川喜田 研かわきた・けん
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。
2023年5月8日に新型コロナウイルスが5類に移行してから1年。今年のゴールデンウイークは全国的に人であふれ、コロナ禍以前の景色が完全に戻った印象だ。しかし、どうしてもモヤモヤが......。コロナ禍は終わったの? そうだとしても、なかったことにするのは違くない?
昨年5月8日に新型コロナが感染症法上の5類に移行してから1年が過ぎた。あのコロナ禍の日々から、日本社会も普通の日常を取り戻している。厳しい感染対策や行動制限がなくなり、暫定的に続いていた、ワクチン無償接種や高価なコロナ治療薬への補助も今年3月いっぱいで終了。
すでに2回目、3回目のワクチン接種を受けてから、かれこれ2年以上たっているという人も多いはずだが、それでも、新たなコロナ感染の波が来たとか、コロナによる死者や重症者が急増して医療現場の逼迫が起きているといった話は耳にしない。
そもそも、最近ではメディアも含めて誰もコロナの話なんてほとんど話題にしていないような気もするが、コロナ禍であれほど猛威を振るったコロナウイルスはいったいどこに行ったのか?
「新型コロナウイルスが世の中からいなくなったわけではありません。それどころか、実際には今でも多くのコロナ感染者がいるのです」と語るのは、免疫学者で大阪大学名誉教授の宮坂昌之氏だ。
「5類に移行してから、日本ではそれまでのような感染者の全数調査が行なわれなくなりました。そのため、現在は小児科を中心に、国が指定した一部医療機関の受診者を対象とした定点把握を基に、おおよその感染者数を推計するしかありません。
その定点把握のデータを見ると、現在は感染者数が減少傾向にありますが、今年1月末から2月にかけて、それなりに大きなコロナ感染の波が来ていたことがわかります。
そこで、今年に入ってからの『コロナ関連死亡者数』(死亡診断書のⅠ欄に、最も死亡に影響を与えたとして新型コロナ感染が記載された人の数)に注目すると、今年2月には3000人を超える方がコロナ関連死で亡くなっています。
おそらく、その大半は高齢者だと思いますが、たった1ヵ月で3000人超というのは昨年2月以降で最大。2023年に交通事故で死亡した方の総数(2678人)よりも多いのです」
実は大規模な感染の波も来ていて、コロナ関連死で亡くなる人も少なくなかったのなら、なぜ社会は普通に回っているのだろうか?
コロナ禍の間、ずーっと政府や専門家たち、そしてメディアの報道で「怖い怖い」と脅かされ、厳しい行動制限をしたり、ツラい副反応に耐えてワクチンを接種したりしたのに、今は何もしてなくても大丈夫なように見えるのはなぜ?
「その最も大きな要因は、日本社会に暮らす人の大半がワクチン接種や感染によってコロナに対して免疫を持つようになったことだと思います。
まず、ワクチン接種に関して言えば、日本人の大半が最低でも2、3回の接種を受けています。
ワクチン接種による感染防御効果は、接種後の時間の経過やウイルスの変異によって大きく失われていきますが、T細胞の働きなどによる重症化予防効果については、ある程度、長い期間持続することがわかっていますし、ワクチン接種を受けた後にコロナの感染を経験した人は、より強力なハイブリッド免疫も獲得している。
その結果、もともと感染しても重症化しづらい若者はもちろん、高齢者や基礎疾患のある人も重症化率が大きく下がり、感染の波が来ても医療現場の逼迫などにつながらずに済んでいるのでしょう。
ただし、その重症化予防効果も時間とともに少しずつ落ちていきます。また、先ほど示したコロナ関連死亡者数でもわかるように、高齢者や基礎疾患を抱えた人の一部は今も感染によって深刻な影響を受けるので、決してコロナが終わったというわけではない。
海外においても、最近大きな流行の波に見舞われたオーストラリアでは、医療機関で大規模な院内感染が起き、多くの入院患者が死亡する事態になっています」(宮坂氏)
では、ニュースでもよく取り上げられ、新たな名前が次々と報道されていた、ウイルスの変異に関してはどうなっているのか?
「新型コロナウイルスの変異も依然として続いています」
そう語るのは、研究チーム「G2P-Japan」を率いて、新型コロナウイルスの変異の最前線を追い続けるウイルス学者で、東京大学医科学研究所の佐藤佳教授だ。
「今、日本で主流になっていると考えられているのは、オミクロン系の『BA2.86』から進化した『JN.1』という変異株なのですが、最近、アメリカやカナダ、イギリスなどでは、そこからさらに変異した『KP.2』という株が急激に増えており、今後はこれが日本でも主流になる可能性が高いとみています。
また、変異を重ねるたびに、ウイルスの免疫をすり抜ける力が増していくという傾向も続いていて、『KP.2』に関するわれわれの最新の研究でも、『JN.1』株への感染やXBB対応型ワクチンの接種によってできる中和抗体をすり抜ける力がさらに増しているので、感染防御効果はあまり期待できない可能性があります」
ただし今のところ、大きな流れとしては、感染力は強いが比較的症状が軽いオミクロン株の系統が続いており、突如としてデルタ株が登場して猛威を振るったときのように、ウイルスの病原性が大きく高まるような変異は確認されていない。また、すでに獲得された重症化予防効果に関しては、ウイルスが変異してもある程度は発揮され続けるという。
「もちろん、ウイルスの病原性が突如として高まる可能性はゼロではありませんが、当面、今のような方向でウイルスの変異が続くと考えれば、今後のワクチン接種についても、その目的を『感染そのものを防ぐ』のではなく、『感染時の重症化を防ぐ効果の更新』だとある程度割り切って考えたほうがいいかもしれません。
そもそも、ワクチン接種の本来の目的も重症化の予防にあるので」(佐藤氏)
ちなみに、有償となった今年の秋以降の接種については、季節性インフルエンザと新型コロナの2価ワクチン(ふたつの抗原を含むワクチン)の形で希望者に対して接種することも検討されている。しかし、インフルエンザワクチンと比べ、新型コロナワクチンは強い拒否感を持つ人が少なからずいるのも事実。
前出の宮坂氏によると、重症化予防効果も時間とともに少しずつ低下していくため「本来なら1年に1回程度、追加接種を受けて、免疫を刺激することが望ましい」とのことだが、そもそも「もうコロナ禍は終わった」という雰囲気の中、有償のインフル×コロナの2価ワクチンの接種を希望する人がどの程度いるのかが大きな課題となりそうだ。
コロナ感染の波は、今も周期的に来ているし、ウイルスの変異も相変わらず続いていて、実際にはそれなりに多くの感染者も出ている。だが、社会の中にコロナへの免疫を持つ人が増えて、重症化する人は大きく減り、その結果、以前のような医療現場の逼迫などの問題は起きていないというのが、今の平和を支えている基本的な背景のようだ。
だとすれば、高齢者や一部の基礎疾患を抱える人を除けば、あまりコロナのことなど気にせずに過ごしていけるような気もするが、そこでどうしても無視できない問題がある。
それは、新型コロナに感染した人のうち、およそ1~2割程度が経験するといわれる、コロナ後遺症だ。
「別名『ロング・コーヴィッド』と呼ばれる、新型コロナ感染の後遺症。厄介なのは、症状が多彩で、その原因がまだ明らかでないことです」
そう話すのは、厚生労働省のクラスター対策班や新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードのメンバーを務めた経験を持ち、コロナ後遺症の問題にも積極的に取り組んでいる、東北大学大学院教授の小坂健氏だ。
「数週間で後遺症が治る場合もありますが、数ヵ月、あるいは年単位で、日常生活に大きな支障を来すほどの症状が続くケースもあります。そして、ここが重要なのですが、後遺症に苦しむのは重症化した人だけではありません。
軽症や無症候だった人も後遺症を抱えるケースがあるのです。そのため、重症化リスクの低い若年層にとって、感染自体はリスクじゃないにしても、後遺症のリスクは人ごとではないのです」
コロナ後遺症に関しては、多くの異なる症状が報告されている。頭がボーッとして集中力や思考力が低下するブレインフォグ(脳の霧)や、味覚・嗅覚の異常、うつ病、意欲の減退などの「神経系」「精神系」の症状。また、心臓や肺への障害や血栓症といった「循環器系」「呼吸器系」の症状も多いという。
しかも、アメリカで行なわれた調査によれば、自分がコロナ後遺症を抱えている自覚がない人の中にも、なんらかの形で認知機能の低下が起きているケースが一定数確認されているという。また、カナダで行なわれた別の調査によれば、コロナ感染の回数が増えるたびに後遺症のリスクが高まるという報告もある。
「もうコロナのことなど忘れて、普通の日常を回していきたい......という雰囲気は日本に限らず、むしろ欧米諸国のほうが先行している気がします。
その一方で、アメリカなどの国では、コロナ後遺症の研究や対策を新たな最重要課題のひとつととらえ、国が多額の予算をつぎ込んでいますし、後遺症に苦しむ当事者たちも巻き込む形で、その原因解明や治療の研究に取り組む体制が作られている。
ようやく普通の日常を取り戻した日本でも、今後はコロナ後遺症に対する取り組みが、これまで以上に重要になってくると思います。まずは後遺症に苦しむ人たちの存在が理解され、その人たちを孤立させることのない社会のあり方が求められていると思います」(小坂氏)
それでも、街中からマスクは減り、社会はかつてのように回り始めている。5類移行から1年を経た今のこの状態は、コロナ禍の終わりだと考えてもいい気がするが、これもまたつかの間の平和でしかないのだろうか?
最後に、感染症のスペシャリストで神戸大学教授の岩田健太郎氏に、日本のコロナの現在地と今後の課題について聞いた。
「日本や世界の今の状況を見て『コロナ禍の初期にはあれほど厳しい感染対策が必要だと言っていたのに、なぜ、今はこんなに緩くても大丈夫なのか? そもそも、あれほど厳しい行動制限などの感染対策や大規模なワクチン接種なんて本当は必要なかったんじゃないか?』というようなことを言う人がいます。
しかし、それは大きな間違いで、その人たちはわれわれが"新型コロナ"と呼ぶウイルス自体が、あの当時と今ではまったく別のものになっているということを理解していないんです。
世界的なパンデミックが始まった2020年頃の新型コロナは本当に怖い病気でした。最初に流行が始まった武漢でもバタバタと人が亡くなっていましたし、これまでエボラ出血熱やSARSなど、多くの感染症を見てきた僕も、クルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』に乗り込んだときは本当に恐ろしかった。
まだ、有効なワクチンや治療薬がなかった中、重症化率も死亡率もそれなりに高かったあの頃の"新型コロナ"に対しては、すべてのイベントをキャンセルして、厳しい行動制限や感染対策を徹底し、可能な限りウイルスの封じ込めを目指すというのが、私たちのできた唯一の対策でした。
実際、欧米諸国などと当時の人口当たりにおける死亡者数を比較しても、日本が行なった感染対策はおおむね正しかったのではないかと僕は思っています。
その後、ワクチンが実用化されて大規模な接種が進んだ。そして、オミクロン株が登場し、それ以前のデルタ株に比べてウイルスの病原性が下がった一方で、感染力が大きく増したため、厳しい感染対策が次第に大きな意味を持たなくなっていきました。
そうやって、ウイルスそのものも変化したし、私たちの人間の側の免疫状態も変化した。その結果、2024年現在の新型コロナウイルス感染症は以前とはまったく別の病気になったんです。そのため、かつてのように一生懸命、厳しい感染対策をする意味もなくなり、社会が普通に回るようになったということだと理解していいと思います。
ただし、非常に残念......というか、ある意味で予想どおりともいえますが、こうしてなんとかコロナ禍を乗り越えた今だからこそ、これまでの対策や政策の中で、どこが正しく、どこが間違っていたのか? 何が有効で、何がムダだったのか?
コロナ禍の約4年間を振り返り、しっかりと考えるべきだと思うのですが、日本では国もメディアも『もう終わったこと』にして振り返ろうとしない。
仮に感染対策の方向性としては基本的に正しかったとしても、それが社会や個人の生活に与えたネガティブな影響を補うために、より効率的で実効性のあるサポートを行なう方法はなかったのか? また、コロナ下で、なぜ、深刻な社会の分断が生まれてしまったのか......など、本来なら徹底的に検証をすべきなのに、すべてが曖昧なまま、前へ進もうとしてしまう。
これは、東日本大震災の際の原発事故や過去の戦争についても同じで、いわば、日本社会の悪いクセなのかもしれませんが、実にもったいないと思いますね」
歴史を振り返ると、人類はこれまで何度も新たな感染症の脅威に直面し、それを乗り越えて生き残ってきた。約4年に及んだ新型コロナとの闘いも、ようやく、そうした歴史の一部となる段階を迎えつつあるようにも思えてくる。
だが、それは同時に、人類がこの先もまた、新たな感染症の脅威に直面する可能性があることを意味している。
普通の日常を楽しめるようになった今だからこそ、次のパンデミックに備えるための徹底した検証が必要だ。
●宮坂昌之(みやさか・まさゆき)
大阪大学名誉教授
1947年生まれ、長野県出身。京都大学医学部卒業、オーストラリア国立大学大学院博士課程修了。スイス・バーゼル免疫学研究所などを経て、大阪大学大学院医学系研究科教授などを歴任。著書に『新型コロナ~7つの謎』『免疫力を強くする』などがある
●佐藤 佳(さとう・けい)
東京大学医科学研究所感染・免疫部門システムウイルス学分野 教授
1982年生まれ、山形県出身。京都大学大学院医学研究科医学専攻博士後期課程修了(短期)。京都大学ウイルス研究所助教などを経て、2018年に東京大学医科学研究所准教授、22年に同教授。研究コンソーシアム「G2P-Japan」を立ち上げ、世界からも注目を集める
●小坂健(おさか・けん)
東北大学大学院教授公衆衛生学者
1964年生まれ。国立感染症研究所・主任研究官、ハーバード大学公衆衛生大学院・客員研究員を歴任。感染拡大当初から新型コロナ対策に従事し、厚生労働省のクラスター対策班、新型コロナ感染症対策アドバイザリーボード、東京iCDCアドバイザリーボードのメンバーを務める
●岩田健太郎(いわた・けんたろう)
神戸大学医学部付属病院感染症内科教授
1971生まれ。2001年の炭疽菌テロの際はニューヨークで、03年のSARS(重症急性呼吸器症候群)感染拡大時は北京で診療に当たり、14年にはアフリカ・シエラレオネでエボラ出血熱対策に携わった感染症のスペシャリスト。著書に『僕が「PCR」原理主義に反対する理由』など
ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。