川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
劇症型溶血性レンサ球菌感染症、通称「人食いバクテリア」。急激に症状が進み、致死率も高いこの恐ろしい感染症が、2023年に過去最多の患者報告数を記録した。果たして、このまま増え続けるのか? 対策はあるのか? 感染症のスペシャリスト・岩田健太郎氏にじっくりと話してもらった!
通称「人食いバクテリア」とも呼ばれ、致死率が30%を超えるという恐ろしい病気、「劇症型溶血性レンサ球菌感染症」の感染者が日本で増えているという。
この感染症は新型コロナと同じ感染症法上の「5類」に分類され、保健所への届け出義務が課されている。厚労省の発表によると2023年の報告例は全国で941例(速報値)と、1999年に届け出制が始まって以来、最多となった。
「劇症型溶血性レンサ球菌感染症」(Streptococcal Toxic Shock Syndrome/以下、STSS)とは、その名のとおり「溶血性レンサ球菌」という細菌が引き起こす感染症の一種で、特に重篤な症状を伴うものを指す。
臨床の現場でこの病気の症例を数多く診察した経験を持つ、感染症のスペシャリスト、神戸大学の岩田健太郎教授はこう話す。
「新型コロナウイルスのように国外から流入した新たな病原体とは異なり、通称『溶連菌』と呼ばれる『A群溶血性レンサ球菌』は日本も含め、世界中、どこにでも当たり前のように存在する細菌です。毎年、5歳前後を中心とした多くの子供が感染し、咽頭炎を引き起こすことでも知られています。
ただ、それとは別に同じA群溶連菌でも皮膚や皮下脂肪に感染を引き起こすタイプもあり、極めてまれですが、一部の感染者に敗血症ショック症状や肝不全、腎不全、急性呼吸窮迫症候群、意識障害といった非常に重篤な症状をもたらすケースがあり、これがSTSSです。
また、それとは別に『人食いバクテリア』という、俗称の由来になった病気が『壊死(えし)性筋膜炎』です。
壊死性筋膜炎は溶連菌に感染した組織の筋膜(臓器や筋肉をつないだり、包んだりする組織)がドロドロに溶けて壊死してしまう......というメチャクチャ恐ろしい症状で、患部にメスを入れると、そこから溶けた組織が水のようになってサーッと流れ出てくる。
実際にそれを見ると『人食いバクテリア』という、いささかセンセーショナルな俗称も、ある意味では『言い得て妙』だと感じます。
もちろん、命の危険を伴う、それも、文字どおり一分一秒を争う病気ですから、壊死性筋膜炎の疑いがある患者さんがいると聞けば、僕らは何をおいても最優先で対応をすることになります」
この恐ろしい病気を引き起こす溶連菌への感染はどのように起こるのだろう?
「子供がかかることの多い、喉の溶連菌感染は咳(せき)などの飛沫(ひまつ)によるケースが多いですが、壊死性筋膜炎につながる皮下組織への感染経路は、『接触感染』が主になります。具体的には、皮膚の小さな傷や炎症などから細菌が入り込んで感染するというケースが多いでしょう。
ただし、溶連菌に感染しても壊死性筋膜炎を発症するケースは非常にまれで、その原因が同じ『A群溶連菌』の中でもタイプの違いによるものなのか、感染する人間側の要因もあるのか、そのあたりはまだわからないことが多いというのが現実です。
新型コロナの重症化リスクは、超高齢者など、割とはっきりしていました。しかし、溶連菌の壊死性筋膜炎の場合は、糖尿病などリスク因子はあるのですが、全然健康な人でも起きうるし、この年齢だったら起こりやすいというのもはっきりしていません。
この『どんな人に起きやすいのかも、よくわかっていない』というのが、この病気の厄介な特徴でもあるわけです」
では、実際に壊死性筋膜炎を発症したら、どのような自覚症状があるのだろうか?
「ものすごく進行の早い病気ですから、発症したらあっという間。数時間とか、長くても1、2日程度で患者さんの状態は急激に悪化していきます。
ごく初期の自覚症状としてはともかく全身がしんどく、感染部位がものすごく痛くなるのですが、それで『何かおかしい......』となって、救急車で病院に来た頃には、すでに敗血症によるショック症状を起こして血圧が急激に低下している。
手足が腫れ、血液が酸性化して脈拍や呼吸が極端に速くなり、肺や腎臓、肝臓などの臓器、脳がやられて意識障害を起こしているケースも少なくありません」
さらに厄介なのは、非常にまれな病気であるため、初期段階の診断が難しいことだという。
「もちろん、われわれのように感染症の専門家で実際に症例を多く見ていればわかります。しかし、日本では最近まで医師の間でもこの病気の正しい理解が十分に広まっておらず、症例を説明する教科書にも『足がパンパンに腫れて真っ黒に変色した』写真が出ていました。
メスを入れるとドロドロと膿(うみ)が出てくると思っている医師も多かったですし、今も少なくありません。
ところが、この状態は"すでに手遅れ"で、発症の初期には手足が腫れていないケースも多いのです。
そのため、患者さんが『全身がしんどい』とか『手足がひどく痛む』と訴えても、医師にはその原因がわからず、結果的に手遅れになってしまったというケースが少なくありませんでした」
ちなみに、致死率が30%近いという壊死性筋膜炎だが、早期に処置すれば助かるのか? また、治療に有効な特効薬などはあるのだろうか?
「もちろん、早期に診断して処置ができれば、救命は可能で、私自身もそうした救命例を何度も経験しています。
ただし、抗生物質も併用はしますが、治療で一番大事なのは薬ではなく『外科的』な処置です。つまり、患部をメスで切り開き、溶けて壊死してしまった部分を取り除いてあげるしかない。
それも、可能な限り早い段階で行なうことが必要で、手遅れになれば手足の切断が必要になる場合もあります。全身に広がった患部にひとつひとつメスを入れ、壊死した部分を取り除くという手術はかなり過酷です」
知るほどに恐ろしい劇症型溶血性レンサ球菌感染症だが、本当に感染例が増えているのか? また、何か有効な予防方法はあるのだろうか?
「厚労省や国立感染症研究所のデータを見る限り『絶対数として増えている』というのは事実だと思います。WHO(世界保健機関)によれば、イギリスやフランスなど、世界的にも感染者が増加傾向にあるようですが、果たしてその要因がなんなのかはハッキリしない。
ただし、昨年に全国で過去最多の941例が報告されるなど増加傾向にあるとはいえ、約1億2000万人という日本の人口の『分母』で考えれば、依然として『極めてまれにしか起きないマイナーな病気』であるという点は正しく理解する必要があるでしょう。
また、同じく増加傾向にある咽頭炎を含めた、溶連菌の感染対策に関しては、マスクやうがい、手洗いといった通常の感染症対策や、普段から衛生状態に気をつけるといった、ごく普通の対策しかありません。子供の溶連菌による咽頭炎からの感染で発症するといった心配もほぼ無用です。
なので、メディアが騒ぎたてて、不必要に人々の恐怖心をあおるべきではないし、皆さんがそうした報道を見て、むやみに心配する必要もありません」
感染症への対応で大事なのは「根拠のない楽観」でも「根拠のない悲観」でもなく、その病気を可能な限り正しく理解して正しく怖がることだ。
コロナ禍の教訓でもあったこの心構えを「人食いバクテリア」への対応にも生かしたい。
●岩田健太郎(いわた・けんたろう)
1971年生まれ、島根県出身。島根医科大学(現・島根大学)卒業。SARS(重症急性呼吸器症候群)、エボラ出血熱などの感染症対策に携わる。2008年より神戸大学に在籍、神戸大学医学部付属病院感染症内科教授を務める
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。