東京タワーが見えるところに住めるのは「勝ち組」なんだそうです(写真:photo-ac) 東京タワーが見えるところに住めるのは「勝ち組」なんだそうです(写真:photo-ac)
ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。この連載ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT OpenSourceINTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく!

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世界が劇的に動き続けるなか、いまの日本とその首都・東京をとらえるための素晴らしい教科書がある。

ひとつめが雑誌「東京カレンダー」の公式サイトにて連載されていた『東京男子図鑑』と『東京女子図鑑』。いずれも連続ドラマ化され、今ではネットでも視聴可能である。

そしてもうひとつは2022年に発売され、今もベストセラーとなっている小説『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(著:麻布競馬場 集英社刊)だ。

今回より数回にわたり、シン世界を探索すべく、足元の"シン東京"を読み解く短期集中連載を開始できればと思う。ストーリーのネタバレにはご注意を。ただ、この教科書を読みこめば読み込むほど、痛いほど東京が分かってしまうのです。


――ドラマ『東京男子図鑑』の主人公・翔太は、千葉県浦安市の公立高校でサッカー部に所属。そして、慶應大学を卒業後は一流商社に就職して、20代で年収1000万円を達成しています。やはり彼は、勝ち組ですか?

佐藤 勝ち組でしょう。日本人の平均年収は461万円で、その倍以上の差ですからね。さらにこの主人公の男性が通うのは、原作では慶應のなかでも老舗の法学部です。難関学部ですから、記憶力と情報処理能力は高いはずですよ。

またサッカー部に入っていたということは、高校一年から予備校に通っているようなタイプとも違います。つまり受験に強く、コミュ力も高いはずです。最初から思いっきり勝ち組の素質を持っています。

――しかし、ドラマでは女性たちに「あの人、中身がないのよね」と言われ、フラれることが多々ありました。

佐藤 要するに「あの性格はちょっと無理」という感じになるわけですね。それが一番露呈したのは、同じ商社に勤める鉄道オタクの同期が泥酔して、主人公の家に来たシーンでした。その時その同期が「お前は自分以外の全員を馬鹿にしてる。なめるんじゃない」と激怒しました。

まさにそこが主人公の本質です。「部活してなきゃ、東大入れたよ」くらいの感覚で、皆を馬鹿にしてなめています。ただ、商社のなかでの業績は良いものの、赴任となれば"出世頭"といわれるシンガポール支店には行けない。人間は総合力だということが分かっていないんですよね。組織人になるということは、歯車になることですから。

シリーズの終盤に「勝ち負けじゃない。負けないからね」というセリフがありましたが、負けない時は強いけど、負けがはっきりするとすぐに折れるんですよ。

――それはなぜですか?

佐藤 「俺は特別な人間だ」と他者に認めて欲しいからですよね。

――一方で、その鉄道オタクの同期はシンガポール支店に行きます。しかし、昔の商社はロンドンやNYへ行くことが「栄転」でした。

佐藤 それは前回の連載でも触れた「グローバルサウスの逆襲」に繋がります。その力が強くなっているためです。そしていま、グローバルサウスの窓口はシンガポールですからね。そういう意味でもよく取材しているなと感じます。

――そういえば東京カレンダー(以下、東カレ)は婚活アプリ(「東カレデート」)もやっていますよね。

佐藤 参加できる年収1000万円以上の人は、それを証明する確定申告書のコピーが必要になります。男性は独身を証明するため、住民票のコピーの提出が必須です。

――そのような膨大な情報があると......。

佐藤 そう、膨大な個人情報を持っているんですよ。だから、本当にリアリティが強いのです。

――佐藤さんが外交官としてモスクワにいた際に、多くの商社マンを見ていることかと思いますが、本当に出来る商社マンはこのドラマの中では誰なんですか?

佐藤 林部長ですね。女の子を3人連れてひとりで全員の面倒を見て、朝4時まで飲んでいますが、翌朝からバリバリ働いています。体力はもちろん、ものすごい記憶力と情報処理能力で、あの主人公とはレベルが違います。

主人公がボーリングで、上司より下手に見えるようにわざとガターを出すシーンがあります。これは、誰が上か下かというのを分かっているからです。だからマウントの確認なんですよ。

――その部長の台詞で一番好きなのが、「商社の仕事は誰がやっても結果は大体同じだから」です。

佐藤 そこで大切なのが、「大体」というひと言です。完全に一緒とは言っていません。ちょっとした違いだけど、それがサラリーマンにとっては死活的になるのです。

主人公が最後にこう告白します。「本当は死ぬほど努力した。土日も出てきたし」。実は努力していても、チャラチャラしているフリをしてカッコつけていると、をします。こいつは不真面目だ、とね。

――主人公の自慢のスタイルが墓穴を掘ったわけですね。

佐藤 そうです。あの主人公は勝ち組ですが、明らかなプロレタリアートなんですよ。

――労働者に過ぎない。

佐藤 一カ月で給料を全部使い果たし、翌月にはまた次の給料が入りますが、何の目標もなく生きているわけです。

たとえば、プロレタリア文学には2系統あります。

ひとつは日本共産党系の戦旗派。逆さ吊りにされて、太ももに千枚通しを刺されても革命のために頑張るというものです。代表作は『蟹工船』(著:小林多喜二)ですね。

もうひとつが、労農派の文芸戦線です。例えば『セメント樽の中の手紙』(著:葉山嘉樹)がありますが、これは海に生きる何の希望もない労働者が、クタクタになっている実態だけを描いています。『東京男子図鑑』の主人公はこっちの系譜です。

――自動車メーカーの創始者・フォードが社員に自社の車を買わせて、一カ月で給料を全て使わせて遊ばせる。それで「な、楽しいだろう?」と。そして、次の月に必ず出社するようにした、あれと同じようなことですか?

佐藤 それと一緒です。『東京男子図鑑』の主人公は商社を辞めて、高校の同級生がやっているベンチャー会社に転職しますよね?

――はい。

佐藤 それで、同級生は主人公を簡単にクビにしました。なぜだと思います?

――その友達は資本家で、主人公は労働者だから使い捨てられた?

佐藤 そうです。同じ利潤を出してくれれば誰でもいいので、代替可能なんですよ。それから主人公はクビになる前に、給料の引き上げと株のストックオプションを要求しましたよね?

――はい。

佐藤 ストックはまさに「資本」。プロレタリアートである労働者が、あろうことか資本に手を出そうしたわけです。

――だから、主人公はあそこで死んだ。資本家に対して労働者が言ってはならないことを口にしたと......。

佐藤 そうです。「給料を上げろ!」ならば交渉の余地があったと思います。しかし、株をよこせ、すなわち資本をよこせと言ってしまいました。そうしたら「お前、座っている側を勘違いしてるな。反対側に座っていることを教えてやるよ」となりますよね。

――で、クビだと。

佐藤 自分が従業員でプロレタリアートだと分かってない人には、辞めてもらわないといけませんからね。「チャラチャラしやがって、お前は資本家としての覚悟を背負うつもりもなく、株の一部にぶら下がっていくだけ。そういう話だろ?」ということです。人間的な友人であっても、果たしている機能が違います。

――仮にあの主人公が大学1年の時にマルクスの『資本論』を読んでいたら、人生は変わりましたか?

佐藤 変わった可能性はあります。相談される人間になれたかもしれないですね。だけど、マルクスを読んでないと分からないでしょうね。

――その時にマルクスを読んでいれば、ブルジョワになれましたか?

佐藤 それは可能だったと思いますよ。要するに、良い人間に見られないで、人から搾取する側に回るんだと。それがやれれば可能です。実際に、高校時代の友人は資本家になっていましたからね。

――『東京男子図鑑』では、高校時代の友人が地元千葉の浦安で結婚して、一戸建てに住んでいました。その友人は何かあると負け組に落ちて行くのですか?

佐藤 落ちませんよ。あれは地方での勝ち組を選んだんです。

――千葉浦安男子図鑑としての勝ち組と。

佐藤 東京からわずか40分の距離でも、浦安は地方です。浦安の新築物件の値段を見れば分かります。

――一戸建てで5500万円くらいです。

佐藤 あの浦安勝ち組男子はたしか、学校の先生でした。年収だと600万円程度ですから、手は届きます。もし6000~7000万円の住宅を買えたら、思いっきり勝ち組ですよ。だから『東京男子図鑑』に出て来るのは全員、勝ち組です。今は記憶力と情報処理能力で大体が生き残れます。

――それがない人々はどうしたらよいのですか?

佐藤 「教えた通りにやれ」と言われて動く仕事に就くことです。

――正しい労働者!

佐藤 「どこどこの家を訪ねたらおじいさんが出てくるから、この封筒を渡して向こうの封筒を受け取って来い」といったような仕事ですかね。

――それは"受け子"で、勝ち負けの組を離れた犯罪組であります。

佐藤 そうです。下に行けば行くほど、犯罪に近づきます。そのマニュアル通りにやるということは、そうした危険を孕(はら)んでいます。そのまま突き進んでしまえば、東京は恐ろしい街になります。

――すでにバールを持った自称プロの仕事人、実は素人の集団が、高級時計ショップを襲った事件が起きています。

佐藤 だから、もう恐ろしい街になり始めているということですね。

――なるほど。では次回は『東京女子図鑑』の話をいたしましょう!

次回へ続く。次回の配信は2024年2月23日(金)予定です。

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佐藤優

佐藤優さとう・まさる

作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞

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小峯隆生

小峯隆生こみね・たかお

1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。

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