家の皆さんに直撃した!
そもそも5類移行後、第9波って来たんでしたっけ?
「結論から言うと、第9波は来ました。おそらく今年8月がピークで、その後は急激に収まりつつあります」
そう語るのは、感染症のスペシャリストで神戸大学医学部教授の岩田健太郎氏だ。
「5類移行後、新規感染者の全数把握が行なわれなくなったため、第9波の感染者数は全国で指定された医療機関での『定点把握』による患者数などから推計するしかありませんが、第9波のピーク時には、過去最大だった第8波ほどではないものの、大規模な感染拡大が起きていたと考えていいでしょう(冒頭図)。
ただし、第9波とこれまでとの大きな違いは『それほど多くの感染者が出ていても、重症者や死亡者数が比較的少なく抑えられ、医療逼迫(ひっぱく)などの深刻な問題を起こさなかった』という点です。
もちろん、感染者数が増えた時期には、それなりに大変だった医療機関もあったと思いますが、以前のようにコロナ病床が満杯になったり、重症者や死亡者が絶えず出続けたりといったことは、私の関与している兵庫県のいくつかの病院でもありませんでした。
もともと、新型コロナは高齢者や基礎疾患のある人など『一部の人の重症化や死亡のリスクが高い』という特徴を持った感染症ですが、これまでは感染者数という"分母"が急増すると、その一部である高齢者や持病のある方の重症者数や死亡者数が増えてしまうという関係がありました。
8月の第9波では、『感染の急拡大』と『重症者、死亡者の急増』をある程度、切り離すことができた。これは非常に重要なポイントで、こうしたデカップリング(切り離し)は、2020年や21年のワクチンが普及していなかった時期には見られなかったものでした」
ではなぜ、今回の第9波では、そのデカップリングが実現したのか?
まず、考えられる要因は社会の中に、なんらかの形で新型コロナに対する免疫を持つ人が増えたことだ。
免疫学者で大阪大学名誉教授の宮坂昌之氏が分析する。
「重症化する人が減った背景には、ワクチンの接種や実際の感染を通して、またその両方を経験した人たちが増えたことで、コロナの重症化を防ぐ免疫を持つ人が増えたことがあると思います。
ただし、ここで誤解してはいけないのは、新型コロナにはいわゆる集団免疫が期待できないという点です。
免疫には大きく分けて感染を防ぐ『感染防御』と、仮に感染しても重症化を防ぐ『重症化予防』という、ふたつの大切な役割があります。いずれもワクチン接種や感染によって刺激されますが、新型コロナの免疫の場合、前者の『感染防御』については、数ヵ月程度しか長続きしません。
しかも、新型コロナでは、中和抗体の免疫をすり抜ける力を強めた変異株が次々と登場しているため集団免疫は期待できず、むしろ感染を防ぐこと自体は難しくなってきている。一方で、T細胞などの働きによる『重症化予防』の免疫に関しては、少なくとも1年程度と、ある程度長続きすることがわかっています。
そのため、ワクチン接種や感染によって日本社会の中にコロナの重症化を防ぐ免疫を持つ人が増え、第9波では感染者数が増えても、重症者や死亡者数がある程度は抑えられたのではないでしょうか」
加えて、前出の岩田氏によれば、コロナ治療薬のひとつ、ファイザーの「パキロビッドパック」が一部の患者の重症化予防に効果を発揮したことも要因のひとつだという。
では、もうひとつの可能性であるウイルスの弱毒化は? 変異を続ける新型コロナウイルスが弱毒化していれば、重症化や死亡者数が抑えられたことの説明がつくし、今後の展望にも期待が持てるが......。
新型コロナの変異を追い続けているウイルス学者で研究コンソーシアム「G2P-JAPAN」を主宰する東大医科学研究所教授の佐藤佳氏は「今のところ、ウイルスの劇的な弱毒化を示すデータはない」と否定する。
「昨年末の第8波で流行の主流だった、当時のオミクロン系変異株と、第9波の主流だったXBB系の変異株を比較したわれわれG2P-JAPANの実験では、両者の病原性に顕著な違いはありませんでした。
現在はそのXBB系から進化したEG5(エリス)が流行の主流になっていますが、少なくとも第9波に関していえば、ウイルスの変異による弱毒化が重症化や死亡者数を抑えられた要因ではないように思われます。
ちなみに、変異数の多さで注目された新変異株、BA2・86に関しては、われわれの最新研究で、病原性が少し下がっている可能性が示されています。今後、EG5に代わって、BA2・86系統が主流になる可能性があります。ただ、この先、新たな変異で病原性にどのような変化が出るかは未知数で、引き続き監視と注意が必要です」
コロナ禍が始まってから約4年、ついに、感染が拡大しても社会を普通に回せる段階を迎えたかに見える今の日本だが、これでコロナ禍は終わったと考えてもいいのだろうか?
例えば、ワクチン。ウイルスの変異で「感染を防ぐ効果」は落ちているらしいし、重症化予防効果はある程度長持ちするなら、もうワクチンは打たなくてもいいのでは?
「ワクチンの重症化予防効果が長続きするといっても、やはり少しずつは落ちます。また、新たな変異株に対応したワクチンを追加接種した人のほうが、明らかに重症化リスクが下がるというエビデンスもありますから、特に高齢者や持病がある人など、重症化リスクの高い人は、定期的な追加接種で免疫をアップデートしたほうがいいでしょう。
また、コロナ後遺症が残るリスクを下げるという意味でもワクチンの追加接種は有効です」(前出・宮坂氏)
では、マスクについてはどうか? 前出の岩田氏は「マスクを着けること、着けないことに"過剰な意味"を与えず、雨の日の傘と同じように気軽に考えてほしい」と語る。
「今は第9波もかなり収まってきていますが、世の中からウイルスがいなくなったわけではありません。そのうちまた第10波や第11波はやって来るでしょう。
雨が強いときに傘を差すのと同じように、また次の波が来て感染リスクが高くなったとき、マスクを着けるというのは、最も手軽で安価で効果的な感染対策のひとつですし、それはコロナであろうとインフルエンザであろうと同じです。
一方で、雨がやんだり小雨になったりすれば、傘を畳むのと同じように、感染のリスクが下がってきたらマスクを外せばいいだけのこと。もちろん、小雨では傘を差さない人がいるように、リスクをどう考えるかは最終的に個人の判断で、誰も雨の日に傘を差すか否かについて本気で言い争ったりしないですよね。
いずれにせよ、この先、ウイルスが病原性や感染性を劇的に強める形で変異しない限り、そうした小さな努力だけで、また感染拡大が起きても、社会が日常を維持できる段階にまで私たちはたどり着いた。
今から約100年前に世界的なパンデミックを引き起こしたスペイン風邪を乗り越えたように、人類は約4年にわたった新型コロナウイルスのパンデミックを乗り越えつつあると言ってもいいと思います」
なんだか明るい2024年が少し見えてきたかも!
●岩田健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学医学部付属病院感染症内科教授。1971年生まれ。2001年の炭疽菌テロの際はニューヨークで、03年のSARS(重症急性呼吸器症候群)感染拡大時は北京で診療に当たり、14年にはアフリカ・シエラレオネでエボラ出血熱対策に携わった感染症のスペシャリスト。著書に『僕が「PCR」原理主義に反対する理由』など
●宮坂昌之(みやさか・まさゆき)
大阪大学名誉教授。1947年生まれ、長野県出身。京都大学医学部卒業、オーストラリア国立大学大学院博士課程修了。スイス・バーゼル免疫学研究所などを経て、大阪大学大学院医学系研究科教授などを歴任。著者に『免疫力を強くする』『新型コロナ 7つの謎』などがある
●佐藤 佳(さとう・けい)
東京大学医科学研究所感染・免疫部門システムウイルス学分野 教授。1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科医学専攻博士後期課程修了(短期)。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、22年に同教授。研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、世界からも注目を集める
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。