陸上自衛隊の手榴弾投てき訓練の様子。投てき後は速やかに壕の中に身を屈める必要がある 陸上自衛隊の手榴弾投てき訓練の様子。投てき後は速やかに壕の中に身を屈める必要がある
去る5月30日、山梨県の北富士演習場において、手榴弾を投げる訓練中に隊員が投げた手榴弾の爆発した破片が、訓練に射撃係として参加していた隊員の首にあたり死亡するという痛ましい事故が起きました。

同日に行われた記者会見で陸上自衛隊トップの森下泰臣陸幕長は、「事故原因は、調査中」としながらも、「手榴弾自体は目標付近に投てきされて正常に爆発した」「故意に誰かが落とした事案ではない」と説明しました。これは昨年6月、岐阜県の日野基本射撃場で自衛官候補生が自衛官3人に向けて自動小銃を発砲し、2人が死亡した事件を念頭に置いた発言にも聞こえます。

ちなみにその後、現時点(6月5日)に至るまで、新しい情報は発表されていません。そこで、過去に同じ手榴弾訓練を受ける側としても教える側としても経験した者として、今回の事故について解説したいと思います。

■誰もが緊張する投てき訓練

手榴弾は大人の手のひらに収まる大きさの球状の形をしており、ずっしりとした鉄の塊です。今回の事件で使用された破片手榴弾は安全ピンを抜くと、4秒から8秒程度経過したのちに内部の爆薬が爆発し、外装の鉄の部分が破裂して飛び散り、周辺の人員を殺傷するものです。

安全ピンが外される前の手りゅう弾 安全ピンが外される前の手りゅう弾
自衛隊員が装備している小銃は、直線的な射線であり、物陰に隠れている敵を射撃することが困難です。そのような場合に、手榴弾が物陰を超えるように放物線を描いて投げ込まれることにより、隠れている敵を殺傷することが可能になります。

手元の細かいコントロールで様々な方向への投てきが可能な手榴弾は、野外、市街地や建物内部等の様々な場面における戦闘において活用される重要な兵器です。

そんな手榴弾の投てき訓練は、陸上自衛隊に所属するすべての隊員が受ける基本的訓練の一つです。しかしこの訓練には、小銃の射撃訓練などと比べても、より大きな緊張が伴います。

小銃による射撃訓練は、小銃の銃身自体の向いている方向を観察することにより、射手の周囲にいる勤務員からも、その銃が安全な射撃方向を指向しているかどうか判断することが比較的容易です。しかし手榴弾は投げられる瞬間まで、どの方向に飛んでいくか予想が難しいのです。手元の些細なコントロールのミスにより、投げる目標以外にすっぽ抜けてしまう可能性もあります。

手榴弾は鉄製の外装が破裂して飛散することにより、見た目の爆発の規模以上の殺傷能力がある 手榴弾は鉄製の外装が破裂して飛散することにより、見た目の爆発の規模以上の殺傷能力がある
本物の手榴弾を使った投てき訓練の前には、模擬弾を使用した事前訓練が行われます。私が臨んだ訓練においても、初めて投てきする隊員のなかには、緊張のあまり模擬の手榴弾を足元に投げつけたり、真上へ投げ上げたり、真後ろに投げ飛ばしたりしてしまう人もいました。また、近年ではボールを投げた経験のない隊員も少なからずいて、いわゆる「女の子投げ」になってしまい、じゅうぶんな遠投ができないケースも増えているようです。

■安全管理は徹底されているはずが......

実弾を使った投てき訓練では、隊員は破片の飛散に耐えられる壕の中から外に向かって手榴弾を投げます。その後、目標まで到達したかどうかを確認したら、手榴弾が爆発するまでに速やかに壕の中にしゃがみ、破片から身を守らなければなりません。

訓練を受ける隊員の側には、安全や投てき成果の確認のために「射撃係」と呼ばれる指導役の隊員が付き添います。さらに万が一のことが起きた場合、射撃係には訓練を受ける隊員の命を守る責任があります。イレギュラーな事態が発生した場合でも、自身と担当する隊員の安全を確保するための退避行動まで、頭と体に叩き込まれています。

その甲斐もあって、自衛隊の手榴弾訓練中の死亡事故は、昭和33年に福岡県久留米市の幹部候補生学校を最後に60年間起きていませんでした。

では、今回は一体何が起きたのでしょうか。

森下陸幕長による「手榴弾自体は目標付近に投てきされて正常に爆発した」との発表により、投てきの失敗や手榴弾の暴発などの可能性は否定されています。

そうなると考えられるのは、亡くなられた射撃係の隊員が手榴弾の爆発時に、壕の中に身を隠しきれていなかったという状況です。ただ亡くなられた隊員は29歳の3等陸曹ということで、投てき訓練にも十分な経験があり、壕の外に出る危険性は十二分に認識していたはずです。となると、残された可能性は、何か不測の事態が発生し、指導係の頸部が壕の外に出てしまっていたという状況ではないでいでしょうか。

身を隠しきれていなかった隊員を庇(かば)った? 他の隊員の破片が飛散? 詳細が発表されていませんので断定はできませんが、現在明らかにされている情報をもとにすると、亡くなられた指導係は、訓練を受ける隊員の命を守るという責務を立派に全うしたといえると思います。

防衛省は、特進や遺族補償を検討すべきですし、状況によっては国家賠償も必要な事案だと思います。同時に、事故があった訓練に参加していた隊員のメンタルケアも行うべきです。国防のために身を危険に晒して日々訓練に励む自衛隊員たちが使い捨てにされない自衛隊であってほしい。それが、いちOBとしての願いです。

猫中佐

猫中佐

四国生まれ。大学卒業後、自衛隊に幹部入隊。主に20年近く部隊運用、教育に関する業務に従事。2021年に中途退官したのちは組織人事コンサルタントとして、民間企業に自衛隊で培ったノウハウを提供している

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