今年(2023年)6月、『元ヤクザ、司法書士への道』(集英社インターナショナル)を出版、たちまち重版となった甲村柳市(こうむら・りゅういち)氏が、このたび念願の東京事務所(司法書士法人東亜国際合同法務事務所)を開設した。
甲村氏は広島刑務所にいた時期に、司法書士になると一念発起し、「塀の中」で受験勉強を始めて、出所後もほぼ独学を続け、ついに初志貫徹したという驚くべき経歴の持ち主である。しかし、この事務所を借りるにあたって今なお、元「反社」の人間に対する冷たい風をひしひしと感じたという。
ちなみに、甲村氏はヤクザ(山口組系下部団体)から足を洗って18年を経過し、国家試験で「司法書士」資格を取っており(後述)、今ではいわゆる反社勢力とはまったく縁がないことを最初に記しておきたい。
■東京事務所開設でぶち当たった「社会の壁」
──このたび(11月)は念願の東京・新橋に事務所を開設、おめでとうございます。スタッフも10人以上と大きな陣容で驚きました。
甲村 これからは少子高齢化で、日本社会は急速に変化していきます。その中で土地取引や相続といった相談にあずかる司法書士の仕事は増えていくと思っているんです。これまでは地元の岡山でやってきましたが、コロナもようやく第5類になったので念願の東京進出を果たせました。東京では司法書士のニーズがますます高まっていくでしょうから。
──その土地取引の専門家である甲村さんでさえ、事務所や住居の契約をするのには苦労したとか。
甲村 不動産屋さんや保証会社などは私がカタギの仕事をしているのを理解してくれるから、たいへんに協力的で、いろんな物件を見て回ったんですよ。しかし、「いざ、契約」という段になると急に大家さんから「この話はなかったことに......」と来るんですよ。
──それはどこかから横やりが入るんですか?
甲村 いや、どうも、契約をする直前になって私の名前をネットで検索してるみたいなんですよ。すると「元ヤクザの司法書士」という記事や、今回出版した本に関する記事が冒頭に出てくるもんだから躊躇するんでしょうね。
──でも、ネットの記事はみんな「暴力団を抜けて、難関の国家試験も通った人」という取り上げ方ですよね。不動産を貸したからといって、そこが組事務所になるわけでもない。
甲村 そもそも私のいた義竜会も2005年に解散していますから、存在すらしない。組事務所になりようもない。
■「元ヤクザ」という法的定義すらない
──それでもいったんヤクザという属性がつくと一生消せない。それって人権問題ですよね。
甲村 まあ、私の場合は不動産屋さんなどが尽力してくれましたからなんとかなりました。でも、それは実際に司法書士事務所をやってきたという実績もあるからです。しかし、その私でもこんなに苦労するというのだから、あらためて「元ヤクザ」に対する風当たりの強さを感じました。
──そもそも「元ヤクザ」という線引きがいい加減というか、定義がないんだそうですね。
甲村 1991年にできた暴対法は組織暴力を追放するためにできたものです。本来はヤクザ組織を壊滅することにあったはずなのに、そこから脱退した構成員に対する配慮がまったくありません。いわゆる「偽装脱退」を警戒しているからでしょうが、警察にわざわざ脱退届を出したとしても、簡単にはカタギには戻れない。
なぜなら銀行口座を作ることもできないし、携帯電話を持つこともできない。アパートだって借りられません。ことに銀行口座がないと、今どきの企業はバイトでさえ給与は振り込みですからね、「実は自分名義の口座がないんです」と正直に言ったら、それで前はヤクザだったとわかってクビになるという話はめずらしくない。
■「反社リスト」は実在するか
──それじゃ、完全に「詰み」ですよね。
甲村 で、その銀行に行って「なんで私の口座を作ってくれないんですか。その根拠はどこにあるんですか」と聞いても、「企業秘密ですから」と教えてくれない。
──そういうときに「きっと私が元ヤクザだからでしょうね。では何年待てば口座を作れるんですか」と聞いたらどういう返事が返ってくるんでしょうね。
甲村 そもそも「何年」という明確なルールがないんだから返事しようがないでしょうね。銀行にしても、「警察からもしもおとがめが来たら困る」と先回りをして拒絶しているんです。とにかく経歴に少しでも傷がある人とは付き合いたくないというのが本音でしょう。
──銀行で埒があかないなんだったら、警察に行って「私はまだ『反社リスト』に載っていますか?」と聞いたらどうですかね。
甲村 さあ、はたしてそんなリストを警察が作っているかどうか。たしかに警察は前科者についてはデータを持っていますよ。でも前科もない構成員のリストまで作れるものでしょうか。
──そこで質問が出てきました。そもそも「前科」ってな何なんですか?
甲村 前科というのは、刑事裁判で有罪が確定していることを指します。前科というのは記録という意味ですから、記録そのものは検察庁のデータベースから消えることはありません。
──だったら、前科者はヤクザに限らず、全員が銀行口座が作れないということになりそうですが。
甲村 前科者でも普通は口座が作れます。しかし、ことヤクザに限って言えば、それはダメなんです。
■前科の効力は消えても、「元ヤクザ」を忌避する社会
──しかも前科は消えないとおっしゃいましたよね。そうすると一生、口座が持てないことになりそうです。それじゃあ、絶対、更生なんか無理。むしろ「更生なんかさせてたまるか」というふうにも聞こえます。
甲村 いちおう、法律上の話でいえば、前科は消えませんが、「前科の効力」は消えるんですよ。
──前科の効力っていうのは変な言葉ですね。
甲村 たしかに効力っていうのはポジティブな単語ですから違和感があるでしょう。この場合の「前科の効力」っていうのは、前科があることによってペナルティを受けることという意味です(刑法第34条の2項)。
──なるほど、前科は帳消しにはならないけど、前科が関係なくなる時期が来るっていうことか。
甲村 前科の効力はケースバイケースで、たとえば弁護士だと一定以上の前歴(禁錮以上の確定判決)があると、もう絶対に弁護士になれません。私も実は最初、弁護士になろうかと思ったんですが、懲役刑を受けていましたから諦めざるをえませんでした。
──というと、司法書士の場合は一定の年月が経つと前科の効力が消える?
甲村 ざっくり言うと、禁錮や懲役刑を勤め上げて3年以上、何もなく過ごせば資格が取れるようになるんです。司法書士の資格試験は狭き門だから、服役してもすぐに合格はしない。3年はかかるだろうから大丈夫だと思って勉強を始めたんですよ。
──それも広島刑務所の中から受験勉強を始めたんですから凄いです。で、話を戻せば、前科持ちも3年待てば司法書士も取れるというのに、元ヤクザという烙印は消えない。
甲村 暴対法を読んでも、また、それに基づいて各都道府県が暴排条例を作っていますが、そこのどこにも「足を洗って何年経ったら、カタギとして認める」なんて書いていませんよ。
■なぜ日本中の刑務所は中高年で満杯なのか
──それでいて、いつまでも銀行の口座も携帯も持てないというんだったら、21世紀のこの世の中、生きていくのは無理ゲーですよ。元ヤクザに「飢えて死ね」と言っているようなものでしょう。
甲村 思いあまって生活保護を申請したら、それも拒否されたという話も聞きます。あなた(インタビュワー)がそういう目に遭ったらどうしますか?
──うーん、もうそれだったら「微罪でもいいから犯罪をやって刑務所で暮らしたほうがいい」と思ってしまうかもしれませんね。
甲村 これはヤクザに限ったことではないけれども、今、日本の刑務所はそういう社会の「セーフティネット」から排除された中高年で満杯ですよ。ことに高齢者は悲惨ですね。70歳、80歳になってコンビニ強盗をしているというニュースが最近、よくありますよね。あれはまさにそういう事情なんです。
──なんだか、日本は終わったなと感じますね。
甲村 そう簡単に日本が終わっても困りますよ。いいところもたくさんある国なんだから。でも、本当に元ヤクザに対する扱いはヒドすぎます。まだ具体的な計画はこれからですが、更正に向けて強い意思で歩み始める元ヤクザや刑務所出所者を支援する仕組みを作れないかと考えています。昔は「自助努力」という言葉が好きでしたが、今は自助努力ではどうにもならない。お互いに助け合っていかないといけない。今回、自分の事務所創設でますます感じました。ぜひ知恵を貸してほしいと思っているところです。
●甲村柳市(こうむら・りゅういち)
1972年、岡山県生まれ。高校中退。18歳で人材派遣会社を設立し、地元企業に不良仲間を送り込む仕事をしていたが、景気の悪化で会社を畳む。スナックで知り合ったヤクザから誘われ、山口組系暴力団「義竜会」の竹垣悟会長の盃を受ける。以後、会長の側近として働くが、「義竜会」解散にともなって、本人もヤクザから足を洗う。2010年、広島刑務所に収監中、司法書士となることを決意。135日間、独居房の壁に貼った民法をにらんで暗記する。仮出所後、自宅で司法書士試験のために独学を始める。2018年、司法書士試験を突破。現在、岡山市内で「東亜国際合同法務事務所」を開所。尊敬する人物は矢沢永吉氏。
■『元ヤクザ、司法書士への道』
集英社インターナショナル
本体1600円+税