石川県内だけで、少なくとも1800棟以上が全壊・半壊・一部損壊した(1月10日時点)。写真は地震翌日 石川県内だけで、少なくとも1800棟以上が全壊・半壊・一部損壊した(1月10日時点)。写真は地震翌日

2024年1月1日の夕方、日本海側を襲った大地震はかつての福島第一原発事故の記憶も呼び起こしたが、能登半島にある志賀原子力発電所は大丈夫だったのか。ちょうど昨年3月、「敷地内に活断層はない」と判断され、再稼働に向かっていたが、もし先に動いていたら......?

* * *

■安全上問題なしでも被害は出ている

東日本大震災に匹敵する最大震度を記録し、石川県を中心に広い範囲で深刻な被害をもたらした能登半島地震。

今なお頻繁に余震が続き、被害の全貌すら見えない中で気になるのが、今回の震源に近く、震度7の揺れが観測された石川県の志賀町に立地する志賀原子力発電所の状況だ。

幸い、1号機、2号機とも運転停止中で、再稼働に向けた原子力規制委員会による審査が進んでいる最中だった。

そんな志賀原発を保有する北陸電力は、地震発生時から一貫して「外部電源や必要な監視設備、冷却設備等については機能を確保しており、安全上問題となる被害は確認されておりません」という説明を続けてきた。

実際、原発周辺の自治体が設置したモニタリングポスト(空間の放射線量率を常時リアルタイムで測定する監視装置)でも、これまで異常を示す数値は示されていないことから、放射能漏れなどの深刻な事故が起きていないというのは事実だろう。

しかし、今回の地震で志賀原発がまったくの無傷だったかといえば、そうではない。

「むしろ、今回の地震で志賀原発の安全性に関する多くの懸念があらわになったのではないかと思います」

そう指摘するのは、原発問題に詳しいジャーナリストの青木美希氏だ。

「志賀原発では今回の地震で、外部電源を受けるために必要な主変圧器が故障し、2万リットルもの油が流出。その影響で、複数系統ある外部電源の1系統が使用できない状態になっています(1月10日時点)。

また、使用済み燃料プールでは、1号機、2号機共に、地震の揺れで冷却水が建屋内にあふれ出て、2号機では、プール内に異物が落下する事故も発生。原発の敷地内で複数の地割れや段差ができているほか、津波対策のために造られた高さ4mの防波堤においても基礎の沈降や傾きが確認されています。

いずれも、北陸電力は『現時点で安全上の大きな問題はない』としていますが、現状、変圧器故障の原因はわかっておらず、相次ぐ余震で残る系統が壊れる可能性も否定できません。

2007年に発生した中越沖地震では、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所で今回のように変圧器から大量の油が漏れ、火災が発生するという事故も起きています。

いずれにせよ、今回の地震で志賀原発の設備に大きな被害が出ていることは否定できません。幸い、今回は運転停止中でしたが、すでに志賀原発が再稼働していたら......。原発の緊急停止や、その後の冷却等で、より難しい対応を迫られていたでしょう」

志賀原発内部では、外部から電源を受けるのに必要な主変圧器の配管が破損。また、絶縁用の油が漏れ出し、変圧器が故障。漏れた油の量は1、2号機で合計約2万3400リットルに上った 志賀原発内部では、外部から電源を受けるのに必要な主変圧器の配管が破損。また、絶縁用の油が漏れ出し、変圧器が故障。漏れた油の量は1、2号機で合計約2万3400リットルに上った

もうひとつ、気になるのが原発周辺のモニタリングポストの故障だ。実は、志賀原発周辺に設置された116ヵ所のモニタリングポストのうち、18ヵ所が故障し、データが取得できなくなったという。

1月10日に行なわれた原子力規制委員会の記者会見で、この点について質問された同会の山中伸介委員長は「原発周辺15㎞圏内のモニタリングポストは正常に機能しており、故障した地域についても、可搬型(持ち運び型)の計測器やドローンなどが使用できるので、特に大きな問題ではないと考えている」との見解を示した。

しかし、故障したモニタリングポストの多くは地震の被害が大きかった地域に設置されていたもので、仮に深刻な放射能漏れが起きた場合に、そうした地域の放射線量を把握できないのは問題だろう。

「2011年の東日本大震災の際には、被害の大きかった地域のモニタリングポストが使えなくなり、自治体の職員が放射線被曝リスクを覚悟して可搬型のモニタリング装置を設置したと聞いています。地震で障害が出やすい有線通信や携帯の通信網に加えて、衛星通信を利用するなどの対策が早急に必要です」(青木氏)

■再稼働に向けて動いていた最中

このように、さまざまな問題点が浮き彫りになった志賀原発だが、実はもっと深刻な問題がある。それは、ほかならぬ〝原発の立地〟に関する不安だ。

志賀原発の再稼働に向けた安全性の審査では、ここ数年、「原発の敷地内にある活断層の評価」が大きな論点になっていた。原子炉建屋やタービン建屋という重要な施設の下にある断層が「活断層」(将来活動する可能性のある断層)であれば、新たな原発の設置基準を満たせず、安全性審査を通過できないからだ。

「これについては、2016年4月の時点で『志賀原子力発電所敷地内破砕帯の調査に関する有識者会合』が『活断層にあたる』との結論を示したが、これに納得しない北陸電力との間で意見が対立。

昨年3月、原子力規制委員会が、自ら指名した有識者会合の結論を覆して『活断層等ではない』との判断を下したことで、原発の再稼働に向けた最大のハードルを越えたばかりでした」(青木氏)

今回の地震では、長さが数十㎞ある3つの断層が連動したことで、広範囲の強い揺れや津波の発生につながった可能性がある。昨年3月に、原子力規制委員会が「志賀原発の下にあるのは活断層等ではない」という判断を下したばかりだった(『原子力資料情報室』の資料を基に作成) 今回の地震では、長さが数十㎞ある3つの断層が連動したことで、広範囲の強い揺れや津波の発生につながった可能性がある。昨年3月に、原子力規制委員会が「志賀原発の下にあるのは活断層等ではない」という判断を下したばかりだった(『原子力資料情報室』の資料を基に作成)

2011年以降、1号機、2号機とも停止中の志賀原子力発電所。地震発生後、1~3mの津波が複数回到達していたことが判明したが、安全性への影響はないという 2011年以降、1号機、2号機とも停止中の志賀原子力発電所。地震発生後、1~3mの津波が複数回到達していたことが判明したが、安全性への影響はないという

だが、地図を見ればわかるように、そもそも能登半島は多くの活断層が存在する密集地帯。しかも、今回の能登半島地震を引き起こしたのは、能登半島の沿岸、全長約150㎞にも及ぶ〝未知の活断層〟であった可能性が高いといわれている。

未知の活断層は日本列島に3万ヵ所以上あると指摘する研究者もいる中、それらが引き起こす地震の可能性を完全に予見することなど不可能だ、というのが今回の地震が改めて示した教訓ではないだろうか。

また、北陸電力は昨年3月志賀原発を「最大1000ガル(1秒間の地震動の加速度を示す単位)の地震にも発電所設備が耐えられるように、耐震補強を実施する」との方針を示していたが、今回の志賀町の揺れの最大加速度は2826ガルと、実にその2.8倍以上だったというのも、東日本大震災の際に最大津波高を甘く見積もって、未曽有の原子力災害を生み出した、福島第一原発の〝想定外〟を思い起こさせる。

当初の発表では、志賀原発で観測した揺れの加速度は想定の基準内に収まっているとしていたが、その後、1、2号機の原子炉建屋の基礎部分で設計上の想定を上回ったことが明らかに。

原子力規制庁は「原子炉建屋などに異常はない」と説明しているが、それでも変圧器が故障し、大量の油漏れが発生したということになるわけで「想定すべき地震の規模」も「それに対する備え」も、十分だったとはいえないだろう。

■避難計画も破綻していた

「想定の甘さは、仮に原子力事故が起きた場合の避難計画にもあった」と青木氏は指摘する。

「今回の能登半島地震の震源に近い珠洲市や輪島市などを中心に多くの家屋が倒壊し、道路交通網が寸断されるなど、いまだに深刻な被害が続いていますが、もしこの状態で深刻な原子力災害が起きていたら、原子力規制委員会が定めた原子力災害対策指針で示された近隣住民の屋内退避は不可能です。各自治体が整備することになっている避難計画は間違いなく破綻します。

これは、志賀原発と同様に半島部分に位置し、住民の避難が困難だと指摘されている鹿児島県の薩摩川内原発についても同様で、原発事故の際の現実的な避難計画が策定できなければ、原発は再稼働しないというのが、本来、原子力規制委員会の考え方だったはずなんです」

これまでの北陸電力の発表や原子力規制委員会の会見を見る限り「志賀原発に深刻な安全性の問題は起きていない」という点ばかりを強調しているように感じられる。

だが、多くの人命が奪われ、各地に大きな被害をもたらした今回の能登半島地震で、深刻な原子力災害を免れたからといって、原発の安全性が保証されたわけではないはずだ。

「むしろその過程で明らかになった安全上の課題に真摯に向き合い、ほかの原発も含めた原子力規制委員会の安全性審査や、今後の原発のあり方に関する幅広い議論に生かすべきです」と青木氏は言う。

列島中を活断層が走り、世界有数の地震大国の日本で本当に安全な原発は可能なのか。まずは、今回の地震をきっかけに抜本的な議論の見直しが必要ではないだろうか。

川喜田研

川喜田研かわきた・けん

ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。

川喜田研の記事一覧