使用済み核燃料から出る「核のゴミ」。高い放射線を発するこの厄介なモノの最終処分場について、ふたつの候補地の"調査"で大きな進展があった。
だが、住民たちは複雑な思いだ。莫大な交付金か、安全・安心か。「まだ調査だから」と軽視するか「処分場が設置されるかも」とガチで危惧するか。リアルな声を拾った!
■「90億円をゲットすれば私の使命は終わり」
原発を動かせば「核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)」が出る。しかし、その最終処分場はいまだ存在しない。そのことは日本の原発政策の最大の矛盾といわれ、"トイレなきマンション"と揶揄されてきた。だが、この問題を解決すべく手を挙げている自治体がふたつある。北海道南西部にある寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)村だ。
国は核のゴミの処分場を国内で1ヵ所造る計画で、電力会社が出資する「原子力発電環境整備機構(NUMO/ニューモ)」は2002年から候補地となる自治体を公募していた。
処分場の選定には事前に3段階の調査が必要だ。まず地質に関する過去のデータや論文を調べる「文献調査」に2年、次に地質や地下水の状況を調べる「概要調査」に4年、そして、地下坑道を掘り、高精度に調べる「精密調査」に14年と、最低でも20年の年月を費やす。
3つの調査を経て「適地」とされれば、地下300m以深に6~10km2(東京ドーム最大約214個分)の最終処分場が建設され、核のゴミが埋設される。
寿都町と神恵内村は20年10月、ほぼ同時期に文献調査の受け入れを表明し、その翌月に全国初となる文献調査が2町村で実施された。調査開始から3年数ヵ月を経た今年2月、NUMOは文献調査に区切りをつける報告書案を公表。
その結果は、寿都町は全域、神恵内村は南端の一部を処分場の「適地」と見なす内容だった。この報告書案は現在、経産省の審議会で検証中で、数ヵ月以内に正式な報告書として取りまとめられる予定だ。その後、2町村長と北海道知事の同意があれば、「概要調査」へ進む。
ここで、核のゴミとはどういうものか説明したい。
全国の原発で使用された核燃料は、青森県六ヶ所村にある再処理工場に運ばれ、燃料として再利用できる部分(ウランとプルトニウム)を取り出し、廃液を残す。その廃液が、同工場でガラス原料と混合されて固められ、高さ1.3m、重さ500㎏の円柱形のガラス固化体になる。これが核のゴミだ。人が1m以内に近づけば約20秒で死に至る放射線を放ち、人体に影響を与えない程度に弱まるまで10万年かかるといわれている。
NUMOは、水に溶けにくいガラス固化体を、分厚い金属製の容器に封入し、それを緩衝材で覆った上で、地中300m以深の岩盤に埋設する"4重のバリア"による安全性を強調するが、それをうのみにする怖さを、多くの日本人は体験的に知っている。
寿都町と神恵内村は、なぜ文献調査を受け入れたのか?
寿都町の片岡春雄町長は文献調査の応募に踏み切った際、「この問題に一石を投じ、『核のゴミ』の議論の輪を全国に広げたい」と報道陣に語っていた。だが、20年11月に放映されたTBS『報道特集』内では、こんな思惑も明かしている。
【一番先に手を挙げて90億円をゲットすれば、私の寿都町での使命は終わりで、最後まで行くつもりはありません】
処分場選定において、文献調査に応募すると「20億円」、概要調査に進むと「70億円」の交付金が国から支給される。片岡町長が口にした「90億円」とは、その総額だ。
すでに2町村とも文献調査分の20億円を受け取っているが、その代償か住民の間では核ゴミの受け入れを巡り、ある"分断"が起きていた。
■住民たちの間に起きた分断
3月上旬、記者はまず寿都町を訪れた。
同町の基幹産業は漁業だが、衰退の一途をたどっている。近年は町の特産のひとつ、小女子(こうなご/シラス)の来遊が急減し、昨年の水揚げはゼロだった。人口はピーク時(55年1万800人)から約2700人まで減少している。
20年8月13日、過疎化が進むこの町に激震が走る。きっかけは『北海道新聞(道新)』が朝刊1面で「寿都町が(文献)調査応募検討」と報じたこと。
まだ片岡町長が公表していない段階でのスクープ記事で、町民にとっては"寝耳に水"だった。この日以来、寿都町では文献調査を巡り、賛成派と反対派で二分された。反対派のひとり、神貢一さん(70歳)がこう話す。
「核ゴミの問題が出て以降、賛成派と反対派の町民が商店や病院で会ってもあいさつをせず、反対派の人が賛成派の店に行かなくなるといった分断が起きています。私自身、長年親しくしていた近隣の家とは意見が分かれ、この3年間はお互いに挨拶を交わさず、ひと言も話さない関係になってしまいました」
文献調査の受け入れは、小学生の娘を育てる母親の人生も狂わせた。
町内で美容室を営む三木信香さん(52歳)は、道新で第一報が出たその日、娘と町のパン屋にいた。そこに突然、道内テレビ局のリポーターが駆け込んできて、カメラレンズを向けられながら、「最終処分場は必要だと思いますか?」と問われたという。
「私はそのとき、処分場のことなんて何も知らなかった。でも何か答えないと帰れないかなと思って、『危険がないなら必要』と適当に答えたんです。これがテレビで報道されて。そしたらママ友や知人から『なんてこと言ったの!』『大変なことになってるよ!』とたくさん連絡が入りました」
三木さんの夫は町内の水産加工会社に勤めていたが、その会社にまで、「お宅の魚は今後買いません」「ふるさと納税もしません」などと中傷めいた匿名の電話が頻繁に来るようになったという。
以来、核のゴミに関する情報を積極的に見るようになり、「処分場誘致に走る町政を止めなきゃ」と、反対派の住民で構成される「町民の会」の立ち上げメンバーに参加した。
「そしたら、今まで仲良く話していた人とも話ができなくなりました。私と話すと、その人が周りから『活動に勧誘されている』とか『反対派になった』と思われるだろうから、それが申し訳なくて......」
文献調査が開始されて以降、町では"見知らぬ人"が増えたという。ある時期には真冬にバイクで町内を走り回り、各地区の家じゅうのポストに自作の"核ゴミ反対"のビラをまきまくる老齢の男性が現れた。
町民の会の事務局には、「脱原発を訴えるフェスをやりたい」「デモや演説をやらせてほしい」といった、町外・道外の団体からの要望も多数舞い込むようになった。
「同じ誘致反対でも、運動の方針が私たちとは合わないので、丁重にお断りしたのですが......」(三木さん)
反原発を訴える"部外者"たちが、寿都町の反対派住民をあおる構図もあるようだ。
■交付金という「手の汚れないお金」
寿都町では、文献調査が開始されて以降、2度の選挙が行なわれている。21年の町長選では現職の片岡町長が、処分場誘致反対を訴える対立候補を僅差で破り、6期目の当選を果たした。
23年の町議会選でも、概要調査の進展に賛成の議員が5議席、反対の議員が4議席と、賛成派が過半数を占める格好となった。この選挙結果を寿都町民の民意と受け取ることもできる。
ただ、記者が寿都町に入って2日目、ここまで取材に応えてくれるのは反対派住民ばかりだ。その理由について、ある女性住民はこうつぶやいた。
「自分の身を守るためにはね、黙るしかないの。賛否の声を上げたら敵をつくるでしょ?」
この女性は「賛成派の人で、声を上げている人は町内にふたりいる」と教えてくれた。そのうちのひとり、町内で花屋を営む斉藤孝司さん(49歳)は、15年から1期4年間、町議を務めた人物だ。文献調査の次の概要調査に進むことに前向きな町長に賛同している。
「寿都町の財政は逼迫していて、今のままでは今後ますます厳しい状況に陥ります」
斉藤さんがその原因のひとつとして挙げたのが町営の風力発電事業。現在、町内の海沿いに11基の風車が稼働し、これが、年間7億円程度の売電収入を生んできた。
ただ、この収入を支える再エネの固定価格買取制度により、電力会社への売電開始から25年たてば、寿都町の場合はこれまで20円/kW前後だった売電価格が、8円程度まで下落する。すでに寿都町の場合、最初に建てた3基が今年2月に満期25年を迎え、残りの風車も翌年以降、続々とそうなるのだという。
「この売電収入の大幅減が町の財政に与える影響は大きい。近年は体育館や老人福祉施設など、箱物を建ててきたツケもあり、この財政難を放置すれば、寿都町は数年で財政再生団体になるかもしれない。文献・概要調査で得られる90億円という『手の汚れないお金』が目の前にあるなら、それに頼るのも仕方ありません」
■NUMO職員の献身
片岡町長が文献調査受け入れを表明してから3年余り。最近は「反対派の勢いは目に見えて衰えている」と神さんは危惧する。
「反対派住民の集会に参加する人の数でいうと、勢いがあった2年前には毎回100人以上、多いときは500人を集めたものですが、今は3桁に届かなくなっています」
その背景には、地層処分の安全性について、地道な普及・啓発活動を行なってきたNUMOの存在がある。
21年3月、寿都町の中心部にNUMOの出先機関、「NUMO寿都交流センター」が開設され、7人の職員が常駐して住民との交流を深めてきた。職員の多くは東電、中部電などから出向してきた電力会社の社員だ。
だが、センター開設から昨年12月頃までの約3年間、職員たちは寿都町から40㎞以上離れた岩内町に居を構えており、車で1時間近くかけて通勤せざるをえない状況が続いていた。そこには特別な理由がある。
21年9月、文献調査に応募した片岡町長宅に、町内に住む70代の男性が火炎瓶を投げ込む放火未遂事件が起きた。
「幸い火災は起きず町長も無傷でしたが、この事態を重く見た警察がNUMO側に『職員は町内に住まないほうがよい』と助言したそうです」(地元住民)
こうして岩内町から通勤する格好となったのだが、あまりに不便だと寿都町は昨年暮れにNUMO職員専用の住宅を町内に確保した。その場所はちょうど空きフロアになっていた消防庁舎の2階だという。職場までは徒歩10分程度だ。
NUMO寿都交流センターは、寿都町民向けに使用済み核燃料の再処理工場がある六ヶ所村や、核ゴミ処分の地下研究施設がある幌延(ほろのべ)町(道北・宗谷管内)への1泊2日の視察ツアーを頻繁に開催している。交通費やホテル代はNUMO持ち、関連施設の視察後はバスで周辺の観光スポットに案内してくれ、初日の夜には酒席も用意されるという。
視察ツアーに参加したことのある女性は、「六ヶ所村と幌延、どちらも行きましたが、幌延ではトナカイ牧場や宗谷岬に連れていってくれて、思い出深い旅行となりました。地層処分の安全性も理解できましたよ」とうれしそうに話す。
反対派住民は「おばさんが旅行気分で行って、『処分場は安全』と吹き込まれて帰ってくるだけ」と冷めた目で見るが、これまで延べ人数で約200人の町民が参加した。その中には「視察ツアーを通じて考え方が変わった」と反対派から賛成派に転換した住民も少なくないという。
記者は寿都町に滞在した2日目の夜、町内の居酒屋に入った。そこに偶然居合わせたのが、NUMO寿都交流センターの職員だった。彼は記者の隣のカウンター席に座るなり、「週プレの記者さんですよね」と言った。
初対面のはずなのに、なぜ知っているのだろうと狼狽していると、それを見透かしたように彼はこう言った。
「今日のお昼休み、センターの近くのお花屋さんのところに遊びに行ってたんです。そこに、『プレイボーイです』と入ってきたのが記者さんだった。私は口を出さず、隅っこに隠れていましたが(笑)」
最初は困惑したが、その接しやすさにやがて話も弾む。
「われわれは、地元の人たちを洗脳して、最終処分場建設まで突っ込むつもりはありません。寿都や神恵内で地道な活動を重ねていますが、今後、断られるかもしれない、という想定もあります。私たちとしては、この町で出会った人を大切にしながら伝えるべきことは伝えて、誠実に向き合う、ただそれだけのことです」
彼と関係が深い元町議によると、この職員は「以前は福島第一原発事故の賠償業務を担当していた東電の社員で、当時、会社に盾突きながらも被災者救済に全力を注いだバリバリの人」だという。
■神恵内村の本音?
寿都町での取材を終えると、そのまま車で神恵内村に向かった。寿都-神恵内は海岸沿いを走る国道一本でつながり、1時間程度で到着できる。
北海道電力の泊原発が立地する泊村を背に国道のトンネルを抜けると神恵内村に入る。
そのトンネルの出口から5~6㎞先までのごく一部が文献調査の報告書案で処分場の「適地」とされたエリアだが、その東側は急峻な山、日本海が広がる西側はほぼ垂直の岸壁という地形で、車を走らせながら「こんな場所に、本当に巨大な地下処分施設を造れるのだろうか?」と感じた。
神恵内村の人口は、90年(約1600人)からわずか30年間で750人まで半減した、寿都町より衰退が早い過疎地だ。
16~17年前に閉店した村の中心部にあるスーパーは今も空きテナントのまま、廃屋だけが残っている。村にコンビニはなく、高齢者が多い村民の憩いの場になっていた村営温泉は大幅な赤字続きで給湯パイプの修理代を捻出できず、4年前に閉館した。
この小さな村で文献調査への応募を主導したのは地元商工会だ。関係者がこう明かす。
「寿都町と応募時期が重なったため、お互いにタイミングを示し合わせたのでは?とよくいわれますが、偶然です。この村では赤ちゃんがほとんど生まれない一方で、高齢者は年に2桁の規模で亡くなられていく。
若者の離村も止められず、社人研(国立社会保障・人口問題研究所)の推計を上回るスピードで人口が減り続けている。村を存続させるために、総額90億円という交付金は魅力的でした」
20年9月、商工会が村議会に文献調査への応募検討を求める請願を出すと、すんなり採択された。
村議のひとりがこう明かす。
「現在、8人いる村議会議員の中で、賛成派は7人、反対派はひとり。この村が寿都町と違うのは、原発アレルギーがほとんどないということです。
泊原発がある泊村の隣接自治体として原発立地交付金をもらい続け、その原発マネーで小中学校の校舎を建て替えたり、村営保育園を新築したりしてきた。原発の恩恵を受け続けてきた村だから、この村に核ゴミや調査の受け入れに声を上げて反対する人はほとんどいません」
村内に暮らす住民の男性もこううなずく。
「小さな村だから、両隣3軒が皆親戚。その中には泊原発で働いている人も少なくありません。そんな環境で、核ゴミ反対を叫ぼうものなら、この村に住めなくなります」
だが、ある商店の店主がこんな話を耳打ちする。
「処分場の設置に現実味があると思っている住民は少ないと思いますよ。何せ20年後の話だし。それに寿都から車で来たのなら、国が『適地』とした場所を見たでしょう。山、国道、岸壁、海......平地のないあんな所に処分場を造れるはずがない。
どうせ、最終的にほかの候補地が選ばれるとみんな思っているから、交付金目当てに調査に賛成するんです。この考え方に罪悪感をまったく抱いていない、と言ったら嘘になりますけどね」
"核のゴミ箱"に良心まで捨てているわけではないのだ。