佐藤優さとう・まさる
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
ウクライナ戦争勃発から世界の構図は激変し、真新しい『シン世界地図』が日々、作り変えられている。この連載ではその世界地図を、作家で元外務省主任分析官、同志社大学客員教授の佐藤優氏が、オシント(OSINT OpenSourceINTelligence:オープンソースインテリジェンス、公開されている情報)を駆使して探索していく!
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世界が劇的に動き続けるなか、いまの日本とその首都・東京をとらえるための素晴らしい教科書がある。
ひとつめが雑誌「東京カレンダー」の公式サイトにて連載されていた『東京男子図鑑』と『東京女子図鑑』。いずれも連続ドラマ化され、今ではネットでも視聴可能である。
そしてもうひとつは2022年に発売され、今もベストセラーとなっている小説『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(著:麻布競馬場 集英社刊)だ。
シン世界を探索すべく、足元の"シン東京"を読み解くこの短期集中連載。初回に続いて第2回目のテーマは『東京女子図鑑』。ストーリーのネタバレにはご注意いただきつつ、この教科書を読みこんで2024年のシン東京を紐解いてみよう。
――『東京女子図鑑』では、東京に憧れる秋田県出身の女性が国立秋田大学を卒業し、都内のアパレルメーカーに就職して上京。三軒茶屋に住み人生ゲームが始まります。
まず、引っ越したばかりで近所を散歩中に道に迷っていたところ、親切に案内してくれた男に出会います。彼は秋田出身でふたりは恋に落ち、お互いのアパートの部屋を行き合う仲に。この秋田男と結婚していれば、自分のサイズに合った幸せを手に入れて、秋田に帰れましたかね?
佐藤 秋田に帰らず、三軒茶屋のこじんまりしたマンションか、一戸建てでそれなりに幸せに暮らしていたでしょうね。最終回の手前でこの秋田男と再会して、よりを戻すのかと思ったらすでに、秋田男は結婚して子供がいましたね。
――その秋田男のほうが、賢く、自分の幸せのサイズ感を知っていたわけですね。
佐藤 そうですね。
――そしてこの主人公は、午後8時の恵比寿駅前待ち合わせの合コンで、一流商社マン達と出会う。そのうちのひとり、港区生まれ港区育ちの男と結婚しそうになりますが、その商社マンがNY支店に栄転になる前に、フラれる。商社マンはさっさと東京都港区出身の本物のお嬢様と結婚してしまう。
佐藤 『東京女子図鑑』は、2019年のドラマ『東京男子図鑑』の放送より3年前のオンエアでしたね。逃げた男がNY支店に行くのは、世相の変化が出ています。第一線が3年違いで、NYからシンガポールになっていますから。改めて良く取材していると思いました。
――その商社マンと結婚した女性は離婚して東京に戻り、主人公の女性と偶然バーで出会います。花屋を経営してるんですよね。
佐藤 そうですね。
――そこで焼き立てのパンを食べながら、主人公の女性は「自分はこのクラスに入ったんだ」と思って満足している。
佐藤 ところが、花屋でバイトをしている女の子が、そのNY帰りのバツイチ女性のことをこう言いますね。「ちょっと調べればどういうお家か分かるのに、お嬢様になれると思っちゃって。蛙の子はお姫様になれないんだから、いつまでも田んぼの中でゲコゲコ鳴いてればいいのに」と。
――蛙の子は蛙。あの台詞には心臓が止まりかけました。
佐藤 でも、本当ですから。それから主人公はこうも言っていましたよね。「この青天井の東京で同世代の女たちが自分の欲望っていうのを実現しているのを見ると、溜息が出ちゃう」と。
――あのドラマにも登場し、現実にもいらっしゃるいわゆる港区の方々は、平安時代にいた公家貴族の現代版と思えばいいのでしょうか?
佐藤 そうでしょうね、それに近いかもしれません。要するに貴族ですよ。
――そういう意味では、階級というのはやっぱりあるんですね。
佐藤 それはもしかしたら、戦前の日本への回帰かもしれませんよ。
――なんとすさまじい話の広がり方でしょう!
佐藤 戦前の三井物産の社員は一年で家が建ったと言います。社員と雇員に分けていましたから。大多数が雇員ですよね。
――元祖・非正規雇用、派遣社員のような......。戦前は大学への進学率が5%。三井物産の正社員になるのは、すごく大変でしょうね。
佐藤 だから、そういう時代に戻りつつあるんですよ。
――一方、『東京女子図鑑』の主人公はアパレル会社を辞めて、銀座のグッチに転職する。
佐藤 そこの女性の上司はなかなかすごかったですね(笑)。
――はい(笑)。最初の面接で放ったお言葉、「1985年は何の年?」。自分は思わずTVに向かって、「私はオールナイトニッポン水曜一部のパーソナリティとしてデビューしました」と答えてましたが、違いました。男女雇用均等法が制定された年なんですね。
佐藤 このドラマは良く取材していますよね。
――はい。その後、主人公の女性は銀座で呉服屋の若旦那(既婚者)と出会う。色々と一流のモノを教えてもらう。で、今度は自分から別れ話を切り出して、修羅場になるのを恐れたものの、あっさりと若旦那は別れてしまう。そして、彼女は仕事ぶりが認められ、雑誌のインタビューを受ける。それを自慢しようと......。
佐藤 アパレルの同期会に出かけます。
――雑誌に出ていたのを自慢しようとすると、元同僚たちはスマホに映った自分の子供自慢をし合っていて、雑誌を見せられなくなる。女性の集まりは実にえげつないです。
佐藤 それで、あのグッチの猛烈女上司に「あなた、もう仕事だけね」と言われていましたよね。主人公は「椅子取りゲームからひとりだけ、外れているような気がしませんか?」と猛烈女上司に聞きましたが、猛烈女上司からは「追い打ちをかけるようで悪いけどね、私、結婚してるの、子供もいるのね。結婚と子供はおまけみたいなもんね」と言われてしまいます。
――主人公は奈落の底に落ちる。
佐藤 そして、結婚相談所に登録して婚活を始めますが、男は逃げて行きます。なぜなら、登録している男は女の年齢しか関心がないからですね。
――とても、辛辣な人生です......。
佐藤 そして、婚活事務所のスタッフに注意されます。「そのお召しもの、考え直した方がいいんじゃないでしょうか? 贅沢症の付いた金のかかる女にしか見えませんよ」とね。
ただ良いなと思った男は、ちゃんと婚活マニュアルに書いてある台詞を主人公に言われて、見事に引っ掛かってしまいましたね。
――あの婚活シーンがリアリティに溢れているのは、東京カレンダーが婚活事業をやっているからですね。
佐藤 そうです。ナンパや大学時代のサークルといったところで知り合うことが出来ないまま、その年齢になってしまった男女たちだから、ああいった産業に頼らないといけないわけです。結婚が恋愛至上主義から変化してきているということですよね。
――タイパを考えての婚活と。その婚活結婚したふたりは豊洲のタワマンに住むことになりましたが、あれは何でですか?
佐藤 あの婚活夫婦は共働きです。世帯収入が1600~1700万円ですから、豊洲のタワマンの上層階だと1億3000万円はするので、買えません。しかし、中層階ならば買えます。だから、「中産階級の缶詰」という台詞がありましたよね。
――言ってました。さて。この女主人公は勝ち組なんですか?
佐藤 ものすごい勝ち組ですよ。
――秋田から三軒茶屋、恵比寿、銀座。そして、アパレルからグッチに行って、婚活結婚して豊洲。で、代々木上原でひとり暮らしして離婚し、再婚。
佐藤 最初の商社マンたちの中にいた「僕はゲイじゃないけど、女の子からよく相談されるんだよ」と言っていたアパレル時代の同僚と再婚しました。それで、最後に「これで孤独死から逃れた」と言っていましたが、十二分に幸せですよ。
――あの主人公の幸せって、何ですか?
佐藤 競争の中でその競争に負けないということです。だから、ああいう風になるんですよ。一度、秋田に帰ったシーンで、元々、東京・御徒町の八百屋の娘だった母親から「あんた、ちょっと東京に行ってすごい嫌な女になったね」と言われますが、そうなるんですよ。
――東京からしか幸福感を与えられない女性なんですね。そもそも雑誌『東京カレンダー』の読者はどんな方々なのですか?
佐藤 難関大学を出て、商社やベンチャーに就職して、年収650万円から1000万円を少し越える人たちが読んでいるのだと思います。
――『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』に「遺伝子ロンダリング」という言葉がありましたが、そんなことをしないと普通の人はその読者になれませんね。
佐藤 著者・麻布競馬場のペンネームの由来は、「皆、競争の中で、競馬のように、コーナーでせめぎ合って走らされているだけの人々」だそうです。
――幸せなんでしょうか......。
佐藤 幸せですよ。
――はい......。次回はその小説『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』をテーマにお願いします。
佐藤 最近読んだ中で、最も面白い小説ですね。
――はい、確かに。
次回へ続く。次回の配信は2024年3月1日(金)予定です。
作家、元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
1959年神戸市生まれ。2001年9月から『週刊プレイボーイ』の軍事班記者として活動。軍事技術、軍事史に精通し、各国特殊部隊の徹底的な研究をしている。日本映画監督協会会員。日本推理作家協会会員。元同志社大学嘱託講師、筑波大学非常勤講師。著書は『新軍事学入門』(飛鳥新社)、『蘇る翼 F-2B─津波被災からの復活』『永遠の翼F-4ファントム』『鷲の翼F-15戦闘機』『青の翼 ブルーインパルス』『赤い翼アグレッサー部隊』『軍事のプロが見た ウクライナ戦争』(並木書房)ほか多数。