「冷房を上げて」と言われたら、あなたは設定温度を上げるだろうか? それとも冷房の出力を上げる(設定温度を下げる)だろうか?
このように、言葉は読み方や文脈によって意味が変わることがあり、上記のような些細(ささい)な誤解から、時には争いを引き起こすことさえある。
こうした言葉の「あいまいさ」を理解し、他者とより円滑なコミュニケーションを図るにはどうすべきか。『世にもあいまいなことばの秘密』の著者、川添愛氏に話を聞いた。
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――先生が言語学に関心を持ったきっかけはなんでしょう?
川添 大学時代の授業で言語学の先生にホメられたことがきっかけでした。「『天気が下り坂になる』という言葉があるのになぜ『上り坂になる』とは言わないのか」という質問をしたら、「そういうことが気になるなら言語学に向いているのでは」と言われたんです。
それまでは自分が研究してみたいことが明確になっていませんでしたが、言語学は面白いのかもしれないと思うようになりました。
――どのような点に言語学の面白さを感じていますか?
川添 普段自覚していない"人間のすごさ"を感じ取れることですかね。例えば、「山田さんを営業部長として採用する」と「代官山を拠点として活動する」という文は、どちらも「AをBとしてCする」という形になっています。では、「BとしてAをCする」と語順を並び替えるとどうでしょう。
「営業部長として山田さんを採用する」は成り立つけど、「拠点として代官山を活動する」は成り立ちません。私たちは知らず知らずのうちにこうした違いを理解して言葉を使っているんですよね。
――本書は言葉のあいまいさについて書かれています。このテーマで本を書こうと思ったきっかけはなんでしょうか?
川添 もともとは中高生でも読めるような言語学の本を書いてほしいという依頼をいただいていました。そこで、まずはSNSでよく見かける言葉の意味と解釈が食い違っている事例を集めました。そしたら、あいまいさだけで本が一冊書けてしまった、という感じです。
――本書でも豊富な事例が出てきますね。SNSに加えて、リモートワークが浸透して、テキストベースでのやりとりが増えました。テキスト上のコミュニケーションで誤解を生まないポイントはあるでしょうか?
川添 あったら私も知りたいです(笑)。でも、やっぱり否定しているのか、肯定しているのかは明確にしたほうが誤解は生まれにくくなると思います。
――確かに、コンビニで「ビニール袋はいりますか」と聞かれたとき、私はよく「大丈夫です」と言ってしまうのですが、これも否定しているのか肯定しているのかわかりづらいですね。
川添 そうですね、以前ふかわりょうさんの番組に出演したときも同じ話題が出ました。そのとき、私は「なしで大丈夫です」というフレーズを提案しました。「なしで」とひとつ情報を足すだけで、だいぶ誤解が生まれにくくなりますよね。これは書き言葉でも同じですね。
あとは、できるだけ意外なことを言わないこと、でしょうか。例えば、私は以前「昨日仕事で大失敗した夢を見て......」と言って、「え、仕事で失敗したの!?」と相手を驚かせてしまったことがありました。
もちろん最後まで聞いてもらえれば、実際に仕事で失敗したわけではないことがわかります。ですが、人間の聞き取りは文脈にかなり左右されるので、相手が予想しやすい文脈できちんと伝わるように説明することが大切です。
逆に、オレオレ詐欺のように、悪意を持って文脈ありきで人をだまそうとする例もあるので、そこには注意が必要ですね。
――世代や好みによって言葉の使い方が異なるケースもあるかと思います。そのような場面に遭遇したとき、先生はどうしていますか?
川添 もし相手が自分と違う言葉の使い方をしていたら、まずは辞書を引くようにしています。意外に自分が知らない意味や使い方もありますからね。
あと、たまに自分の感覚に合わない言葉に出合ったときも、あまりイライラしないようにしています。最近はそうでもありませんが、以前は「お仕事は何をやられてるんですか」という言い方がすごく気になる時期がありました。なんとなく「やられる」という言葉にはネガティブな響きが含まれるので。
でもこの間、自分も「お仕事は何をやられてるんですか」と言ってしまって、寛容になろうと思いました(笑)。表面的な言葉の使い方よりも、その人が敬意を表そうとしている意図を汲(く)むようにしたいですね。
――言葉のあいまいさは誤解を生むだけでなく、良い側面もあるでしょうか?
川添 特に今の時代は価値観が多様になってきて、自分の意見をストレートに言うことが憚(はばか)られる場面もあると思います。
そんなとき、あえて「ヤバい」「エモい」といったあいまいな言葉を使うことで、なんとなく相手とわかり合えている気がすることがありますよね。たとえそれが誤解だとしても、人とわかり合えているかもしれないという感覚は、生きていく上で重要だと思いますね。
あと、これは本にも書いた例ですが、彦摩呂さんや石塚英彦さんといったグルメリポーターの方はあいまいさをうまく使われています。あまりおいしくない食べ物に遭遇したときに、「まずいですね」とストレートに言ってしまうのではなく、「なかなかですね」「好きな人にはたまりませんね」というコメントをするそうです。
――言葉を使ったコミュニケーションでは、誤解を与えないことが重視される一方、そのあいまいさゆえに他人とつながっていられたり、場を取り持つことができるわけですね。でも、このふたつを切り替えて使っていくのは難しそうですね。
川添 そうですね。特に仕事などの厳格さ重視の場面では、私も苦労したことがあります。
でも、厳格な言葉の使い方とあいまいな言葉の使い方を行ったり来たりすることで、どちらのコミュニケーションもより楽しめるようになるのではないかなと思います。
この本には、言葉のあいまいさに対する理解が深まるようなトレーニングも掲載しているので、厳格さとあいまいさを行ったり来たりするためのツールとしても、ぜひ手に取っていただければと思います。
●川添 愛(かわぞえ・あい)
1973年生まれ、長崎県出身。九州大学文学部卒業、同大大学院にて博士(文学)取得。2008年、津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、12年から16年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。専門は言語学、自然言語処理。現在は大学に所属せずに、言語学者、作家として活躍する。著書に『言語学バーリ・トゥード』(東京大学出版会)、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』(朝日出版社)、『ふだん使いの言語学』(新潮選書)など
■『世にもあいまいなことばの秘密』
ちくまプリマー新書 990円(税込)
「この先生きのこるには」⇒「先生がきのこになる!?」。「結構です」⇒「YES NO どっち!?」などなど、言葉には誤解を生む「あいまいさ」があふれている。SNSやチャットでのすれ違いや衝突も、こうした言葉の性質によるものが多く見られる。私たちはどのようにこのあいまいさと付き合っていくべきか、『言語学バーリ・トゥード』などの著作を持つ言語学者・川添愛氏が面白おかしい事例の数々と共に解説する